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湯河原原稿執筆合宿、再び


来年の春頃に、新しい本を出すことになったのだが、肝心の原稿の進捗は、あまり捗々しくない。特に五月は、ほかの国内案件がわちゃわちゃと立て込んで、それらにすっかり時間を取られてしまった。

このままではまずいということで、伝家の宝刀(?)、原稿執筆ぼっち合宿を敢行することにした。今回の合宿地は、およそ四年ぶりの湯河原。前回もお世話になった、The Ryokan Tokyo YUGAWARAさんに滞在することにした。この宿には「原稿執筆パック」という宿泊プランがあって、一日三食の食事付き、コーヒーなど飲み放題、温泉にも朝晩入り放題という、僕にはおあつらえ向きの内容なのだ。料金は時期によって変わるが、安いタイミングを選べば、一日あたり一万円程度でも泊まれる。今回は、原稿執筆パック三泊四日のプランで滞在することにした。

部屋は八畳の和室。今の時期の湯河原は、思っていたほど暑くもなく、東京より涼しいくらい。日中は窓を網戸にしていると、涼しい風が入ってきて、遠くからの川のせせらぎと、うぐいすのさえずりが聴こえるだけの、とても静かな環境だった。

衰えていく国

スーパーに食材の買い出しに行くと、何もかも値上がりしてるなあ、と感じる。野菜や肉、卵などはわかりやすく高くなっているし、パッケージされた商品も、値上がりしてるか、内容量が減らされてるか、あるいはその両方だったりする。

僕の住んでいる西荻窪は、駅の界隈にたくさんの個人商店が集まっているのだが、閉店したまま次が決まらず、空いたままになってる物件も結構目につく。隣駅の吉祥寺は、住みたい街ランキングでトップ争いの常連だが、そんな街でも空き店舗物件があちこちにある。大手のデパートの中もスカスカで、埋められないスペースを安い衣料雑貨のワゴンセールとかで誤魔化してるところも多い。無人で、カプセルトイの機械を並べただけのところもあったり。

都心の繁華街もそうだ。原宿や渋谷のような一等地でも、かつてはお洒落なアパレルショップだった場所が、うらぶれた空き家になっている。新しいショッピングモールが次々に開業する一方で、既存のテナントビルはスカスカのまま閑古鳥。対照的に元気なのは新大久保界隈とかで、アジア各国の商店や食堂がぎっちぎちにひしめき、どこかが空いてもすぐに埋まるというが、日本人経営の店はあまり見当たらない。

近所で行きつけにしてる老舗のパン屋さんで、おひるによく買って食べていた名物のカレーパンが、ある日、1個420円になっているのを目にした時は、さすがにびっくりした。地元の人々に愛されている、良心的なお店なのだ。そういう店がそこまで値上げをしなければやりくりできないほど、今は何もかもが厳しい状況になっている。

先日、1ドルが160円台になったという経済ニュースで、日米の金利差が原因云々という記事が溢れていたけれど、それ以前に、日本円の価値が根本的に下がってしまっているのだと思う。日本という国そのものが刻々と衰退し、貧しくなっているのだ。取材で海外の国々との間を行き来していると、いろんな場面でそう感じる。日本の社会自体から、力が失われていると。

そう遠くないうちに、海外旅行などは日本人にとって、一部の富裕層に限られた娯楽になってしまうのではないかと思う。自分自身の仕事のやり方も、あらためて、いろいろ考えてみなければならないと感じている。

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石川美子『山と言葉のあいだ』読了。仏文学の研究者でもある著者が、自身がフランスで生活していた時の経験と、デュマやバルザック、スタンダールといった古今の作家たちにまつわるエピソードを絡めて書き綴ったエッセイ集。静謐で清々しい文体で、読んでいて心が落ち着く。とりわけ印象に残ったのは、マダム・ミヨーにまつわるエッセイで、数奇な運命の巡り合わせに滲む著者の思いに、胸を打たれた。

帰国後の体調

インド北部での二カ月間の取材を終えて帰国してから、ちょうど二週間経った。

帰国直後の体重は、出発前より2キロほど落ちていた。直前に数日滞在したデリーでは結構しっかり飲み食いしていたし、ビールも毎晩飲んでいたので、デリー到着前より多少は増えていたと思う。二週間後の現在は、帰国時より1キロほど増えている。

それでもひさしぶりに会う人たちには、「痩せましたね!」と言われる。体調はすこぶるよいし、俊敏に動ける状態ではあるのだが。標高四千メートル超えの場所にずっと滞在していて高地トレーニング効果もばっちりなので、今、東京近郊の山歩きに行ったら、めちゃめちゃ楽に歩けると思う。

足腰と体幹の筋肉は落ちていないと思うのだが、それらの部位に比べると使用頻度の低かった胸周りと両腕の筋肉は、あきらかに落ちた。前は楽に40回できていた腕立て伏せが、今は30回がやっと。体脂肪も、全体的に身体からごっそりこそげ落ちている感触がある。ジーンズを履く時にウエストが緩いし、風呂に入ると、肌のあちこちに痒みも感じる。毎日、超絶寒い場所で朝から夕方まで撮影し続けていたので、寒さに耐えるためには無理もなかったのかもしれない。ホットシャワーも丸々一カ月半、浴びれなかったわけだし。

