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初詣で願ったこと


年末年始は、実家方面に帰省していた。岡山と神戸を四泊五日で順番に回るという日程。いろいろ予定が入っていた上、来る日も来る日もご馳走三昧で、ありがたかったが、お腹周りは確実に肥えた(苦笑)。身体が重い……。ともあれ、今日の夕方、無事に帰京。

元旦の夕方、二人で、神社に初詣に行った。こぢんまりとした神社の割には結構な行列で、20分くらいは並んだと思う。順番が来て、賽銭を投げ入れ、手を合わせて祈る。帰り道、何をお願いしたのかを話したら、相方もまったく同じことをお願いしていた。

家族や友人、大切な人たちが、ずっと元気でいられますように、と。

ハウィーのこと


アラスカのカリブー・ロッジの愛すべき黒犬、ハウィーが、虹の橋を渡ったという報せが届いた。

カリブー・ロッジには、2017年の3月と、2018年の8月に、それぞれ数日ずつ滞在したことがある。最初に到着した日、一人でロッジ周辺の雪原の散歩に出かけた時、道案内をしてくれたのは、ハウィーだった。僕の10メートルほど前をぷらぷらと歩いて、立ち止まっては僕をふりかえる。僕の散歩につきあってくれていたのか、それとも、僕がハウィーの散歩にお供させてもらっていたのか。

初めて会った時から、まったく人見知りをしない犬だった。ラブラドール・レトリーバーとジャーマン・シェパードの混血だったハウィーは、僕がキャビンから外に出るたび、跳ねるように駆け寄ってきて、どすっと足元に体当たりして、頭をすりつけ、ウッドデッキに寝転がって、おなかをなでてくれとせがんだ。僕だけでなく、ほかのどの客に対しても。本当に、人なつこい犬だった。

ハウィーは、賢い犬でもあった。ベアー・ポイントという小高い丘の上まで、スノーシューを履いて登った時、頂上の近くに、純白の雷鳥の群れがいた。ハウィーの飼い主でカリブー・ロッジのオーナーでもあるジョーが、「ハウィー、待て」と小声で言うと、ハウィーは僕たち二人の後ろに下がって、吠えも動きもせず、僕が雷鳥の写真を撮り終えるまで、じっと待っていてくれた。

いつかまた、カリブー・ロッジに行きたい。ハウィーにまた会いたい。そう思いながらも、コロナ禍で身動きができないままでいるうちに、ハウィーにはもう、会えなくなってしまった。どうしようもなく寂しいけれど、ハウィーはきっと、ジョーやザック、彼らの家族たちに見守られて、穏やかに旅立っていったのだと思う。

さよなら、ハウィー。本当に、ありがとう。

あたらしい朝

高校生の頃、数学があまり好きでなかった僕は、文理選択で文系を選び、高二、高三を文系クラスで過ごした。クラスメイトの6割は女子で、男子は20人くらいしかいなかったが、その分、男子同士の仲は良く、団結力も強かった。

あの頃を思い返すと、眩しさと気恥ずかしさで、思わず目を閉じたくなる。体育祭で優勝して、下校後にこっそり集まって街にくりだし、ノンアルドリンクの打ち上げで大騒ぎして、夜の堤防沿いの道をはしゃぎながら帰ったこととか。卒業アルバムの写真のためにあっちこっちロケハンして、学校近くの神社の階段で縦に並んで座って、カッコつけた写真を撮ったこととか。模試の帰りにマクドナルドに集まって、わいわい騒ぎながら自己採点したこととか。

自分の学生時代は、うまくいかなかったことの方が圧倒的に多かったけれど、高二、高三のあの二年間は、僕にとっての青春と呼べる時期だったのだと思う。

当時の同級生とは、その後、すっかり疎遠になって、ほとんどの人と、ずっと会っていない。故郷の岡山から、東京にある大学に進学し、在学中も卒業後も挫折まみれの鬱屈した二十代を過ごした僕は、いつしか、自分を知っている人間と関わるのを避けるようになっていた。経験も実力も何もなく、自分が本当は何をしたいのかもわからないまま、東京で一人、もがき続けるうちに、30年もの月日が流れてしまっていた。何人かの同級生の消息をSNSを通じて知るようになったのは、ほんの数年前からだ。

