一人と、誰かと

「ヤマタカさんは、旅先とかでずーっと一人でも、全然平気なタイプですよね?」

今までに何人かの人から、こういう指摘をされたことがある。そうかもしれない。ホームシックとか単に人恋しいとかいった気分になったことはついぞ記憶にないし、特に旅先では、異国で一人ぼっちでいる状況にこそ、ぞくぞくするような喜びを感じるタイプだ。日本にいる時でも、友達付き合いはたぶんかなり悪い方で、自分から積極的に「飲みに行こうよ!」なんてことはまず言い出さない。

じゃあ、一人でいられればそれで十分なのか、満足なのかと聞かれると、それはちょっと違う、とも思う。普段何も問題がない時は一人でも平気だけど、何か困ったことが持ち上がった時、自分一人ではどうにもならない苦しみに陥った時、へこたれそうな自分を支えてくれるのは、間違いなく周囲にいてくれる大切な人たちだ。今までだって、何度もそうして支えてもらってきた。

「ラダックの風息」の最終章に書いた言葉は、そうした経験から出てきたものだったと思う。

時には、大切にしていた絆が、どうにもならない強い風に引きちぎられてしまうこともある。でもそんな時は、きっとほかの絆が支えてくれる。つなぎ止めてくれる。そして人はまた立ち上がって、前を向くことができる。そう、できるはずなのだ、僕たちにも。

三年前の震災の時も、僕たちはともするとぽきっと折れてしまいそうな心を、一緒に集まってごはんを食べたり、メールやツイートをやりとりしたりして、支え合っていたんじゃないかと思う。自分の周囲にいてくれる大切な人たちのことを忘れないこと。そして、苦しんでいる誰かを支えてあげられる力を少しでも身につけること。あれから三年という節目の日を迎えて、あらためてそう思う。

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