2021年11月25日、東京の日本プレスセンターで、第6回「斎藤茂太賞」の授賞式が開催されました。受賞作に拙著『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』が選ばれたということで、僕も式に出席しました。何から何まで慣れないことだらけで、だいぶ疲れましたが(苦笑)、どうにかつつがなく終えることができて、ほっとしています。
授賞式では、壇上から短いスピーチをさせていただきました。僕にしては珍しく、あらかじめ原稿を用意して、ほぼ暗記してから臨んだのですが、そのスピーチの全文をここに掲載しておきます。よかったらご一読ください。
このたびは、僕には過分な賞をいただきまして、誠に有難うございます。
『冬の旅』の舞台となったインド北部のラダック・ザンスカール地方を初めて訪れたのは、2000年の夏の終わり頃でした。取材と撮影に本格的に取り組むようになったのは、2007年頃から。以来、現地に足かけ1年半滞在してその滞在記を書いたり、旅行用ガイドブックを書いたり、新聞や雑誌に寄稿したり、現地でガイドを務めたりしながら、この土地のことを、日本の人々に伝えようとしてきました。
『冬の旅』は、約4週間の旅の記録ですが、同時に、僕自身が積み重ねてきた十数年の歳月で抱き続けてきた、彼の地とそこで暮らす人々への思いを込めた一冊でもあります。
『冬の旅』を刊行して以来、大勢の読者の方々から読後の感想をいただきました。手紙だったり、メールだったり、SNSだったり、時には直接お会いした時など、合計すると、6、70人くらいの方々から。
そのうちの半分以上、たぶん7割くらいの方々が、感想の中で、この本の最後の数ページに僕が書いた文章を引用してくださっていました。
その最後の部分には、旅の途中である人に問いかけられ、ずっと自問自答し続けていた問いに対して、自分なりに見出した一つの答えを書いたのですが、本当に多くの方々がその部分を引用して、僕はこう思う、私はこう感じた、と、彼の地で暮らす人々の人生に、それぞれの思いを重ね合わせてくださっていました。
自分が書いた本をそんな風に読んでいただけたのは、僕にとって、本当に嬉しいことでした。僕はまさに、ラダック・ザンスカールの土地とそこで暮らす人々の物語を、遠い異国の他人ごとでなく、読者の方々それぞれの自分ごとの延長として感じてもらいたいがために、この本を書いたので。
旅の本を書く目的は、人それぞれ、色々あると思います。ただ、僕にとってそれは、自分の旅の経験や文才を見せつけることでも、ベストセラーを目指すことでも、社会から何かしらの評価を得ることでもありません。
自分にとって大切な土地や人々の物語を、嘘偽りなく、ありのままの形で伝える。1ページ1ページ、1行1行、1文字1文字に、まごころを込める。読んでくださった方の心の片隅に、ほんの少しでも留めておいてもらえるような本を、1冊1冊、届けていく。
僕は、そういう愚直なやり方でしか、前に進めない人間です。
これからの人生であと何冊、そういう本を作れるかわかりませんが、僕の本を読んでくださるかもしれない読者の方が一人でもいるなら、僕は全力を尽くしていこうと思います。
有難うございました。
授賞式を終えて、僕個人としても、これでとりあえず一区切りついたなあという気持ちになりました。これからはまた、新しい本の執筆をはじめ、自分がやるべきことに一つずつ取り組んでいければと思っています。頑張ります。
昭和38年生まれ、24歳の時半年ほどレーに滞在しました。 その時のことを思い出しながら読んでいます。
大学を休学し ガンジス川を遡りましたが、私の 居場所 は見つかりません 。暑いので北へ北へと目指し、レーに抜けました。 ほっとしたのを覚えています。
ダライラマのお姿も何回か 見かけました。 ただ半年後やはりここで住んでいくところではないと考え日本に戻りました。
日本での暮らしはあれをしなければいけない、これを学ばなければいけない、こうしなければいけないと感じがらめになっています。ラダックには何もありません。植物もお金も。 人は 多分少しの食べ物と燃料と家があればいけていけるのかもしれません。
レー の近況が知れて嬉しかったです。
コメントありがとうございます。その頃のラダックは、外国人の入域が許可されて、まだ10年も経っていない頃ですね。今のラダックから考えると、とても貴重な体験でいらっしゃったのだろうと思います。