三年三カ月三日の瞑想

二年前の冬、イグーという村に滞在していた時のこと。僕は村からさらに北の人里離れた山奥にある、ケスパンと呼ばれる場所を訪れました。

ケスパンの標高はイグーよりさらに高く、4000メートル近くはあったのではないでしょうか。周囲はすっかり白銀に覆われ、僕たちが乗っていた車も途中でタイヤが氷で滑って前に進めなくなり、乗客全員が降りて、後ろからえいやえいやと押したりしながら、なんとか辿り着いたという感じでした。

ケスパンは一種の修行所で、いくつかある平屋建ての建物の一つでは、四人の僧侶が瞑想を行っていました。もちろん建物の中をのぞくことはできませんでしたが、彼らは三年と三カ月と三日、瞑想の修行を続けるのだそうです。吹きすさぶ風の音しか聞こえないこの山奥で、気の遠くなるような時間を瞑想に捧げるというのは、いったいどんな気持がするものなのでしょうか。チベット仏教の僧侶たちの敬虔さ、ひたむきさをあらためて感じた出来事でした。

建物の外では、一人の老僧が、寒さに震える僕たちにチャイをふるまってくれました。

「ほう、あんたはシャクティにいたのかね? どこの家に‥‥? ああ、ツェリン・ナムギャルならよく知っとるよ」

「写真を撮ってもいいですか?」とラダック語で聞くと、老僧は強烈な日射しから目を守るためのサングラスを外して、にっこりと微笑んでくれました。

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