時間の優しさ

週末を利用して、岡山の実家に帰省していた。僕が帰国するまで待ってもらっていた、父の納骨式のために。

納骨式は、昨日の朝のうちに行った。うちの家系の墓は、実家からすぐのところにある。雲一つないうららかな空を見上げながら、みんなで墓地まで歩いていく。墓地で待っていてくれた業者さんが、墓石の一部を外し、父の骨壺を中に収め、再び墓石を元に戻す。新しい花を挿し、水をかけ、ビールとおつまみを供え、線香を上げる。それでおしまい。父は、無宗教での弔いを望んでいたから。

父が逝った直後に比べると、母と妹はずいぶんしゃんとして、元気になっていた。誰も彼も、父のいない日常を少しずつ受け入れつつある。実家の中には、まだ至るところに父の気配が——ぎっしりと積み上げられた本や、几帳面に整理された文房具や、使い古された安楽椅子が——あるけれど、その気配も、時が経つにつれ、少しずつ薄れていくのかもしれない。それが、時間の残酷さであり、優しさでもあるのだろう。

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