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また会う日まで

二週間ほど前、滞在中のゲストハウスの近所に住んでいた一人の老人が亡くなりました。80歳のご高齢だったそうです。遺体は一週間ほど自宅に安置されて僧侶たちによる供養が行われた後、先週の日曜日、荼毘に付されました。僕は亡くなった方とは一度もお会いしたことがないのですが、ラダックの葬儀がどのように行われるのか見学したかったこともあり、デチェンさんたちと一緒に弔問に伺いました(以下、今回は写真はありません)。

亡くなった老人の自宅はこの界隈でもかなり大きな家で、その脇にある天幕の中では、僧侶たちが読経を続けています。弔問客は次から次へと訪れ、家の周囲では彼らをもてなす炊き出しの準備が行われていました。

家の二階に上がると、20ルピーを払ってビスケット一箱を受け取り、遺体が安置されている部屋の隣の部屋に通されました。そこには女ばかりが2、30人ほども集まっていて、低い声で歌を歌い続けています。部屋の片隅にいる老婆が亡くなった老人の奥さんだと紹介されたので、さっきのビスケットを渡しました。「おお、日本の方が‥‥」と言った老婆の目は、夫が亡くなって一週間も経ったのに、泣きはらして真っ赤になっていました。

家の外に出て香典を渡した後、デチェンさんたちはすぐに帰りましたが、僕は出棺の様子を見せてもらうため、しばらく外で待つことにしました。空はねずみ色の雲にぺったりと覆われ、ぽつぽつと雨が降っています。その間も、弔問客の列は途切れることなく続いていました。僕がいた間だけでも、たぶん、4、500人は来ていたのではないでしょうか。

二時間ほど経った頃、読経の声が途切れ、男たちが家の周囲に集まってきました。やがて、四隅に旗飾りを付けた、真っ白な小さな棺が外に運び出されました。30人ほどの僧侶と棺を先頭に、香を手にした200人ほどの男たちがそれに続きます。女は一人も出てきません。なぜだろうと思っていると、突然、「わぁーっ!」と、家の中からびっくりするほど大きな女たちの泣き叫ぶ声が響いてきました。

担ぎ出された棺は、ナムギャル・ツェモにあるプルカンと呼ばれる火葬場に向かいます。プルカンは棺を二回りほど大きくした長方形の石造りの箱で、山の中腹には、今回使われる綺麗に塗り直されたものをはじめ、いくつかのプルカンが点在していました。

プルカンに到着すると、その上に棺が置かれ、男たちは周囲をコルラ(時計回りに回ること)しながら、香やカタを供えていきます。全員供え終えると、人々は後ずさって五体投地礼を行い、そして突然、潮が引くようにサァーッと引き上げていきました。後には僧侶たちと数人の男だけが残り、棺から白い布にくるまれた遺体を取り出してプルカンに入れ、薪の準備を始めました。僕はしばらくその様を眺めた後、ゲストハウスに戻りました。

デチェンさんによると、これから四日間かけて遺体を荼毘に付し、灰の一部をツァツァと呼ばれる小仏塔に納め、残りは宙に撒くのだそうです。女たちが家に残って泣き叫んでいたのは慣例で、「そんなに泣きたくなくても無理に泣かなきゃならないのは嫌だから、早めに引き上げてきたんだよ」と言っていました。

今回、葬儀の一部始終を見ていて思ったのは、人々の表情が思っていたよりもさらりと乾いていたことでした。チベット仏教では、生きとし生けるものの魂は、死んでも別の生命となって生まれ変わると信じられています。生前に善行を積み重ねていれば、来世も人間として生まれ変われるのだ、と。あの老人が死んでも、いつかどこかで、きっとまた会えるに違いない。人々はそんな風に感じていたのかもしれません。

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