とにかく毎日、腹が減る。肉が足りない。カロリーが足りない。もうしばらくは、身体の欲するままに、しっかりあれこれ食べていこうと思う。

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ユキヒョウ姉妹『幻のユキヒョウ 双子姉妹の標高4000m冒険記』読了。動物学者である木下こづえさんと、コピーライター・CMプランナーである木下さとみさんの双子の姉妹が、ユキヒョウに魅せられて、モンゴル、ラダック、ネパール、キルギスなど、世界各地でユキヒョウの調査や保全活動に取り組んできた、約十年間の記録。ユキヒョウに対するそれぞれの思い入れが素直な筆致で綴られていて、好感が持てた。ラダックでの保全活動は、微妙な情勢下にある国境地帯であることなどから、外国人の立場で継続するのは難しかったそうだ。ラダック以外の場所にも、いるにはいるのだけれど。

小倉ヒラク『アジア発酵紀行』読了。来月、三鷹のユニテでのトークイベントで対談させていただくことになったので。小倉さんの文体は結構独特の奔放な印象で、僕には真似したくても書けない。中国雲南省、ネパール、インド北東部を訪ね歩いて、各地に現存する発酵食品の文化を紹介していく、発酵文化ノンフィクション。高野秀行さんの納豆に対するこだわりに通じるものを感じた。

「PERFECT DAYS」

ヴィム・ヴェンダース監督の作品は、これまでにもそれなりの数を観てきた。個人的にものすごくフィットする好きな作品もあれば、正直そこまでピンと来ない作品もあった。で、最新作の「PERFECT DAYS」に関して言えば……大当たりだった。本当に素晴らしかった。

東京の下町に暮らす初老の男、平山は、渋谷界隈にある公衆トイレの清掃を生業としている。アラームもかけずに早朝に目覚め、植木に水を吹きかけ、はさみで口髭を整え、ツナギに着替える。缶コーヒーを買い、カセットテープの音楽を聴きながらワゴン車で出勤し、各所のトイレを黙々と手際よく掃除していく。神社の境内でサンドイッチと牛乳のおひる。大木の梢の木漏れ日を、コンパクトフィルムカメラで撮る。仕事を終えると、地元の地下街の飲み屋でいつもの晩酌。夜は、古書店の百均で買った文庫本を読みながら眠りにつく。

几帳面にルーティンを反復し続ける平山の日常は、同じような毎日に見えて、実は常に少しずつ違っている。同じように見える木漏れ日が、実は唯一無二の瞬間の連なりであるように。平山自身も、過去の苦い記憶と後悔と、自分自身の行末に対する漠とした不安を抱えている。それでも彼は、次の新しい朝を迎えるたび、空を見上げ、目を細める。

何気ない、でも、かけがえのない日常。その連なりこそが人生であり、だからこそ、すべての人の人生には、何かしらの意味があるのだと思う。

これから、世界は

自宅のネットワークやプリンタの設定やら、3カ月分の連載原稿の納品やら、新規案件の打ち合わせやら、確定申告の下準備やら、あれやこれやがとりあえず片付いて、ようやく少し落ち着いた状態になった。あさってから岡山に帰省し、年明けには神戸。2023年も、あともう少しで終わる。

2024年、世界は、どうなるのだろう。ロシアとウクライナ。イスラエルとパレスチナ。世界中のあちこちで、戦禍に見舞われている罪なき人々がいる。人間にとっての尊厳とは、正義とは何なのだろう、と考え込んでしまう。アメリカの大統領選も気がかりだし、日本の政治もめちゃくちゃだし。

これから、世界は、さらにぼろぼろと壊れていくのかもしれない。そんな中で、一人ひとりの人間にできることがあるとすれば……間違っていることに対してはきちんと声を上げ、選挙があれば必ず一票を投じてくる、ということに尽きるのかなと思う。それでも、どうにもならないことばかりかもしれないけれど、ただ諦めて傍観していては、何の歯止めにもならない。

どうなるのかな、世界は。

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アーシュラ・K・ル・グィン『所有せざる人々』読了。ヒューゴー賞とネビュラ賞のダブル受賞作という評価に違わぬ、凄い長編だった……。アナレスとウラスという二つの惑星で紡がれていく、物理学者シュヴェックの物語。アナレスとウラスの環境や歴史、社会制度、文化などについて、膨大な情報量の設定が緻密に組み上げられていて、その設定の舞台上で、それぞれの惑星で起こった出来事が、章ごとに交互に語られていく。シュヴェックはなぜ、アナレスを離れてウラスに向かったのか。時の流れがくるりと円を描いて繋がるかのように、物語は最後に彼の目的を明らかにして終結する。さすが、ル・グィン……。ゾクゾクするような読書体験だった。