ラダックから学ぶ?

午後、茗荷谷にあるジュレーラダックの事務所へ。3月24日(土)に開催されるトークイベントにゲスト出演することになったので、その打ち合わせ。

イベントのテーマは「ポスト3.11 持続可能な社会とは?ラダックから学ぶ」というもの。僕はラダックをある程度見続けてきた日本人としての立場で、写真を交えながらラダックの話をすることになった。

今回のように、日本でのラダック絡みのイベントや書籍では、「ラダックから学ぶ」といった感じの言葉がよく使われる。それは大いに結構なのだが、時々ほかの場所では、そもそもラダックとはどういう場所で、どういう人々が暮らしているのかをろくに把握しようとしないまま、ごく一部の事象だけを拾い上げて性急にラダックを論じている人を見かける。そのたびに、僕は違和感を覚えずにはいられない。「学ぶ」前にまず、ラダックそのものを「知る、知ろうとする」ことが大事だろう、と。

ラダックの良い部分と悪い部分をフラットな目線で捉えて、ラダックの人々の心の部分——苛酷な環境で生き抜く少数民族ゆえの絆の強さ、チベット仏教に根ざした精神性など——も踏まえて、いろんな角度から考えてみるべきだと僕は思う。異国を理解するというのは、そういうことではないだろうか。そのプロセスを端折って、都合よさげな部分だけつまみ食いするように「学んで」も、それは本質からズレているし、そのまま日本で活かせるとも思えない。

イベントで僕が伝えたいと思っていることの一部は、そんなところかな。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *