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立ち止まる冷静さ

これは、自分自身もやってしまうかもしれないことなので、自戒の意味も込めて書くのだけれど。

今の世の中では、あらゆる情報がいとも簡単に拡散していく。一昔前はテレビや新聞などのメディアによる拡散がほとんどだったが、今はFacebookやTwitterやLINEによって、それが劇的に加速している。もともとワンクリックで広まるような構造のツールだから当然なのかもしれないが、それは時に、えげつないほどの破壊力を伴う。

ある事件が起こった時、その渦中にある人に対して、ネットを介して強烈な罵倒や嘲笑が嵐のように浴びせられることがある。たとえば、それが犯罪の加害者であれば、社会に非難されるのもある程度仕方ないのかもしれない。でも、それが犯罪なのかどうかも判然としない段階で、まるで匿名の集団リンチのように、ネットを通じてとんでもない量の罵詈雑言が叩き付けられている場合もあるように思う。最近では、そうした人々を意図的に焚き付けるような報道をしているメディアも見受けられる。

ネット上で、時に匿名という安全な立場から、非難の対象となる人を罵倒し、嘲笑い、いっときの正義感を満喫し、そしてすぐに忘れる。そうしたネット上での罵詈雑言や心ない噂話に巻き込まれるのは、非難の対象となる張本人だけではない。事件によっては、その被害者も事を荒立ててほしくないと思っているかもしれないのだ。でも、ネットでの情報拡散はそうした思いさえ許さず、何も悪くない弱い立場の人を好奇の目に晒してしまったりする。

僕たちは、ワンクリックでシェアとかリツイートとかをしたりする前に、立ち止まって考えてみる冷静さを持つべきだと思うのだ。それは本当に正しい情報なのか。それを人に伝えることで、何がもたらされるのか。取り返しのつかないほど傷ついてしまう人はいないだろうか。自分自身の言葉で、責任を持って語れるだろうか。

もう一度、ネットに対して、自分自身に対して、冷静になってみるべきだと思う。

コピペに思う

他の人のツイートやFacebookでの発言を見ていると、時々、「あー、これ、コピペだ」という文面に出くわすことがある。

たとえば、何かの宣伝・告知目的で、いろんな人に対してかたっぱしからまったく同じ内容の文面のリプライを飛ばしたり、いろんなコミュニティのトピックにかたっぱしから同じ文面を投稿したり。同じ内容だからコピペするという意図なのだろうが、あちこちにまったく同じ文面が機械的に投稿されているのを見せられると、正直げんなりする。

結局、それは投稿する側の人が、そういうコピペをあちこちで見せられる側の人の心境を想像しようとせず、ただ自分の都合を通すことしか考えていないからだろう。自分自身が損をしていることに気付いていないのだろうか。

ニュースリリースとかは別として、ソーシャルメディアで同じ内容を何度かくりかえし伝える必要があるなら、一つひとつの文章をその都度ちゃんと書くべきだ。読み手はちゃんとその違いに気付く。

ベースキャンプとしてのブログ

今年はラダック関連でのメディアやイベントへの出演が相次いでいて、どうしてこんなことになったのか自分でも訝っているのだが(苦笑)、そういった出演の告知に奔走していてあらためて思うのは、ブログ「Days in Ladakh」の存在のでかさ。昨今流行のTwitterやFacebookより、ラダック関連の情報を欲しているコアターゲットの人々に、情報がより確実に届いているのを感じる。

Days in Ladakh」は開設してかれこれ六年にもなるが、人気を集めるためのトリッキーな施策は何もしていない。ラダックでの滞在記や写真、日本にいる間は現地からの情報を、ただひたすら積み重ねてきただけだ。それでも、少なくともラダックに関して定番のサイトとしてある程度認知してもらえているのは、ありがたいことだなと思う。自分がラダックにまつわる活動をしていく上でも、「Days in Ladakh」を拠点にできるのは、正直、とても安心感がある。何というか、ベースキャンプのような感じ。

