最近になって、何人かの知人から、洪水発生直後の話を聞きました。
ある被災地では、固く抱き合ったままの老夫婦の遺体が発見されました。どんなに引き剥がそうとしても、二人の身体を離すことはできなかったそうです。
別の被災地では、ある子供の遺体を泥からひきずり出したら、その兄弟と思われる子供たちの遺体も出てきたそうです。その子たちもまた、互いの手を固く握り合ったままだったといいます。発見に立ち会った知人は「本当にショックだった。辛かった」と話していました。
別の知人の妹さんは、洪水から避難しようとした時に、泥の中に埋もれていた遺体を踏んでしまった、と怯えていると聞きました。次第に平静を取り戻しつつあるように見えるラダックの人々ですが、その心の中には、洪水の記憶の爪痕が今も深く残っています。
インドのシン首相は、先日ラダックの被災地を視察した際、災害支援パッケージとして125クロールルピー(約25億円)の用意があることを発表し、「病院、学校、電気、道路をすぐに再建する。すべての復興作業は、この先2ヵ月半以内、冬が来る前に終わらせる。資金は問題ない」と述べたといいます。実際、被災者に対する食料の配給は、インド政府や各支援団体によって行われており、今のところそれほど危機的な状況ではありません。飲料水を確保するための浄水機器や、テントや毛布なども供給されていると聞きます。
とはいえ、すべての援助がうまくいっているかというと、そういうわけでもありません。ある団体から送られてきた毛布や衣服が、冬を耐えしのぐにはあまりにもうすっぺらだったとか、やたらめったらペットボトルのミネラルウォーターばかり送られてきて逆に困っているとか、コミュニケーション不足や認識不足によるトラブルはよく起こっているようです。
被災者の側でも、ほんのわずかしか家にダメージがない人や、もしくはまったく被災していない人が、何食わぬ顔で何度も配給品を受け取りに行っているとか、被災者たちの間で配給品の奪い合いになったところもあるとか、いろいろと問題が発生しています。一部の支援団体では、募金で集めた現金を被災者に直接手渡すことを計画しているようですが、正直、浅慮であると言わざるを得ません。
ラダックの人々がこれから立ち直っていくために必要なのは、いかに的確に、必要とされている箇所に必要なだけのお金や物資を供給していくか、ということに尽きると思います。たとえば、LEDeGでは今、チョグラムサル近郊の土地に、恒久的なシェルターを建設していくことを計画しています。それには少なからず費用と時間がかかりますが、ラダックの厳しい冬をテントだけでやり過ごすことの困難さを考えると、一刻も早く着手すべき部分です。
ほかにも、学校に行けなくなってしまった子供たちをほかの地域の寄宿学校に通わせるための学費を確保するとか、対処が急がれるテーマがいくつもあります。こうした用途に計画的に資金を投入していくことが、ラダックの真の復興のために必要なことではないでしょうか。
ラダックの人々のために何をすべきか、今一度冷静になって考えてみるべきだと思います。
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