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風景を撮るのも、人を撮るのも

「旅先で人の写真を撮る時は、どんな風にして撮ってるんですか?」という質問をされることが、割とよくある。人の写真がどうもうまく撮れない、何かいい方法があるのではないか、と思っている人が多いらしいのだ。

僕も写真で駆け出しの頃は(まあ今も駆け出しみたいなものだけど)、人を撮る時には、それ以外と何か違うアプローチがあるのでは、と手探りしていた時期があった。でも最近は、風景を撮るのも、人を撮るのも、自分にとっては同じことだな、と思うようになった。

こう書くと、「風景はその場にいれば誰でも同じように撮れるから、人を撮る方が難しくて技術が必要なのに決まってる」とか、あるいは「人を風景と同じようにモノ扱いして撮っているのか」と受け止める人もいるかもしれない。でも、僕にとっては、どちらもそうではない。人を撮るのに使う技術と同じくらい、風景を撮るのにもいろんな技術が必要になる(僕はそれらのごく一部しか使えていない)。そして僕は、特にここ数年、風景を撮る時にも、人を撮る時と同じように、その場面に気持を注ぎ込もうと考えながらカメラを構えている。気持を注ぎ込めば山や海が微笑んでくれるわけではないとは思うけど、何というか‥‥そこには何かの差が生まれるような気がするのだ。気持を注ぎ込んだ自分ならではの。

何だか雲をつかむような話になってしまったけど、風景を撮るのも、動物を撮るのも、人を撮るのも、僕にとってはやっぱり同じだなと思う。

「カワイイ」がわからない

仕事の参考資料に、女性向けのカメラ雑誌を買った。

こういう雑誌を家でじっくり読むというのは初めての経験だったのだが、ある意味すごいなあと思ったのが、「カワイイ」に対する編集部のこだわりだ。子供、女性、ペット、花、小物、イルミネーション。あらゆるものをかわいらしく撮るためのコツやテクニックが網羅されている。それだけ世の中のカメラ女子の方々は、「カワイイ」写真に惹かれているのだろう。

正直、僕はそういう「カワイイ」写真の撮り方はよくわからない。そもそも、何が「カワイイ」かどうかの基準なのかがわからないし。僕が過去に撮ったラダックの子供の写真とかで、見る人に「カワイイなあ」と思ってもらえるものがあるとしたら、それは、元からかわいらしい子供にたまたま出会って、そのありのままの姿を、何も考えずに撮らせてもらっただけだ。

たぶん僕は、いつまでたっても「カワイイ」写真の撮り方がわからないままなんだろうな(苦笑)。

消えていく写真店

昼、電車で新宿へ。写真を何枚か引き伸ばしてプリントする必要が出てきたので、新宿西口にあるキタムラに行く。

実は昨日、吉祥寺のヨドバシで一度プリントしてみたのだが、申し込む時にうっかり補正を相手任せにしてしまったところ、写真全体を思いっきり黄味がかった処理にされてしまった。少々なら目をつぶるが、色の転び方が完全に許容範囲を超えてしまっていたので、店を変え、補正なしにして出力し直すことにしたのだ。今度はまずまずうまくいった。

考えてみれば、写真店で写真をプリントしてもらったのも、何年かぶりだ。以前は三鷹駅北口界隈に二軒ほど写真店があり、もっぱらそこでプリントしてもらっていたのだが、今はその店もなくなってしまった。フィルムの衰退や高性能な家庭用プリンタの普及とともに、写真店はどんどん減っていく運命にあるのだろう。

フィルムカメラを使っていた頃、どこかに旅に出て帰ってくるたびに、選んだ写真を手焼きプリントで引き伸ばしてもらって楽しんでいたのが、遠い昔のことに感じられる。何だか寂しい。

「横道世之介」

yonosuke

この間、Apple TVで「横道世之介」という映画を借りて観た。いろんなところでいい評判は聞いていたけれど、それでも予想以上にいい映画だったので、びっくりした。今でも思い出すと、胸のあたりがほわほわしてくる。

1987年の春、故郷の長崎から上京して、大学に通いはじめた主人公、横道世之介。素直なんだけど、どこか人とズレていて。ズレてはいるんだけど、でも、彼なりにまっすぐに歩いてて。のんきでお人好しで、普通すぎて笑っちゃうくらい普通の人。大学とバイトと、恋と憧れと友達と、貸してもらった一台のカメラ。そんな世之介の穏やかな日々。そして、その16年後に起こった出来事‥‥。

「おれが死んでもさあ、みんな泣くとやろか?」
「世之介のこと思い出したら、きっと、みんな笑うとじゃなかと?」

もう遅いかもしれないけど、できれば僕も、みんなに笑って思い出されるような人でありたい。