今の時代、僕のようなフリーランサーが自力で活動を続けていくために、ある程度作り込んで整えたプラットフォームをWeb上に持っておくことは、やっぱりとても大事なのではないだろうか。ブログには、すぐに情報が流れ去ってしまうTwitterやFacebookにはない訴求力が確かにある。そういう土台を築くには、見た目のデザインとかよりも、まずは伝えたいことをコツコツと継続して積み重ねていくのが一番だと思う。

お金をもらうということ・その後

いい天気だなーと思ってたら、突然のスコール、そして虹。最近、妙な天気が続いている。

十日ほど前に言及したstudygiftの件だが、今日になってサービスの一時停止と支援金を返金することが発表された。

前のエントリーでは、件の女子大生をあれだけ最前線に押し出すのなら、炎上しないための配慮はすべきだったと書いたが、実はあれでも相当オブラートにくるんでいたようで(苦笑)、休学ではなく実は退学扱いになっていたとか、お金が集まっても再入学できるとは限らないとか、いろいろ残念な事実が後から露呈してしまった。率直に言って、件の女子大生も、周囲の関係者も、これでは世間に叩かれても仕方ないだろう。お金集めの動機と、そのやり方に対して。初めから、周囲のお金持の知人たちが、ニコニコ現金払いでお金を貸してやればよかったのだ。それを、動機にいささか無理がある人を看板にして新サービスを立ち上げて、うまいことやろうとしたりしたから、破綻したのだと思う。

しかし思うのは、あの若さで、195人の個人と26社の企業から支援を受けられるほどの人なら、別に無理して大学に再入学したりしなくても、普通に世の中を渡り歩いていけるんじゃね?ということ。大学を卒業することは、無駄ではないけれど、必須でもない。本当に実力のある人なら、人気の有無とか関係なく、ちゃんとやっていけるだろうに。

瑕ひとつない人生を送ってる人なんて、世の中にはいない。つまずいたら、自分で立ち上がればいいだけのことだ。

お金をもらうということ

今日ネット上では、studygiftという新サービスの話題でもちきりだった。学費の工面に困っていたり、何かの目標に挑戦したい学生を支援するサポーターを集めるためのオンラインサービス。サービスのコンセプト自体はまったく何の問題もなく、むしろ大いにやってくれればいいと思うのだが、そのローンチの仕方が、いささかまずかった。

最初に学費の支援を求めるという形で広告キャラクターのような立場でフィーチャーされたのが、しばらく前からネット上で人気の女子大生。InstagramやGoogle+ですごい数のフォロワーを持つ女の子で、起用(?)されたのもさもありなんという感じだった。ところが、彼女が学費の支援を求める理由は、「成績が下がってしまって奨学金を打ち切られてしまった」という正直すぎるものだったのがよくなかった。有名人がこういう弱みを見せると、世間は容赦ない。案の定、この件はネット上で格好の餌食にされ、炎上どころか血祭りに近い状態になった。

この件は、その女子大生が悪いというより、サービス提供元のスタッフの見込みが甘かったことに尽きると思う。広告キャラクターと呼ぶと否定されるのだろうけど、あれだけ彼女をフィーチャーして最前線に押し出しているのだから、こんな惨事にならないための準備(嘘をつけとは言わないが、オブラートにくるむくらいの大人の配慮)はすべきだったろう。それでも、人々に「彼女を助けたい」と思わせるほどの真摯さが伝わったかどうかはわからないが。

件の彼女の場合、元々有名なだけあって、それなりの金額が集まっているそうだ。でも、その代わりに、彼女はどれだけのものを失っただろうか。

人にお願いごとをしてお金をもらうということは、とても大変で、デリケートなことだ。クラウド・ファンディングであれ何であれ、システム的にうまく立ち回りさえすればお金が集まるなんてことは、ありえない。人の心を動かすには何よりも、真摯な理由がいるのだと思う。