昨日の夕方、出版社から「ラダック ザンスカール トラベルガイド」の見本誌が二冊届いた。梱包を開けて本を手に取り、カバーや帯、折込地図の具合を確かめ、ぱらぱらとめくってみる。この一年半、必死になって作り続けてきた本。よかった。ちゃんと一冊の本になっている。
嬉しいとか、報われたとか、そういうわかりやすい感情は、不思議と湧いてこなかった。僕はただ、ぼんやりと、実家の和室の縁側にあった安楽椅子のことを考えていた。
去年の夏、イタリア旅行中に急死した父の葬儀のため、僕はラダックでの取材を中断して、岡山にある実家に戻っていた。葬儀の後、父の遺影と遺骨は、家の西の端にある和室に置くことになった。その和室は家の中でも一番静かな場所で、縁側の外は庭に面していて、とても涼しかった。
縁側に、一脚の古ぼけた安楽椅子がある。ふと目をやると、その安楽椅子の肘掛けの上に、本が一冊、置いてあった。それは少し前に出たばかりの、僕とライターの友人が共同で書いた電子書籍についてのハウツー本だった。たぶん、父がここで読んでいたのだろう。電子書籍なんて、およそ一番縁遠いはずの人間なのに。
僕が新しい本を出すたびに、父は、安楽椅子にもたれながら、僕の本を読んでくれていたのだと思う。自分の本がそんな風にして父に読まれていたことを、僕はそれまで想像すらしていなかった。でも、もうこの安楽椅子で、父が僕の本を読むことはない。そう考えると、胸がぐさっと抉られるような思いがした。
あれから九カ月。僕の新しい本を、父は読んでくれるだろうか。あの空の向こうの安楽椅子で。