命の軽さ

夕方、歩いて吉祥寺へ。まめ蔵でカレーを食べた後、無印良品でポリプロピレンの収納ケースと、小さめのパルプのケースを購入。部屋の中のものをいろいろ整理したかったので。

ケースを持って歩いて帰る距離を縮めたかったので、吉祥寺から三鷹までひと駅電車に乗ろうと思ったら、中央線も総武線も動いていない。すわ、また人身事故かと思ったら、強風で架線にビニールがひっかかったのを取り除くためだったらしい。ほっとした。

東京に住んでいて、きついなあと思うことの一つは、鉄道での人身事故の多さだ。そのほとんどはおそらく投身自殺なのだと思うが、もはや日常茶飯事といっていいほどの頻度で発生するので、ともすると、その瞬間に一人の人間の命が消えていったという事実に対して、自分の感覚が鈍くなってしまっているのではないか、とさえ思ってしまう。

二、三年ほど前だったと思うが、自分が乗っていた中央線の列車が、荻窪駅で人身事故を起こしたことがある。その時、電車はいつもより少しだけ唐突に駅に止まり、ドアはしばらく閉ざされたまま。やがて淡々とした調子で「この列車で人身事故が発生しました。しばらくお待ちください」というアナウンスが流れた。その瞬間、車内では何の声も上がることなく、ただただ、ぎゅうっと重い空気がたれこめた。10分ほど経って僕たちは、車内を移動して後方の車両から順次外に出て、総武線や丸ノ内線に乗り換えるように指示された。僕たちが人身事故の現場を目の当たりにする場面は一切なかった。今思うと、完全にマニュアルに沿った対応だった(それが悪いという意味ではなく)。

あの時、散った命が、どんな人のものだったのか、知るよしもない。大切な用事で急いでいた人にとっては「ふざけるな」と思える出来事だったかもしれない。でも、この東京で人身事故で電車が遅れるたび、ほぼ確実に一つの命が消えていっているという事実は、きちんと噛みしめなければ、と思う。それを思い出すたびに、暗鬱な思いに心を曇らせることになったとしても。

人の命は、いつから、こんなに軽く、あっけなくなってしまったのだろう。

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