6月11日(土)午後、京都の恵文社一乗寺店で開催した、写真家の吉田亮人さんと装丁家の矢萩多聞さんとのトークイベント「旅とカメラが僕たちにくれたもの」。僕にとって初の東京以外の場所でのイベント出演だったのですが、遠くは兵庫や大阪からなど、たくさんの方々にお集まりいただいて、大盛況のうちに終えることができました。「ラダックの風息[新装版]」も会場でたくさんお買い上げいただいて、とても嬉しかったです。お店の方にも喜んでいただくことができました。ご来場いただいたみなさま、ありがとうございました。
今回ご一緒した吉田さんと矢萩さんは、トークがとてもナチュラルで面白くて、僕自身、話していてすごく楽しくて、いくらでもしゃべり続けられそうなほどでした。うまく話がまとまっていたのかどうか、例によって記憶が飛び飛びなので自信はないのですが……。ただ、ここ最近、約1週間のブータン取材など、写真家の方々と接する機会が多かったので、僕自身の旅と写真、そして文章の特徴について、おぼろげにつかんでいるだけだったものがある程度整理して捉え直せたような気がしていて、ラダックの話以外に、そのことを少しお話しできたのはよかったかなと思います。
僕は被写体と対峙した時、他のプロの写真家の方々に比べると、全然グイグイ前に行けないんですね。自分の新鮮な感動を瞬間的にズバッと切り取る、というのが、どうも苦手なようで。どちらかというと、ゆっくり、じっくり、慎重に見定めて、相手が人ならコミュニケーションを試みて、撮らせてもらえそうだったら撮る、無理そうならあきらめる。プロの写真家にあるまじき瞬発力のない弱腰な姿勢なわけです。一つの場面に費やす枚数も、全然少ないですし。
ただ、裏を返せば、それが僕の特徴でもある。最近そう思うようになりました。
前に三井昌志さんにも言われたのですが、僕のルーツは物書きなので、何かと対峙する時も、写真家というより物書きとしてのアプローチで考えているのだと思います。その人や風景やものごとを、じっくり見定め、考えて、自分なりに理解したい。そうしなければ撮れない、いや、そうするからこそ撮れる写真も、確実にあると思うのです。まあ、実際に撮り始めたら、意識はほぼ無の状態になっているとは思うのですが……。
その時、なぜ撮るのか、なぜ書くのか、自分なりの必然性を感じられるかどうかを確かめたい。僕にとって、写真を撮ることは、それについての文章を書くことと不可分ですから。逆に言えば、僕の写真は、文章と一体化することで初めて本来の力を発揮できるのかな、とも思います。
そんな風に思いをめぐらしていくと、旅とカメラと言葉が僕にくれたものは、本当に大きなものだったと思います。それらなくしては、今の僕という人間自体が成り立たなかったほどの。だからこれからもずっと、旅とカメラと言葉に関わり続けて、一冊でも多く本を作り続けたいと思っています。
このイベントに参加していた者です。実は多聞さん目当てで参加していて、山本さんのお仕事のことはあまり存じあげていなかったのですが、イベント後に『ラダックの風息』を無性に読みたくなり、図書館で借りて(すみません!)昨日読了しました。
本当に素晴らしかったです。特にチャダルのくだりは圧巻でしたが、どの章も素晴らしく、季節ごと暮らしぶりがしみじみと味わい深かったです。トークのときには、山本さんは編集者的な立ち位置で、著者よりも作品自体を前に出したいようにおっしゃられていましたが、読んでみると、どのページにもしっかりと山本さんがいました。山本さんにしかできない文章であり、写真であると思いました。
これを読んだ後、また改めて山本さんにお会いしたいと思うようになりました。また関西に来られるのを楽しみにしております。新装版、恵文社で購入するつもりです!
長々とすみませんでした。
(私のインド留学時代の友達もザンスカールに行きました。きっと山本さんの影響だと思います)
こんにちは。コメントどうもありがとうございます。そう思っていただけて、とてもうれしいです。京都まで伺った甲斐がありました(笑)。京都、僕も泊りがけで訪れたのは小学校の修学旅行以来だったのですが、素敵な本屋さんがたくさんあって本当に楽しい時間を過ごさせてもらったので、機会があればまたぜひ伺いたいです。その際はまたよろしくお願いします。