知られざるザンスカールの秘境、ルンナク渓谷の夏と冬

ザンスカールの中心地パドゥムから南東に位置する、ルンナク渓谷。ルンナク川が削り出した急峻な谷が続くこの一帯には、バルダン・ゴンパやムネ・ゴンパなどの僧院のほか、小さな村や集落が、ぽつんぽつんと点在しています。未舗装のデコボコ道が川沿いに一本走っているほかは、人馬が歩けるトレイルがあるだけで、ザンスカールの中でもかなりの秘境とされている地域です。僕はこのルンナク渓谷を、夏に何度か、冬に一度、旅した経験があるので、その時の写真をまとめて紹介しようと思います。

ルンナク川沿いの巨岩の上に建つ要塞のような佇まいが印象的な、バルダン・ゴンパ。ブータン系ドゥクパ・カギュ派の僧院で、座主はバルダン・リンポチェ。同じ宗派のラダックのスタクナ・ゴンパも同じ座主で、そちらではスタクナ・リンポチェと呼ばれています。数年前に転生者と認められたばかりの少年です。

川沿いの急斜面に、わずかな畑とともにある小さな集落。この場所で最初に住み着こうと思った人は、何を思ってわざわざここを選んだのか……。本当に不思議です。

ルンナク川に流れ込む沢に架かっていた、昔ながらの細い橋。ああ見えて意外に丈夫で、人や馬が渡る分にはまったく問題ありません。

川沿いの急斜面にしつらえられたトレイルは、この程度の幅しかありません。ただ、1、2年前には、ルンナク川沿いの未舗装の道路はほぼ全部開通したので、夏はこうしたトレイルを歩く必要はなくなりました。ちょっとさみしいような気もします(笑)。

民家が二軒、仏塔が一基、畑と木立があるだけの、ささやかな、でも、とても美しい集落。

ツァラプ川とカルギャク川が合流してルンナク川となる地点にほど近い高台にある村、チャー。ここからツァラプ川沿いを北に遡ると、プクタル・ゴンパに行き着きます。

カメラを持つ僕を目ざとく見つけて、興味津々で集まってきて、いたずらっぽくポーズをキメる、チャーの子供たち。

水場で野菜を洗った帰りに、ちょっと恥ずかしそうに立ち止まって、写真を撮らせてくれた、チャーの女の子。本当に、良い村でした。

ここからは、冬にルンナク渓谷を訪れた時の写真になります。バルダン・ゴンパは、鈍色の雪景色の中で、時に取り残されたかのような姿で屹立していました。

ほぼ同じ場所から撮った写真でも、夏と冬とでは、まるで別の世界のように見えてしまいます。ザンスカールの中でも、ルンナク渓谷は特に積雪量の多い地域で、頻発する雪崩で未舗装の道路も寸断されてしまうため、徒歩でしか行き来することができません。

一面の雪に閉ざされた集落。夏の間に丹念に蓄えておいた食糧と燃料で、人々は長く厳しい冬を凌ぎながら暮らしています。そうした暮らしは、何百年もの昔からこの地でくりかえされてきました。

ルンナク渓谷の中ほどにある村、イチャール。この一帯では比較的大きな村です。村を見下ろす高台には、華やかな彩りのチャンバ(弥勒菩薩)像があって、信心深い村人たちは、冬の間もその周りを時計回りにコルラしていました。

民家の屋根に積み上げられた、燃料にする薪や、家畜たちの飼葉。夏の間は山の中で放牧されているヤクやディモ、牛たちも、冬の間は身体の強いヤク以外は村で養われているそうです。

ナンブーと呼ばれる分厚いフェルトで仕立てられた冬用のゴンチェをまとった、イチャールの老人。年輩の人の多くは常に数珠を携えていて、口の中で真言を唱えながら指で数珠を手繰っています。

村の学校で習ったらしい英語で「ハロー!」と僕に声をかけてきて、僕が少しラダック語を話せるとわかると「なあんだ」とにっこり打ち解けてくれた、イチャールの女の子たち。

旅の途中に立ち寄ったガラシサという小さな集落で、一軒の家にお邪魔しました。陽の射し込む居間兼台所で、ブン(簡易版の経典)を読む夫と、茶をいれる支度をする妻。心にじんと沁み入るような、美しい光景でした。

アンムーという村の民家で、近くの尼僧院から招かれた尼僧たちが、村人たちのために読経を行っていました。ルンナク渓谷で暮らす人々にとって、夏は冬を耐え凌ぐための準備の期間で、村と村の間の行き来もままならない冬は、仏に祈りを捧げ続ける日々なのだと思います。

冬のルンナク渓谷での出来事については、拙著『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』の中で詳しく書いていますので、よかったらぜひ。

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