ここ最近、自分の本と仕事関連のツイートばかりだったので、たまには違う話題を。今年の3月と4月、2人の知人の方がそれぞれチベットを題材にした本を上梓されたので、その2冊を紹介しようと思います。
1冊目は、『パンと牢獄 チベット政治犯ドゥンドゥップと妻の亡命ノート』。著者の小川真利枝さんは映像やラジオのドキュメンタリー制作をはじめ、チベット関連では、チベット本土で映画を撮ったことで逮捕された夫ドゥンドゥップ・ワンチェンの釈放を待ちながら、ダラムサラで手製のパンを売って家族を養いつつ暮らす女性、ラモ・ツォを追ったドキュメンタリー映画「ラモツォの亡命ノート」の監督・撮影・編集を手がけられたことで知られています。
今回の『パンと牢獄』では、その映画を撮影した経緯をあらためてなぞりつつ、終盤に映画の完成後に米国への亡命に成功したドゥンドゥップへのロングインタビューが組み込まれています。このロングインタビューが本当に、凄まじい内容で……21世紀にもなって、隣国ではこんなことがいまだに行われているのかと、慄然としました。
読み進めながら強く感じたのは、小川さんの語り口が非常に公平で冷静だということ。こういうテーマの作品は、ともすると書き手の主義主張や思い入れがあふれてバランスを崩してしまいがちですが、この本では小川さんが見聞きして調べた事実をきちっと積み上げて組み上げられていて、ラモ・ツォとその家族に対しても時に客観的なまなざしを向けて、偏りのないバランスを保つことに成功しています。そうした冷静な目線で捉えているからこそ、喜び、悲しみ、強さ、弱さ、したたかさなど、ラモ・ツォたちの「人間らしさ」を素直に受け取ることができたように思います。
2冊目は、『月と金のシャングリラ 1巻』。漫画家の蔵西さんがマトグロッソで3年以上にわたって連載してきた(偶然にも今日が最終回の掲載日だったそうで……本当にお疲れさまでした)コミックの1巻目です。
舞台は、1940年代から50年代にかけてのチベット。山奥にある僧院で、ともに旅していた父親になぜか置き去りにされた少年ダワ。彼は沙弥となって、仲間のドルジェやガワンらとともに成長しながらも、心のどこかで父親を待ち続けるのですが……。せつない物語です。時代背景も、チベットにとってもっとも苛酷な(そしていまだに終わらない)時期の幕開けの頃ですし。8月に発売される完結編となる2巻では、当時のラサの様子なども描かれるはずです。
蔵西さんとはこれまでに、イベントその他で何度もお目にかかって、いろいろお話しさせていただいているのですが、チベットのことが本っっ当にお好きで、好きすぎてやばいんじゃないかというくらいのレベルに達しておられる方です(笑)。この『月と金のシャングリラ』でも、僧院の内部や仏像・仏具、僧衣、民族衣装、僧侶たちの暮らしぶりなどが、尋常でないくらい細かく丁寧に描きこまれています。膨大な量の資料に目を通して検証しなければ、とてもこんな風には描けないでしょう。そうしたディテールの積み重ねが、架空の僧院でのダワやドルジェたちの物語に、生き生きとしたリアリティを与えています。
小川さんの本も蔵西さんの本も、それぞれのライフワークとも呼べるテーマに真正面から取り組んでおられて、本当に読み応えがありました。ノンフィクションとフィクションの違いはありますが、どちらの作品も、チベットという土地とそこに生きる(あるいは生きていた)人々について、きちっと本質を捉えているという点では共通している気がします。今の時代を生きる人が、これらの本を、かの地について知るきっかけにしてくれたら、と思います。
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