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「レオ:ブラッディ・スウィート」


「囚人ディリ」「ヴィクラム」に続く、ローケーシュ・カナガラージ監督の「ローケーシュ・シネマティック・ユニバース」(LCU)作品の第三弾「レオ:ブラッディ・スウィート」。主演はヴィジャイ、ヒロインにトリシャー、敵役になんとサンジャイ・ダットという豪華な顔ぶれ。

舞台は、ヒマーチャル・プラデーシュ州の小さな街。カフェのオーナーで、野生動物の保護活動もしている(凶暴なハイエナも手懐けて飼ってしまう)タミル人のパールティバンは、ある日の夜、店に押し入ってきた強盗団から娘と店のスタッフを守るため、全員を一人で叩きのめして射殺してしまう。裁判で正当防衛が認められたものの、ニュースに取り上げられたパールティバンの写真を見て、ある闇の組織が彼をつけ狙いはじめる。彼らはなぜか、パールティバンを「レオ」と呼ぶ。レオとはいったい何者なのか……。

物語の基本的な構造は、僕は未見なのだが、デヴィッド・クローネンバーグ監督の「ヒストリー・オブ・バイオレンス」という作品にヒントを得ているらしく、似ている部分も多いという。まあ、パールティバンは最初からあまりにも強すぎるので、普通の一般市民と考えるのは、誰が見てもさすがに無理がある。だから、結末までの道筋も何となく予想できてはいたのだが……最終盤でさらに超絶強すぎるヴィジャイが現れてしまった。いや、まじで強すぎ。たった一人でかよ、と……。

ただ個人的には、物語の中盤から幾度となく描かれていた、自らが犯した暴力や殺人行為に対するパールティバンの苦悩や逡巡や後悔の積み重ねが、最後の最後にすべて完全に裏返ってしまったことに、何というか……薄気味悪さのようなものを感じた。今作では描かれなかったパールティバン、あるいはレオの本当の心の内面は、これからLCUで続いていくであろう物語で描かれるのだろうか。

あと、ヒマーチャル・プラデーシュ州に、野生のハイエナはいるのだろうか。いなさそうな気がする……(苦笑)。ユキヒョウやオオカミなら生息地的にありえなくはないが、物語で描かれたような凶暴性を持たせるには、ハイエナの方が適役と判断したのかもしれない。まあ……映画だから(笑)。

「囚人ディリ」


インド・タミルのローケーシュ・カナガラージ監督が手がける映画作品群「ローケーシュ・シネマティック・ユニバース」(LCU)。今月初めに観た「ヴィクラム」はその第二弾で、先週から日本で公開されている「レオ:ブラッディ・スウィート」(来週あたり観に行こうと思案中)は第三弾となるのだが、LCUの最初の作品であるカールティ主演の「囚人ディリ」は、僕はまだ未見だった。池袋の新文芸坐で上映されるとの情報を得て、昨日の夜、観に行ってきた。会場はほぼ満席でびっくり。

妻を守るために暴漢たちを殺めてしまい、刑期に服す間にその妻にも先立たれてしまったディリは、釈放された後、一度も会ったことのない娘に会うため、彼女が暮らす孤児院を目指す。しかし、大量のコカインを押収した警察と、それを取り戻そうとするギャング団との争いに巻き込まれてしまう。昏睡状態の警官たちを積んだトラックを走らせるディリたちに襲いかかるギャングたち。地下深くに押収したコカインが隠された警察署は、赴任してきたばかりの警官ナポレオンと飲酒運転で補導された学生たちを残して、ギャングたちに包囲されてしまう。暗闇の中で繰り広げられる抗争の行方は……。

「ヴィクラム」のように複雑なトリックを織り交ぜたサスペンスではなく、カーチェイスや籠城戦、あるいはぶん殴りあいといった、シンプルなアクションでグイグイ引っ張っていく構成で、単純にエキサイトして楽しめる。冒頭にちらっと出た台詞で「これは伏線だな……」と予想はしていたが、最後にあれをぶっ放しまくったのは、あいかわらずの力技だなあ……と思ってしまった。きっと、監督の好みなのだろう(笑)。

