洪水のその後

2010年8月にラダックを集中豪雨が襲い、約600人もの死者・行方不明者が出る惨事が起きてから、一年と少しが経ちました。今年の夏のラダック取材のさなかにも、洪水の爪痕は至るところで、ありありと目につきました。復旧が進んでいる場所がある一方で、まだまだ立ち遅れているところもあり、こうした僻地での災害からの復興の困難さを痛感しました。

写真は、レーのメインバススタンドの上手、激しい土石流が流れ込んできた場所。土石流はバススタンドと電話局、ラジオ局などを襲い、あわや病院まで飲み込んでしまうところでした。

レーでは比較的建物の再建が進んでいたものの、それでもこうした粗末な露店で商売を営む人も目立ちました。大勢の死者・行方不明者が出たチョグラムサルも、道路沿いには割と新しい建物やシェルターが立ち並んでいましたが、最も被害が激しかった一角は、ごっそりと地表をえぐられたまま、何もない状態でした。自らの家や畑を失ったまま、つらい暮らしを強いられている人々は、未だにたくさんいます。

ザンスカールからのトレッキングの帰りに立ち寄ったフォトクサルの村。のどかで美しい村ですが、それでも、激しい土砂崩れが家を押し流した跡が残っていたり、畑があったはずの美しい川沿いの土地が激しくえぐられていたりしました。このフォトクサルをはじめ、ラダック各地では、洪水でランタック(水車で動かす石臼。ツァンパなどを作るのに使う)が流されてしまった村も多く、「ランタックプロジェクト」と称してそれらの再建を進める活動も行われていました。ラダックの村での暮らしに、ランタックはなくてはならないものですから。

ほかにも、崩れた家や壊れた橋など、未だにそのままの状態になっている場所は、枚挙にいとまがありません。被害に遭ったラダックの人々の暮らしが元通りになり、心に負った傷が癒えるには、まだまだ多くの時間と労力がかかるのではないかと思います。

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