2024年夏のラダック・ザンスカール・ルプシュツアー、参加者募集中!

ワンペン、ワンチョコレート

上の写真は、バングラデシュのプティヤという町で出会った子供たち。

バングラデシュ政府観光局が主催するファム・ツアーから、先日無事に帰国しました。自由時間がまったくないほどぎゅうぎゅうに詰め込まれた日程で、撮影に時間を割くこともままならない旅でしたが、それでも、バングラデシュという国の素朴な魅力は十分に伝わってきました。この国の入口に立つ機会を得られたというだけでも、今回の旅には意味があったかなと思います。

今回のツアーに参加したジャーナリストたちも、バングラデシュ側の人々も、ともに口を揃えていたのは、バングラデシュの一番の魅力は”人”である、ということ。正直言ってこの国は、雄大な景観や見応えのある遺跡などといった見どころに関しては、隣国のインドに勝てない部分も多いのですが、人々の心根の素朴さとやさしさ、人なつこさには、本当に心が洗われました。こちらを見かけると誰もがうなずき、あるいは笑顔で接してくれて、ちゃんと交渉すれば快く写真を撮らせてくれることがほとんど。逆に、こちらが彼らのケータイで一緒に記念撮影されることもしょっちゅうでした。

でも、そうした”人”の魅力は、とてももろく、ともすると簡単に損なわれてしまうものだとも僕は感じています。それは、同じく”人”という魅力にあふれるラダックでも同じことです。

たとえば、子供たちが口にする「ワンペン、ワンチョコレート」という言葉。ラダックでもたまに耳にしますし、バングラデシュでも時々そういう子供たちに出会いました。そう口にすれば、たまに観光客がボールペンや舶来もののお菓子をくれることがあるからなのでしょう。でも、僕たち旅行者が、現地の子供たちにやたらめったらお菓子やものを配るのは、はたしていいことなのでしょうか? 正直、僕はかなり懐疑的です。たとえば自分の子供が、外国人に出会うたびに「ワンペン、ワンチョコレート」と口走りながらたむろしているのを想像してみてください。それが人として魅力ある行動と言えるでしょうか?

自分たちよりも豊かではない国の子供たちだからとか、その場でご機嫌を取りたいからとか、そんな安易な気持だけでお菓子やペンをばらまくのは、本当の意味でその国の人々や子供たちのことを思いやった行動とは言えないと思います。

要は、配るにしても、配り方次第なのでしょう。たとえば、ボールペンを配るなら、いきなり子供たちに配るのではなく、その村の学校の先生にまとまった数を託して、先生から配ってもらうとか。お菓子の場合なら、たとえばその村の商店にあるお菓子を買って、まず自分が食べてから、周囲に子供がいれば一緒に食べるとか。何というか、その国の人々や子供たちの誇りや立場などを少しでも思いやって、自分自身も同じ目線に立つ努力をしながら接するべきだと思うのです。でなければ、その国の”人”の魅力を担っていくはずの子供たちの心は、簡単に損なわれていくことでしょう。

今度の旅先で、「ワンペン、ワンチョコレート」という言葉を耳にしたら、そんなことについてもちょっと考えてみていただけたら、と思います。

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