「囚人ディリ」から「ヴィクラム」へのつながりも把握できたし(ビジョイ警部……)、これで「レオ」を観る準備は整った。さて、どうなるか。

「ヴィクラム」


リモート取材の仕事の予定が先方の都合でリスケになり、ぽっかり時間が空いてしまった。水曜だし、映画でも観に行こうと思い立ち、「ヴィクラム」を上映中の新宿ピカデリーに行った。製作と主演のカマル・ハーサンのほか、ヴィジャイ・セードゥパティ、ファハド・ファーシルが、それぞれ強烈なキャラで登場する。監督のローケーシュ・カナガラージは、「囚人ディリ」やこの作品、さらに今月下旬に日本で公開される「レオ・ブラッディ・スウィート」、そしてその後に続く作品群に関連性を持たせ、「ローケーシュ・シネマティック・ユニバース」(LCU)として展開していくのだという。

舞台はチェンナイ。謎の覆面集団による連続殺人事件が発生。捜査に加わった特殊工作員のアマルは、ドラッグの製造と売買で街を牛耳るギャングのボス、サンダナムに目をつける。サンダナムたちは、行方不明になっている大量のコカインの原料の所在を血眼で探していた。だが、捜査を進めるうち、アマルは殺害された被害者の一人、カルナンのことが気になりはじめる。無職の初老の男で、酒好き、女好き、いいかげんでもあり、善人でもある。彼はいったい何者だったのか……。

物語の前半は、アマルの目線で追っていく捜査の行方が、なかなか先の読めない展開で面白かった(さすがに、あの人がいきなり死んで終わるはずはなかろう、とは思っていたが)。ただ、インターミッションを過ぎたあたりで、各陣営の正体と立ち位置がはっきりしてからは、割と一直線にバーッと荒っぽく進んでしまった感がある。「マスター 先生が来る!」でも後半はそういう印象だったが、カナガラージ監督の作品は、クライマックスはひねった展開よりもイキオイ重視、みたいな傾向があるのだろうか。まだそれほど作品を観ていないので、わからないけど。

「復讐ではない」と言うヴィクラムの台詞とはうらはらに、まぎれもなくこれは、復讐の激情にかられた男たちの物語だったと思う。復讐がさらなる復讐を呼ぶであろうこのシリーズの果てには、どんな結末が待っているのだろう。

「バーラ先生の特別授業」

通常の仕事に加えて新刊発売関連のあれやこれやで疲労困憊のさなか、無理やり時間を捻出して、新ピカにタミル映画「バーラ先生の特別授業」を観に行った。主演はダヌシュ。個人的にも特に好きなタミル人俳優の一人だ。監督はヴェンキー・アトゥルーリ。

1990年代のインドでは、私立の学校や予備校が大勢の生徒を集める一方で、公立の学校は衰退の一途を辿り、高い授業料を払えない貧しい出自の若者たちは、学ぶに学べない状況に追いやられていた。そんな中、とある事情でチョーラワラム村の公立学校に赴任してきた数学教師、バーラ。貧困や差別、悪徳私立学校の経営者らと戦いながら、バーラは45人、いや46人の生徒たちに、学び続けることの素晴らしさを説いていく……。

観に行ってよかった。良い作品だった。シンプルでわかりやすいストーリーながら、中盤での絶体絶命の窮地に立ち向かう際の巧みな伏線回収が、「おお!」と膝を叩きたくなるほど見事。要所要所でダヌシュが発する台詞の数々も熱が籠っていて、胸にぐっとくる。ダヌシュは先生役が似合うと思う。もちろんアクションシーンでは完全無双(笑)。

何だか、観ているうちにぐんぐんアドレナリンが分泌されてくるような映画だった。僕もがんばろ。

「インターステラー」

2014年に公開されたクリストファー・ノーラン監督のSF映画「インターステラー」。僕はこれまで未見だったのだが、公開から10周年を記念して、期間限定でIMAX再上映されるというので、観に行ってきた。

考えてみると、IMAXで映画を観ること自体、何だかんだで初めてだったのだが、巨大なスクリーンに投影される映像の鮮明さと奥行きの深さ、全身にずしんと響く音響の臨場感に、圧倒された。惑星の影を飛ぶ宇宙船、ブラックホールの歪な姿、海の惑星、氷の惑星……。視覚と聴覚が完全にジャックされてしまったかのような、ものすごい没入感だった。

そうした没入感を味わえたのも、「インターステラー」という作品なればこそ、の部分も大きかったのだろう。監督が徹底的にこだわり尽くしたという、細部に至るまで徹底されたリアリティ。だからこそ、観客は映像に、音響に、物語に惹き込まれ、彼らとともに宇宙を旅することができる。

観終わった後、頭が完全にぼーっとしてしまって、元に戻るまで何時間もかかってしまった。あれはたぶん、「宇宙酔い」だったのだと思う。