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東京五輪について

2020年のオリンピックの開催地に、東京が選ばれた。僕はもともとオリンピックというイベントにはあまり興味がなくて、北京五輪もロンドン五輪もまったく見ていない(開催期間中、ずっとインドの山奥にいたからなのだが)。なので、今回の決定についても、正直「ふーん、あ、そう」という反応しかできない(苦笑)。

この件についてネットでTwitterなどを見ていると、賛否両論、いろんな反応があるのがわかる。震災の被災地や原発のことをほったらかしにして能天気に浮かれてる人は正直どうかと思うし、日本の行末を悲観するあまりヒステリックに拒絶反応を示してる人も、もうちょっと冷静になればいいのにと思う。

原発事故の後処理(これは想像を絶する困難を伴うけど)と震災からの復興は、今の日本がもっとも優先して取り組むべき問題だ。その優先順位さえ取り違えないのであれば、東京でオリンピックをやれるというなら、やってもいいのではないかと思う。むしろ、オリンピックの開催を日本全体の復興に利用するしたたかさを持つくらいでもいい。

ただし、あくまで、日本が取り組むべき問題の優先順位を取り違えないのであれば、の話だ。どれだけオリンピックに人を感動させる力があるとしても、それよりもはるかに大切にすべきことが、世の中にはたくさんあるのだから。

「絶景」に思う

しばらく前から、「絶景」や「秘境」といったキーワードを謳い文句にした書籍やテレビ番組が人気を集めている。書籍の場合、その一冊のためだけにカメラマンを世界中に派遣したりすることは予算的にまず無理だから、ストックフォトエージェンシーに借りた写真で作っている本がほとんどだ。中には、Flickrなどから写真を持ってきてる、使用許諾の面などでかなり強引でアヤシイ作り方をしてる本もあるようだが。

旅の目的は人それぞれだし、ある「絶景」を見たいがために旅に出ても、それはまったく構わないと思う。ただ、自分の場合はどうかというと、「絶景」として見せられたイメージが旅に出る動機に繋がったことは、実は一度もない。最近人気のラダックのパンゴン・ツォでさえ、僕は最初に現地に行くまで、カラー写真すら見たことがなかった。旅の魅力は風景だけでなく、そこで生きる人々とその暮らしぶりなど、いろんな物事との出会いをまるっと含めた体験の中にあると思うし。

最近は、「絶景」と呼ばれる場所の地名をグーグルで画像検索すれば、そこの写真がわんさか出てくるから、便利な反面、ちょっと興を削がれる面もある。もちろん、自分自身の目で見届けるのが一番いい体験になるのは当然だけど、できれば事前にあまり予習しすぎないようにして(笑)、その「絶景」だけでなく、そこまでの道程で出会った人たちとのやりとりまで含めて、ゆったりと旅を楽しむのがいいんじゃないかなと思う。超効率的な弾丸ツアーで「絶景」だけがつがつ見に行っても、何だか味気ない旅になってしまうだろうから。

‥‥とまあ、自分で旅行記やらガイドブックやらを散々出しといて、何を言ってるんだという気もするけど(苦笑)。

つながりっぱなしの旅

学生時代に生まれて初めて海外で一人旅をした頃、旅先で出会った人たちと交換するのは、住所と電話番号だった。旅の続きで訪れた街で買った絵ハガキを互いに送り合ったりして、帰国後、郵便受けにそんなハガキが届いていると、何だかすごく嬉しかったのを憶えている。

それから十年もしないうちに、世界中の観光地にはインターネットが使えるパソコンを置くサイバーカフェが林立するようになり、旅人たちが交換するのは、Hotmailのメールアドレスに変わった。それはやがてGmailになり、それからTwitterやFacebookやLINEのアカウントになった。

