Category: Diary

自然満喫


先週後半になってようやく仕事が少し落ち着いてきたので、金曜は早起きして、陣馬山から高尾山まで縦走してきた。半年ぶり。

陣馬山から高尾山までのルートでは、途中の各ポイントでの通過時間を以前にメモしておいたのだが、その後、何度歩いても、その時間からずれることはほとんどない。意識しているわけではないが、いつも同じ速度で歩いている。もっとも、同じ歩行速度でも、その時々の体調によって「今日はラクだなあ」という時もあれば「今日は体がなまってるな……」という時もある。今回は、だいたいいつも通りの平均的な感触だった。

しっとり湿った土を踏みしめながら、新緑の木立の下を歩くのは、やっぱり心地いい。身体の中に澱んでいたもの……疲れとか、ストレスとか、そういう澱みを、すっかり入れ替えてリフレッシュできたような気がする。

高尾山から稲荷山コースを下っていく途中、一匹のタヌキに遭遇した。最初から最後まで、ほんとに自然満喫の一日だった。

精神と時の部屋

今朝は起きた瞬間、ダメだ、と思った。頭の前半分が異様に重だるくて、ぼんやりしてしまう。身体もきつい。五月に入ってからの、いや、たぶん、それ以前から蓄積してた仕事やら何やらの疲労が、一気に噴出したのだろう。午前中は何も考えられなくて、頭痛薬を飲んで、ソファに横になっているしかなかった。

幸い、今日は急ぎの仕事もなかったので、終日オフにすることにした。昼になってだいぶ回復したので、午後は西荻のフヅクエへ。店内で最奥の位置にある、ほかの席からほぼ完全に死角になっている席にすべりこむ。お店の人からは、この席は「精神と時の部屋」と言われているそうだ。確かにここは、しばし時を忘れることができる。

鶏ハムのサンドイッチ、ショートブレッド、アイスコーヒーをいただきながら、トマス・エスペダルの『歩くこと、または飼いならされずに詩的な人生を生きる術』を読む。こういう時間が、もっと必要だ。ずっとベタ踏みのアクセルを、もう少しゆるめてみよう。

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アーシュラ・K・ル・グウィン『ゲド戦記』全六巻読了。二年くらい前に買っておいた岩波少年文庫のボックスセットを、一気に読んだ。若年層向けとはいえ、それぞれの物語を貫くテーマは、本当に深遠で……。稀代のストーリー・テラーがはためかせる想像の翼に乗って、アースシー世界での長い長い旅を、存分に愉しませてもらった。

海外では『The Books of Earthsea: The Complete Illustrated Edition』という、六冊とアースシー世界を舞台にした短編をすべて収録し、美しいイラストを添えた本が2018年に出ている。これ、二冊か三冊に分冊して、日本でも新訳で出してくれないかな……。岩波版の訳文も名作だとは思うが、さすがに古さを感じたので。その際は『ゲド戦記』とかではなく、原題に沿ったタイトルにしてほしい。

ぢっと手を見る

五月に入ってからも、ずっと忙しい。今年のゴールデンウイークは五連休とか、人によっては九連休とかだったらしいが、自分の場合は、五月に入って完全休養したのは一日だけかも。あとは、何だかんだで毎日原稿を書いたり、講座の宿題の添削をしたり、企画書を書いたり、あっちこっちにメールを書いたりしている。ちなみに、来週末の土日も、講師の仕事で両方つぶれる(苦笑)。まあこの日程も、OKを出したのは自分だから、仕方ない。

今日も昼に大学案件のリモート取材があって、その後も大学案件の原稿を二本くらい書いた。二本目を書き終えた時、「これでやっと、次の原稿に取りかかれる……!」と考えてしまっていた自分がいて、我ながらちょっとどうかと思った。こんな精神状態がずっと続くような状況は、あんまりほめられたもんじゃない。仕事がまったくないよりは、全然いいんだろうけど。

書き仕事も、撮影の仕事も、編集の仕事も、技術的には年々向上できている自信はそれなりにあるけれど、世間でのこの種の仕事の報酬の相場は、年々下がってしまっている。やりがいを感じながら懸命に働き続けても、結果として消耗し続けていくのであれば、その先行きは知れている。

そろそろ、いろいろ考えた方がいいのかもしれない。自分自身がすべきことは何なのか、きちんと見定めた上で。

土曜と日曜

先週の土曜と日曜は、ひさしぶりに二日続けての完全な休日。最近、よみうりカルチャーでの講師の仕事があったりして、なかなか休めなかったのだ。

土曜は昼に代々木上原のhako galleryに出かけて、鮫島亜希子さんと谷口百代さんのインドのおべんとうイベントへ。ダッバーワーラーの仕事ぶりを追った写真展もよかったし、現地のレシピで作ったというターリーもおいしかった。夜はコノコネコノコでこれまたおいしいごはんをいただいて、すっかりはらぱんの一日。

日曜は、食材の買い出しに近所に出かけた以外は、ずっと家にいた。ラジオを聴いたり、本を読んだり、コーヒーをいれてフルーツケーキを食べたり、夕飯にベンガル風の魚と野菜のジョルを作ったり。ただそれだけだったのだけれど、何だかとても豊かな時間を過ごせたような気もする。

人生には、余裕が、休みが、必要だ。しかしまあ、今日からはまた働かねばである。

ペッパーくん

Pepper(ペッパーくん)は、2014年6月5日に誕生した身長121cmの人型ロボットです。音声や胸のタブレットを通じてのやりとり、顔認識・感情認識などの多彩なセンシング機能を搭載しており、人を惹きつけ笑顔にするそのキャラクターで、ご家庭や商業施設、教育施設、介護施設、オフィスなどさまざな場所で活躍しています。
(ソフトバンクのサイトより)

うちから徒歩数分の場所に、ソフトバンクのショップがある。用事がないので中に入ることはないが、通りに面してガラス張りの店の前を、毎日何度か行き来する。

店のドアから入ってすぐのところに、子供くらいの大きさの白いロボット、ペッパーくんが立っている。足はないが、頭と左右の手は人間の形状に近く、胸には液晶モニタがついている。顔の表情は、あるようでないというか、目の瞳孔が常に開いているようで、底なしの虚無感が漂っている。

以前、携帯の契約内容の変更か何かで店に入った時、ペッパーくんは別のお客さんのお子さん二人と、両手を指先まで細かく動かしながら、今二つ三つ噛み合ってない感じのやりとりをしていた。別のある日に店の前を通りがかった時には、周囲に誰もいないのに、ペッパーくんは斜め上を見上げながら、両手を宙でずっと動かしていた。誰と対話してたのだろう。彼にだけ、その人が見えていたのだろうか。

また別のある日、夜に店の前を通りがかると、薄明かりの中、両手を下げてがっくんとうなだれたペッパーくんが立ち尽くしていて、ぎょっとしたこともあった。

最近、近所のそのペッパーくんに、異変が起きている。顔はかろうじて正面を向いているが、背を丸め、両手をだらんと下げ、モニタは消えていて……動いていないように見える。コショウしたのだろうか。ペッパーなだけに……。

動くのをやめたペッパーくんは、通りから見えづらい柱の影に定位置を移され、力なく両手を下げたまま、開いた瞳孔で、今日も虚空を見つめている。