同級生の一人が他界していたことを、数日前に知った。亡くなったのは去年の秋だったが、事情があって、最近まで、ごく近しい人にしか知らされていなかったのだという。人付き合いが下手な陰キャだった僕と違って、彼は絵に描いたような陽キャで、いつも輪の中心にいて、男子からも女子からも好かれる、眩しい存在だった。社会に出てから彼が選んだ道について噂を聞いた時にはびっくりしたけれど、彼らしいなあ、と感心したのを覚えている。

その彼が、早々と向こう岸に渡ってしまった。もっと前に、会っておけばよかったのかもしれない、という後悔は、こちら側に残っている自分の身勝手な感傷なのだろう。いつだって僕は、逡巡と後悔を、際限なくくりかえしてばかりいる。

一人、また一人と、誰かが向こう岸に渡るたびに、あの頃の記憶が、ピースの欠けたジグソーパズルのようになっていく。こちら側にいる僕たちも、人生の折り返し点は、とっくに過ぎている。あと何十年か経てば、あの高二、高三の頃のことを覚えている人間は、誰もいなくなる。

それでも今、自分にできることがまだあるとしたら、先に向こう岸に渡った彼らのことをずっと忘れないように胸の裡にピンで留めて、残された時間の中で、笑ったり泣いたり落ち込んだりしながら、自分がなすべきことを精一杯やって、不器用に生きていくしかないのだろうと思う。

どんな人間に対しても、時間は平等に過ぎていく。地球は24時間で1回転して、毎日、あたらしい朝を連れてくる。あたらしい朝が来るたび、僕たちは、夜明けの光を目にすることのできる意味をかみしめながら、それぞれの人生を続けていくのだ。いつか、向こう岸に渡る日が来るまで。

昔の写真

昨日の夜、1枚の写真が、メールで送られてきた。

送り主は、昔のバイト仲間。二十代後半の頃、神楽坂に今もある出版社でバイトをしていた時期があるのだが、その時の知り合いが、僕の『冬の旅』を読んでくれて、感想と一緒に当時の写真を送ってくれたのだった。

バイト仲間と一緒に写っている僕は、27歳くらいだろうか。今よりさらに数キロ痩せていて、世間知らずでクソ生意気そうな顔をしている(苦笑)。実際この頃は、いろいろ鬱屈してて、性格もねじくれていた。今の自分の仕事につながるような技術も経験もアイデアも何もなくて、「自分は必ず何か成し遂げられるはずだ」という自信と、実はその自信には何の根拠もないとうっすら気付いている不安しかない頃だった。

あれから20年以上の歳月が過ぎ去って、今の僕は……どうなんだろう。これからの僕は……どうなるんだろう。

嘘は身を滅ぼす

嘘は、つくのも、つかれるのも、嫌いだ。嘘をつくことで物事がうまく運ぶなんてことは、まずない。せいぜいその場しのぎにしかならなくて、後になって嘘がばれたら、倍返しで酷いことになる。

去年、仕事で信頼していた人たちに、嘘をつかれた。彼らは僕の知らないところで、僕が何年も前からこつこつ積み重ねてきた仕事に直接ぶつかるようなことを仕組んでいた。第三者からその話を聞いて抗議すると、「その話は白紙に戻す」「人間関係を壊してまですることではない」とその人たちは言った。しかし、彼らはそれを白紙に戻したりせず、裏でこっそり準備を続けていた。僕を利用するだけ利用して、僕が彼らとの仕事を中止するなどして抗議することができないタイミングになって、すべてをひっくり返した。

思い返しても、つくづく、酷い話だ。

僕は彼らとの関係を断ち、別の会社とその仕事を継続することにした。それまでの仕事を通じて出会った大勢の顧客の方々とのつながりは、今も健在だ。同業者の友人たちとの関係も良好だと思う。

一方、僕に嘘をついていた人たちは、経費を差し引くとおそらくごく僅かであろう利益と引き換えに、僕の存在を介してつながっていた顧客の方々や、同じく僕を介してつながっていた関係者からの信頼を、ごっそり失った。どうして彼らは、あんなやり方をしたんだろう、と思う。その場しのぎの嘘をつき続け、ナアナアのなしくずしで乗り切ることなんて、できるわけがないのに。

だから僕は、嘘を、つくのも、つかれるのも、嫌いなのだ。