仕事が一時的に落ち着いて、天気もそこまで暑くならなさそうだったので、陣馬山から高尾山までの縦走に出かけた。
日帰り山歩きに出かけるのは、五月に丹沢表尾根縦走をしてきて以来だから、およそ四カ月ぶり。なにせ、今年の夏は六月くらいから、めちゃめちゃ暑くなってしまったので……。山歩きや自転車はもちろん、近所をちょっと出歩くのも暑すぎて、歩行距離が全然稼げなかったから、脚力がどれくらい落ちているか、ちと心配なところではあった。
この間、近所の図書館に行って、本を借りた。仕事で、二冊ほど児童書に目を通さなければならなくなり、カーリルで調べてみたら、家から一番近い図書館に在庫があるとわかったので。
家から歩いて15分ほどのところにあるその図書館を利用したのは、今回が初めて。図書館自体を利用したのも、ずいぶんひさしぶりだ(ラダック関連の資料本など図書館にはまずないし、そうした本自体、自分の書いた本以外にあまりないし)。平日の午前中でも、意外に利用者がちらほらいる。必要な本はすぐに見つかった。館内のパソコンで利用者登録をして、バーコードの付いた利用者カードを作ってもらう。本を貸し出してもらう時の手続きも、バーコードでピッピッ、とすぐに終わる。昔、学校にあった図書館の本には、表3の見返しの部分に手書きで記入する貸出カードを入れる紙ポケットがついていたが、ああいうのはもうないのだろうか。
近所の図書館、自分が興味を持てそうな本がもう少しあれば、引き続き利用してみたい気もするのだが、それには蔵書数が少々心もとない印象。これからしばらくの間、仕事でいろんな本に目を通すことになりそうなので、ドンピシャで在庫があれば、その時はまた……という感じかな。
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栖来ひかり『時をかける台湾Y字路 記憶のワンダーランドへようこそ』読了。台北を中心に著者自らが足で探し出した数々のY字路のルーツを、古地図や資料と重ね合わせながら紐解いていった、不思議な雰囲気の街歩きガイド。よく調べて書かれていると思うが、先に台湾で刊行された本をもとに日本オリジナル版として作ったからか、台北各地の地名などがある程度頭に入っていないと、少々とっつきにくいかなと思う(僕自身も苦戦した)。台湾が好きで何度も訪れている人には、ちょうどいいのかもしれないが。
『流離人のノート』
文・写真:山本高樹
価格:本体2200円+税
発行:金子書房
四六変形判 304ページ(カラー54ページ)
ISBN 978-4-7608-2700-8
配本:2025年10月16日
2023年夏から金子書房のnoteで2年弱ほど担当した連載エッセイが、書籍化されることになりました。連載分のほか、単発で執筆したエッセイと書き下ろしを加えています。収録している写真の約3分の1は、20年以上前にフィルムカメラで撮影したもので、カバーの写真もそのうちの1枚です。
これまでに書いてきた本の中でも、自分にとっての「旅」という行為に、もっとも真正面から向き合った一冊になっていると思います。ポルべニールブックストアでは、特典小冊子付きサイン本のオンライン予約を受付中です。よかったらぜひ。
インドから日本に戻ってきて、二週間ほどが過ぎた。
今回に限らないのだが、最近はラダックに少しの間行っていても、異国を旅してきたという感触が、正直あまり残らない。ラダック界隈は好きな土地だし、いられるものならいくらでも滞在していたいのだが、もう、あまりにもどこもかしこも知り尽くしてしまっているので、生半可な体験では、新鮮な風を自分の中に送り込むまでにはならないのかもしれない。チャダルを旅したり、雪豹を撮ったりするのに匹敵するような新たな経験を、あの土地でできるのであれば、話は別だけど。まだ残っているのかな、そういうテーマ……。
今はたぶん、自分がまだよく知らない土地を右往左往しながら旅してみて、新しい風を自分の中に取り入れてみる必要があるのかな、と思っている。そういう、右往左往する旅の仕方自体を、捉え直してみたい気もするし。
そういう旅の時間は、実は、そう遠くないうちにやってくる。そろそろ、少しずつでも、準備を始めねば。
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沢木耕太郎『天路の旅人』上下巻、読了。第二次世界大戦末期から戦後にかけて、内モンゴルからチベット、そしてインドまで、最初は密偵として、のちに流浪の旅人として、八年にもわたる旅を続けた西川一三の足跡を辿ったノンフィクション。西川さんには遠く及ばないけれど、僕も似たような土地でしんどい思いをした経験はそれなりにあるので(苦笑)、身につまされるなあと思いながらも、楽しく読んだ。
特に旅の終盤、あらゆるしがらみから自由になり、一人でインドを放浪する西川さんの姿は、本当に幸福そうで、正直、少し羨ましく思えた。
「その最も低いところに在る生活を受け入れることができれば、失うことを恐れたり、階段を踏み外したり、坂を転げ落ちたりするのを心配することもない。なんと恵まれているのだろう、と西川は思った。」
一つ、気になる点を挙げるとしたら、この本で多用されている「ラマ教」や「ラマ僧」といった表記だろうか。こうした呼称は、もともと西洋の研究者がつけたもので、チベット仏教に対する偏見を招くとして、現在では使用されなくなっている。これからも長きにわたって読み継がれていくであろうこの作品で、こうした論議を呼ぶ表記が使われているのは、残念だ。ほかにも、細かい部分で「ん?」と感じた点がいくつかあって、全体的に校閲の力不足という印象は拭えなかった。
Filmarksのリバイバル企画で、「ライフ・イズ・ビューティフル」が期間限定で上映されると知り、観に行くことにした。ずっと以前、レンタルで観たことはあったのだけれど、スクリーンで見届けておきたい、と思って。新ピカに足を運んでみたら、小さめのスクリーンとはいえ、場内ほぼ満席。しかも思いのほか、若い人が多い。何だか少し嬉しくなった。監督と主演は、ロベルト・ベニーニ。
物語の前半は、陽気なお調子者のユダヤ系イタリア人グイドと、裕福な家庭に生まれた小学校教師ドーラとのなれそめが描かれる。そこから何年かが過ぎた後半は、第二次世界大戦末期にグイドたちが巻き込まれた、過酷な運命が描かれていく。前半では、グイドのお調子者っぷりがとにかくすごくて、主人公がずっとこの調子でぶっ飛ばしてて大丈夫?と思うほどなのだが、物語が暗く凄惨な舞台に移る後半では、そうしたグイドの変わらぬお調子者っぷりこそが、息子のジョズエを励まし、救っていくことになる。最後の最後までお調子者を貫き通したグイドの姿は、以前観た時も、今回も、深く深く胸に残った。
同時に思う。当時のホロコーストであれだけ凄惨な目に遭わされたユダヤ系の人々の子孫の一部が、八十年の時を経て、ガザで何万人ものパレスチナ人を殺戮し続けているのは、なぜなのだろう。僕には、どうしても理解できない。人間の業とは、かくも深きものなのだろうか。