もう梅雨明け?

ほんの三週間ほど前に、梅雨入りらしい感じで梅雨になったなあ、というブログを書いたのだが、西日本では、もう梅雨明けしてしまったらしい。東京も七月上旬には梅雨明けするかも、との予報。このままだと、史上最短の梅雨になってしまいそうだという。

水不足による農作物への影響も気になるが、今すでに始まっている灼熱の夏の日々が、このまま三カ月くらい続くのかと思うと、ちょっとげんなりしてしまう。まあ、八月は三週間ほどガイドの仕事でラダックに赴くので、その間だけ少し涼しい日々を過ごせはするのだが。

しかしまあ……やっぱり、異常気象なのかな。異常が当たり前になってしまってる感じもするけど。

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橋本倫史『ドライブイン探訪』読了。日本各地のドライブインをくまなく何度も訪れ、店主の方々から聞いた話を虚心坦懐に書き綴った本。膨大な時間と手間をかけた取材の成果が凝縮されている。橋本さん自身はあとがきで「文章にまとめる上で心がけたのは、表現しないということだった」と書いているが、謙虚なスタンスで綴られる言葉の端々からごくうっすらと滲み出る橋本さんの熱意は、読んでいて確かに感じられたし、その気配に心を動かされた。

「囚人ディリ」


インド・タミルのローケーシュ・カナガラージ監督が手がける映画作品群「ローケーシュ・シネマティック・ユニバース」(LCU)。今月初めに観た「ヴィクラム」はその第二弾で、先週から日本で公開されている「レオ ブラッディ・スウィート」(来週あたり観に行こうと思案中)は第三弾となるのだが、LCUの最初の作品であるカールティ主演の「囚人ディリ」は、僕はまだ未見だった。池袋の新文芸坐で上映されるとの情報を得て、昨日の夜、観に行ってきた。会場はほぼ満席でびっくり。

妻を守るために暴漢たちを殺めてしまい、刑期に服す間にその妻にも先立たれてしまったディリは、釈放された後、一度も会ったことのない娘に会うため、彼女が暮らす孤児院を目指す。しかし、大量のコカインを押収した警察と、それを取り戻そうとするギャング団との争いに巻き込まれてしまう。昏睡状態の警官たちを積んだトラックを走らせるディリたちに襲いかかるギャングたち。地下深くに押収したコカインが隠された警察署は、赴任してきたばかりの警官ナポレオンと飲酒運転で補導された学生たちを残して、ギャングたちに包囲されてしまう。暗闇の中で繰り広げられる抗争の行方は……。

「ヴィクラム」のように複雑なトリックを織り交ぜたサスペンスではなく、カーチェイスや籠城戦、あるいはぶん殴りあいといった、シンプルなアクションでグイグイ引っ張っていく構成で、単純にエキサイトして楽しめる。冒頭にちらっと出た台詞で「これは伏線だな……」と予想はしていたが、最後にあれをぶっ放しまくったのは、あいかわらずの力技だなあ……と思ってしまった。きっと、監督の好みなのだろう(笑)。

「囚人ディリ」から「ヴィクラム」へのつながりも把握できたし(ビジョイ警部……)、これで「レオ」を観る準備は整った。さて、どうなるか。

謎の発熱

先週、謎の体調不良に見舞われた。3日間ほど、ずっと発熱していたのだ。

熱が出たとか、いつ以来だろう? すぐには思い出せないくらいのひさしぶりの事態。喉が痛いわけでも、鼻水が出るわけでもなく、寒気もなければ、頭痛もまったくない。ただ、何となく身体全体がほんのり熱っぽい状態で、体温計で測ってみたら37、8度を行ったり来たり。解熱剤をキメればいったん下がるが、何時間か経つとまた上がる、といった具合。

