「主観」と「客観」の交わるところ

4月17日(土)に下北沢の本屋B&Bで開催した、写真家の竹沢うるまさんと僕のトークイベント「空と山々が出会う地で、祈りの在処を探して」。コロナ禍によるまん延防止等重点措置に対応するため、直前になって開始時間を1時間早めるなど、慌ただしい中での開催となりましたが、おかげさまで、会場にご来場いただいた方々のほか、配信やアーカイブ視聴を通じて、本当に大勢の方々にご参加いただき、盛況のうちに終えることができました。単純比較はできませんが、平時に渋谷のモンベルなどでの開催であったなら、満員御礼で立ち見が出るほどの盛況ぶりでした。本当にありがとうございます。

僕としても、一年前に出した『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』にちなんだ最初のトークイベントを、ようやく無事に開催することができて、少しほっとしました。

今回のトークイベントでは、話す内容をあえて事前にあまり決め込まないようにしていたのですが、これは必ず話しておきたいな、と思っていたのは、旅の文章を書く時の、竹沢さんと僕のアプローチの仕方の違いについてでした。

竹沢さんは、写真を撮る時も文章を書く時も、対象をつぶさに見つめつつも、自分自身の心の繊細な挙動に常に気を配っていて、心の動きに忠実に写真を撮り、文章を書いてらっしゃるのでは、と思います。僕は対照的に、写真でも文章でも、まず自分が見聞きしている事実を丹念に拾い集めて、それらに一切色をつけず、できるだけありのままに組み上げることに心を砕いている感じだと思います。

そうかといって、竹沢さんのアプローチが「主観的」で、僕のアプローチが「客観的」というわけでもないとも思います。竹沢さんはある意味、自分自身の心の動きそのものを冷静に感じ取ることのできる客観性を持っているからこそ、そうしたアプローチで写真や文章を生み出せるのでしょうし、僕の場合は、どういう行動を起こして何を撮り、何を書くかを決めていく過程自体が、まぎれもなく僕自身の主観に拠るものですから。

自己の内面に深く潜り続けることで普遍的な価値を持つ結論に達することもあれば、ありのままの事実を追い続けることでとても個人的な想いに行き着くこともある。だから、文章を書いたり、写真を撮ったり、旅をしたりすることは、面白いのかなあ、と思います。

旅、そろそろ、したいですねえ。でも、まだもうしばらくは、我慢かな。その時が来るまで、自分にできることを積み重ねながら、気長に待つことにします。

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