僕がラダックで暮らしていた頃から、二年近くの月日が流れました。「ラダックの風息」を読んでくださった方からは、今でもよくこんなことを訊かれます。
「でも、何でラダックだったんですか? どうしてラダックを選んだんですか?」
‥‥これは難しい質問です(苦笑)。どうして僕がラダックを選んだのか、かいつまんで一言で言い切ってしまうと、本の中でも書いたように「一目惚れのようなものだった」のだと思います。でも、そこをあえて、もう少し掘り下げて考えると‥‥。
僕がラダックにいた時に感じていたのは、何というか、「生きている手応え」のようなものだったのではないかと。
何もかもが便利で行き届いていて、でも煩わしいくらいに複雑な日本に比べると、ラダックはものすごくシンプルで、そして比べものにならないほど厳しい場所でもあります。そうした場所に身を置くと、余計な飾りをすべて剥ぎ取られた、完全に素の状態の自分と向き合うことができる。自分の弱さや情けなさを思い知らされながら、精一杯あがいていると、日本では感じることのできなかった「手応え」を、ふっと感じることがあるのです。
標高5000メートルを越えるルプシュの山中を、一人ぼっちで歩いていた時。周囲は見渡すかぎり、空と険しい山ばかり。酸素は平地の半分ほどしかなく、必死に両足に力を込めても、スローモーションのようにしか動かない。顔を上げて前を見ることさえできずに、歯を食いしばって峠の頂上を目指していた僕の足元には‥‥。
写真のような、黄色くて小さな花が、平たい岩の間から、びっくりするほどたくさん咲いていました。
あの時、あの場所で、あの小さな花たちが咲いていたことを忘れないでいたい。うまく言えませんが、たとえばそれが僕にとっての「手応え」で、ラダックを選んだ理由、そしてまたラダックに戻る理由なのだと思います。
初めてコメントします。今朝、ラダックの風息を読み終えてブログも初めて拝見しております。
表紙の素敵な笑顔に一目ぼれでした!!
「人生は長い。キャンの尻尾も長い」
今は、言葉になりませんが、心に響く言葉です。
今年の夏、ラダックへ行かれるとのこと。
ラダックの風を日本へ吹き込んでくださるのを楽しみにしております。
>吉田さん
はじめまして。コメントありがとうございます。本、読んでいただいてありがとうございます。ラダックは約二年ぶりですが、自分にできることを少しずつ積み重ねていけたらと思っています。
初めまして。堤といいます。突然ですが7月にラダックに行きます。
昨年、4月にダラムサラのルンタ・レストランでご本を紹介されてからいろいろありまして、まるで導かれるように行くことになりました。
お会いできるといいですね。
>堤 京子さん
はじめまして。コメントありがとうございます。
そうですか、ルンタで‥‥。一年ほど前、知人の方がわざわざ一冊あちらに持っていってくださったそうなのですが、それがめぐりめぐって、堤さんがラダックに行かれることになったと思うと、何だか不思議ですね。よい旅になることを祈っています。