パセリの去就

昨日の午後、実家から野菜が届いた。箱を開けてみると、結構な量のパセリが入っている。その日の夜、母から電話がかかってきたので、なぜにパセリと聞いてみると「立派に育てられたから」とのこと。ともあれ、香りが飛ばない新鮮なうちに、何とかせねばならぬ。

とりあえずすぐ思いつくのは、パスタの仕上げに刻んだパセリを和える方法。即席のパスタソースを使う場合、僕はいつもパスタを茹でてる横で片手鍋にソースをあけて温めておく(温まったら火はすぐ切る)ので、茹で上がり直前に細かく刻んだパセリをソースの方に入れ、湯切りしたパスタをその上に投入してよーく混ぜ、パセリにほどほどにパスタの熱が通るようにする。こうすると生のパセリでも結構食べやすく、香りもいい。

あと、リトスタのミヤザキ店長から教えてもらったのは、刻んだパセリをオリーブオイルでさっと炒め、鰹節と醤油を合わせると、良い感じのふりかけになるという調理法。パセリのふりかけ。なんかうまそうだ。パセリの在庫はまだまだあるので、今度やってみよう。

ラダックツアーとトークイベントのお知らせ

いきなりですが、お知らせを2つほど。

今年の夏、8月17日(月)から23日(日)頃にかけて、ラダックで催される現地発着ツアーのガイドを務めさせていただくことになりました。日本の旅行会社GNHトラベル&サービスと、サチさんが経営するラダックの現地旅行会社Hidden Himalayaとの共同企画ツアーです。詳細はこちらのサイトにて。

もう1つ、そのツアーの紹介もうっすら兼ねた形で、5月24日(日)の夜に下北沢の書店B&Bにて、ブータン写真家の関健作さんとのトークイベントを開催することになりました。関さんと僕がなぜ異国の地に向かったのか、そこで何に出会い、何を感じ、何が変わったのか、その根っこの部分から掘り起こすようなトークができればと思っています。イベントの申し込みはこちらのサイトにて。

どちらも、もしご都合の合う方がいれば、よろしくお願いします。

「本気を出す」ということ

出口の見えない出版不況の今、多くのフリーランスのライターやフォトグラファーにとって、厳しい状況が続いている。そんな中でも、新たにライターやフォトグラファーになりたいという人は世間には結構多いらしい。

たとえばライターでは、ウェブライターとかネットライターとかいう肩書きで、1文字0.5円とかそれ以下という異様に安い報酬で文章を量産している人も少なくないのだとか。報酬はお小遣い以下でも、それでライターを名乗れるのなら、ということなのだろうか。まあ、どんな仕事を選ぶのかは人それぞれだけど、正直言って僕には、1文字0.5円でしか扱われない仕事の積み重ねが、ライターとしての明るい未来につながっているとは到底思えない。そうやってただ無闇に量産されて忘れられていくだけの言葉に、はたしてどれほどの存在価値があるのだろう?

それでも、どうにかして真っ当なライターに、あるいはフォトグラファーになりたいという人は、一度、何らかの形で「本気を出す」べきではないかと思う。仕事の場で実現できるのが一番いいけれど、それが叶わないなら、自分のサイト上とかでも構わない。自分で自分に言い訳ができないくらい、本当の本気で、自分にとって一番大切な物事について文章を書いてみる、あるいは写真を撮ってみる。そうして全身全霊をかけて心血を注いで文章や写真に取り組んで、それを人に見てもらえば、自分自身の実力がどれほどのものかよくわかるし、その時点での自分の欠点も見えてくる。何より、なぜ自分は文章を書きたいのか、あるいはなぜ写真を撮りたいのかがわかってくる。

ライターになりたいからとか、フォトグラファーになりたいからとかではなく、何を書きたいか、何を撮りたいのか、どこかで一度本気を出して、周囲と自分自身に問いかけてみるといいんじゃないかなと思う。

「Joni Mitchell the Studio Albums 1968-1979」

Joni Mitchellジョニ・ミッチェルの名前は、ずいぶん昔から知っていた。彼女の曲は今もラジオでよく耳にするし、日本のミュージシャンでも彼女の曲をカバーする人は多い(ものすごく難しいらしいけど)。だからCDを手に入れてまとめてじっくり聴きたいと思っていたのだが、何しろ作品数が多いので、どこから手をつければいいのか迷っていた。

で、去年の暮れだったか、何気なくネットで検索したら、この「Joni Mitchell the Studio Albums 1968-1979」という、全盛期のアルバム10枚組ボックスセットが存在することを知った。しかも、その時のアマゾンでの値段が3254円。この名盤の数々が、1枚あたり325円で手に入るのだ。何だかジョニに対して申し訳ないような気分になったのだが、これを見つけたのも何かの縁だと思い、購入することにした。

ボックスに収められた10枚のアルバムはいずれも紙ジャケ仕様で、CDを頻繁に出し入れしていると傷がつきやすそうだ。僕はiTunesにリッピングして全曲まとめたプレイリストを作り、もっぱらAirPlayでステレオに飛ばして聴いている(iTunes Storeでダウンロード販売もしているが、値段はCDの倍近くする)。静かな夜に、小さな音量でひっそりと彼女の歌を聴くのはとても心地良い。

ジョニ・ミッチェルの音楽について、僕みたいな門外漢が知った風なことを書くのはおこがましいけれど、今の時代に彼女の曲を聴いていても、まったく古さを感じないというか、流行や時代感覚を超越してしまった孤高の音楽性のようなものを感じる。頬を撫でる風のような軽やかさと、暗い水の底に潜っていくような深みと。これからもずっと、多くの人々に聴き継がれていく音楽なのだと思う。

3月末に自宅で倒れているのが発見されて以来、今も入院して治療を受けているというジョニ・ミッチェル。彼女が再び元気な姿を見せてくれることを願って止まない。

迷子の女子中学生たち

この間、陣馬山から高尾山まで山歩きをした時のこと。

陣馬山の山頂から尾根伝いの道を高尾山に向けてのんびり進んでいると、前方から、10人ほどの女の子たちがとぼとぼと歩いてきた。見たところ中学生くらいで、山道を歩くにはあまり向いてなさそうな服装と靴。遠足か何かで来たのだろうが、高尾山周辺ならともかく、この近くでこういう子たちを見かけるのは珍しい。

軽く会釈して行き過ぎ、しばらくの間歩き続けていると、やがて後ろから、ザッ、ザザッ、と誰かが駆けてくる足音がした。トレイルランナーかな、それにしては切羽詰まった感じの走り方だな‥‥と思ってると、「あ、あの! すみません!」

ふりかえると、さっきの女子中学生たち。片手にA4のプリントを握りしめた、班長らしき女の子が、意を決した感じで僕に声をかけてきた。

「あの、景信山はどっちですか?」
「こっちですよ。僕が歩いてる方向」
「えー! やっぱり間違ってたんだ‥‥」
「景信山に何しに行くの?」
「そこがおひるごはんの集合場所なんです。12時半に」
「それには間に合わないんじゃないかな。ここからたぶん1時間くらいかかるよ」
「えー! どうしよう‥‥」

班長さんはくたびれきった他の女の子たちと話をして、仕方ないから、と、僕の後をついて歩きはじめた。何だか妙な道連れができちゃったな。ていうか、これじゃまるで僕が、道に迷っちゃった引率の先生みたいじゃないか。

ほうほうのていで景信山に辿り着いた女の子たちは、待ち構えていた本物の引率の先生に、「まったく! あなたたちがいなくなるから‥‥!」と、こっぴどく怒られていた。まあ、これもいつか、いい思い出になるよ。