Days in Ladakh

「腑に落ちる写真」をめざして

2018年の最初の旅の目的地は、ラオスでした。バンコク経由で古都ルアンパバーンに入り、そこからさらに北へ。中国との国境にほど近い町、ムアン・シンを拠点に、本当に国境スレスレの山中に点在する、アカ族やヤオ族といった少数民族の人々が暮らしている村々をトレッキングで訪ねて回るという旅をしてきました。

雨季にはドロドロにぬかるむ未舗装の道がやっと通じているかどうかというそれらの村々では、僕のような外国人はまだまだ珍しいらしく、村で出会った子供たちも、僕がカメラをちょっと持ち上げただけで「キャーッ!」と蜘蛛の子を散らすように全速力で逃げたり、さらには、100メートルも離れた場所から僕の姿を見ただけで、なぜか号泣しはじめる子もいたり(笑)。僕はラオス語は「サバーイディー(こんにちは)」と「コーブチャイ(ありがとう)」くらいしか知らないので、村の子供たちとも表情と身振り手振りだけでやりとりしていたのですが、そういう体験もひさしぶりといえばずいぶんひさしぶりで、ラダックを取材しはじめたばかりの頃の自分を思い出して、ちょっと愉快な気分にもなりました。

トレッキング2日目の朝、ヤオ族の人々が暮らす村、ナムマイを訪れた時のこと。一軒の家の前に、小柄でやせたおばあさんが座っていて、僕の道案内をしてくれていた現地人ガイドの男性に「おみやげを買っていかないかい?」と声をかけてきました。ちょうど僕もトレッキング中にどこかで安いおみやげを買いたいと思っていたので、おばあさんとその娘さんたちが見せてくれた、少数民族の作る布の端切れを使った小さなポーチを一つ買うことにしました。2万キープ、300円くらい。

で、その時、ガイドさんを通じて「ついでに、おばあさんの写真を一枚撮らせてもらいたいんだけど、いいですか?」と聞いてみてもらったところ、おばあさんは急に「えっ……あたしの? 写真を? ここで?」と、まるで十代の女の子のようにそわそわしはじめて(笑)、「ちょ、ちょっと待ってて。着替えてくるから!」と、家の中に駆け込んでいって。で、しばらく待っていると、深い藍色の上着に、真紅のマフラー、伝統的な柄の腰巻と、ヤオ族の民族衣装を全身にまとったおばあさんが現れたのです。変わったのは衣装だけではありません。ほんのり上気した穏やかな表情も、瞳の輝きも、全身から匂い立つような自信も、最初に会った時とはまるで別人のようでした。この土地で長い歳月を生き抜いてきた、一人のヤオ族の女性の誇らしげな姿が、僕の目の前にありました。「コーブチャイ」と口の中で言いながら、僕は慎重にカメラを構え、焦点を合わせて、何度かシャッターを切りました。

写真というものは、テーマの選び方も、撮り方も、人によって千差万別です。それらの写真を好きかそうでもないかと判断する基準も、見る人一人ひとりの感覚や好みによって千差万別です。「こうして撮れば必ずいい写真になる」とか「こういう写真は絶対にいい写真」というものは、たぶんほとんど存在しないのではないかと思います。

ただ、僕自身の場合、いろんな場所で写真を撮っている中で、「ああ、これだ」と、すとんと腑に落ちるような写真を撮らせてもらえることが、時々あります。それは、構図や光や被写体がどうこうというのではなく(それももちろん大事ですが)、その場の状況とか、撮り手である自分の気持ちとか、相手がいればその人の気持ちとか、そういうものがすべて自然にシンクロして、すとんと腑に落ちる形で撮れる写真のことです(うまく言えないなあ……伝わりますかね?)。文章を書く時の感じ方、捉え方も、僕の中では写真を撮る時ととてもよく似ています。

たとえそういう腑に落ちる写真あるいは文章でも、すべての人に受け入れられるとは思っていません。でも僕は、写真や文章を通じて何かを伝えることを生業にする人間として、相手にも自分にもその場の状況にも、できるだけしっくりと腑に落ちる形で撮らせてもらう努力をしたいし、文章も同じような気持ちで書いていきたい。それが撮り手として、そして書き手としての、最低限の誠意なのではないかな、と思っています。

これからも、すとんと腑に落ちる写真と文章を少しでも多く世に送り出せるように、こつこつ、ちまちまと、がんばっていければと思います。

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