おそらく、先週は急に阿呆みたいに暑くなったので、身体が温度変化に対応できず、夜寝てるうちに、軽い熱中症のような症状になってしまったのではないかと思う。幸い、食欲は普通にあったので、部屋の冷房をしっかり効かせて、水分と栄養補給を心がけつつ、デスクワークの合間にできるだけ昼寝などして休養に努めたところ、週末にはすっかり回復した。やれやれ。

しかしまあ、酷暑期のインドでもならなかった熱中症に、東京の自分ちでなってしまうとは……。みなさんもお気をつけください。

おっさんの自覚

四十代後半くらいまでは、自分がおっさん化していくことに、どうにかして抗おうとしていたような気がする。

髪に白髪が混じりはじめた頃はいちいち抜いたりしていたし(早々にあきらめた)、腹が出た体型にはなるまいと地味な筋トレを始めたし(これはいまだにやってる)、世の中で流行の話題も、なるべくフォローしていこうとしてはみた。

しかし、今や五十代も半ばである。髪は三割くらいは白くなったし、体型はまだかろうじて維持できているものの、肌などは年相応。家にテレビを置かなくなったこともあり、世間の流行にはまったくついていけなくなった。

でもまあ、そんなこんなのあれこれも、最近はまったく気にならなくなった。おっさんで結構。だって、おっさんなんだから。それはそれで、おっさんでしか味わえない境地を、今のうちに味わっておこうと思う。あと十年か十五年もしたら、今度はじいさんになるんだから。

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橋本倫史『2024年の本部町営市場』読了。明治時代の終わり頃に発祥し、戦後の闇市を経て、現在の建物になってからも50年以上の歴史を持つ、沖縄の本部町営市場。その市場の建物が、耐震強度不足などを理由に取り壊されるという方針が突然発表された。さまざまな思いを持ちながらも困惑する、市場に店を持つ人々。そうした23人の人々の声をまとめ、急遽出版されたのがこの本だ。当事者の方々の切実な思いとともに、本部町営市場という場の持つ魅力そのものも、それぞれの方々の視点から伝わってくる。自分も、いつかまた沖縄に行く機会があれば、この町営市場を訪ねてみたい、と素直に思った。それまで、市場自体が少しでも良い形で存続してくれているといいのだが。

梅雨入り

昼少し前、食材の買い出しに行くため、マンションから外に出て、傘をさして歩き出す。雨とも霧ともつかない、細かな水滴が宙を舞っている。近所の家の生垣で、しっとりと潤った緑の葉。紫陽花も、淡い色の花弁を生き生きと広げている。

ああ、梅雨に入ったんだなあ、と思った。

実際、関東地方は、今日から梅雨入りしたそうだ。ニュースなどで知らされる梅雨入りと、季節の境目として体感した梅雨入りが一致したのは、いつ以来だろうか。毎年のように、やたら暑かったり寒かったり、大雨だったり小雨だったりで、異常気象という言葉を聞かされ続けていたから、ごく普通の形で季節が移ろっていくと、かえって少し戸惑ってしまう。

いずれにせよ、これからしばらくは、洗濯物を干すタイミングに悩まされそうだ。

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F・スコット・フィッツジェラルド『ある作家の夕刻 フィッツジェラルド後期作品集』読了。若くして作家として華々しくデビューし、『グレート・ギャツビー』という不朽の名作を残したフィッツジェラルドは、1930年代に入ると、妻の病や世界恐慌、自身のアルコール中毒などで、不遇の時代を過ごすようになる。すべてを賭けた渾身の力作『夜はやさし』も、発表当初はほぼ見向きもされなかった。この短編集では、その頃の彼の心情を、いくばくか読み取ることができる。短編も秀逸だが、後半に収録された「私の失われた都市」や「壊れる」三部作などのエッセイが、寂しくも美しい。

「そして魂の漆黒の暗闇にあっては、来る日も来る日も時刻は常に午前三時なのだ。」

自身の絶望を、こんな言葉で綴ることができる人を、僕はほかに知らない。