先日、仕事でちょっと、いや、かなり嫌な思いをしました。
それは、ラダック関係のある書籍に写真を提供する仕事だったのですが、出版元の不誠実な対応が重なって、結局、こちらでゲラのチェックもまったくさせてもらえないまま、その本は発売されてしまいました。先方の誠意のなさにも失望したのですが、それ以上に、自分が骨身を削って撮った写真たちを最後まできちんとチェックして送り出せなかったこと‥‥本当の意味での作り手の真心がこもっていない本にさせてしまったことで、その本の読者になるかもしれない方々に対して、心底申し訳ない気持になったのです。
昨日の夜はかなり気分がささくれていたのですが、ふと、自宅の本棚に置いてあった手紙の束に目が止まりました。それは、僕が書いた「ラダックの風息」を読んでくださった読者の方々から送られてきた手紙の束でした。ひさしぶりに、僕はそれを読み返してみることにしました。
沁みました。本当に。ささくれていた心に、いろいろな、大切な気持が甦ってくるような気がしました。
これまでに僕は、手紙だけでなく、メールやブログのコメント、ミクシィやTwitterでのメッセージなど、たくさんの読者の方々から、読後の感想をいただいてきました。それらはすべて、僕にとっての励みであり、反省材料であり、かけがえのないものです。僕のような見ず知らずの人間に対して手紙やメールを書いていただくこと自体、大変な労力だと思うので、本当にありがたいことです。
本を書くということは、宛先のない、長い手紙を書くようなものなのかもしれません。何度も消しては書き直した、誰に届くのかもわからない手紙。でも、そんな手紙に、返事を書いてくれる人がいる。ささやかなものかもしれないけれど、大切な気持のやりとりができる。たぶんそれが、本を書くということの意味なのでしょう。
でも、その本に作り手の真心がこもっていなければ、そうした気持のやりとりも、どこかしら嘘になってしまいます。少なくとも、自分が書く本は、けっしてそんなものにしてはいけない。これからの人生で、あと何冊の本を作れるかわかりませんが、読者の方々に胸を張って届けることのできる「手紙」を書くつもりで、一冊々々、真心を込めて作っていきたいと思います。
たくさんの「手紙」を届けてくださったみなさん、ありがとうございました。
山本さんにとって骨身を削る思いで撮った写真たち。写真の一枚一枚が我が子のように大切な存在でしょう。写真を提供する時も、大切な我が子を送り出すような気持ちでは? 今回の写真たちも気持ちよく送り出したかったことでしょうね。もともと山本さんの思いが込められている今回の写真たちのことだから、見る人の心に何かを訴え、活かされていくことでしょう。
今回の出版元の方は不誠実な対応だったとのこと。我々の誰もが、どんな仕事に就いていても、真心のある仕事ができるよう心がけたいものです。
皆様からのお手紙などが心に沁みたとのこと。真心ある言葉って本当に素敵でありがたいものですよね。皆様の真心が山本さんの中で活きているのですね。
これからも素敵な写真を楽しみにしています。
>hirokoさん
コメント、どうもありがとうございます。こうしたコメントをいただけるのも本当にありがたいことだと感じています。僕自身、まだまだ精進が足りない身であることは自覚していますので、これからももっといい仕事をみなさんにお届けできるように努力していきます。