そして最近、観光地ではサイバーカフェがどんどん減り、代わりにWi-Fiフリーのホテルやレストラン、カフェが急増している。旅人たちはみなスマートフォンやタブレットを持ち歩き、ホテルや交通機関の予約、地図や現地情報の確認など、旅に必要なことの大半をそれらでまかなう。旅先で撮った写真はリアルタイムでブログやTwitterやFacebookにアップされ、日本にいる友達はそれにすぐ反応してコメントを返す。いつのまにか旅は、ずっと誰かとつながりっぱなしなのが、当たり前になった。

つながりっぱなしの旅。それはそれで、楽しい面もたくさんあると思う。でも、住所と電話番号を交換するようなオールド・スタイルの旅をしていた身としては、そんなに四六時中つながりっぱなしだと、ちょっとつまらなくない?とも感じる。知らない国の知らない街で、右も左もわからず途方に暮れて、その日の寝床と食事にありつくためにうろうろする。あの孤独と不安に苛まれるような感覚があるからこそ、一人旅は俄然面白くなるのではないだろうか。

旅先でスマホやタブレットを活用するのは、大いに結構。でも、せっかく旅に出るのなら、周囲と何のつながりのない世界に一人身を置くことの愉しみも、味わってみてほしいなと思う。

自然と人のあいだ

約一年ぶりに、このブログのヘッダの写真を替えてみた。ツォ・モリリの湖畔で見かけた、チベット仏教の真言が刻まれたマニ石の写真。

しばらく前から、僕が何となく追い求めているおぼろげなテーマに、「自然と人のあいだ」というものがある。人は、自然とのつながりなしには生きていけない。自然の力はあまりにも強大で、時に無慈悲に、あっさりと人の命を奪い去る。遠い昔から人は、その強大な自然を目の前にして、何を思っていたのか。ある時は祈りを捧げ、ある時は抗おうとし、ある時は生きようともがき‥‥。

自然と人のあいだにあるものを追いかけていくことで、自然に対する人の本来のありようについて、自分なりに考えてみたい。ラダックの山の中を歩いているうちに見えてきたこのテーマ、次はどの場所で取り組んでいくべきか。来年以降の、自分にとっての課題。

自分が見つからない旅

「自分探しの旅」というと、割とコアな旅好きの人の間では、面白おかしく揶揄されるか、半笑いでスルーされるかのどちらかなんじゃないかなと思う。いつ頃からそういう風潮になったのかはわからないけど、「旅に出ようぜ! 放浪しちゃおうぜ! そしたらきっと新しい自分が見つかるよ?」みたいな主張をする旅行記が、世に出回るようになったからかもしれない。

個人的には、若い時期に何か行き詰まることがあって、「旅に出て、新しい自分を見つけたい!」みたいな動機というか衝動で、ある程度長い期間の一人旅に出るのは、むしろとてもいいことなのではないかと思っている。「どうせ旅に出たって人生何も変わらないし」と、シラけて何もしようとしない人よりよっぽどいい。僕自身、二十二歳の時の最初の海外一人旅は、どん詰まりに行き詰まったあげくに選んだ道だったし。

ただ、そういう「自分探しの旅」で「自分」が見つかるとはかぎらない。というか、まず見つからないと思う。「見つかった!」と満足してる人には「よかったですねえ」と言うしかないが、たぶんそれは「見つかった」と思い込んでるだけ。僕の時は、自分が見つかるどころか、世界というものの大きさ、美しさ、優しさ、怖さ、複雑さ、醜さ‥‥そして不条理さと理不尽さを、これでもかというほど見せつけられて、自分がいかに何も知らなかったかということを思い知らされただけだった。僕の最初の旅は、「自分が見つからない旅」だったと言っていいかもしれない。

でも、そんな風に世界に打ちのめされてしまう旅だったとしても、無駄な経験は一つもないと思う。いつかどこかで、何かにつながるヒントが必ずある。僕の場合もあくまで結果論だけど、今の仕事に携わるようになったのは、あの「自分が見つからなかった」最初の旅の経験があったからこそだったから。

まだ旅を知らない人には、「自分探しの旅」でも何でもいいから、外の世界に飛び出して、ボッコボコに打ちのめされてみることをおすすめする。