お金をもらうということ

今日ネット上では、studygiftという新サービスの話題でもちきりだった。学費の工面に困っていたり、何かの目標に挑戦したい学生を支援するサポーターを集めるためのオンラインサービス。サービスのコンセプト自体はまったく何の問題もなく、むしろ大いにやってくれればいいと思うのだが、そのローンチの仕方が、いささかまずかった。

最初に学費の支援を求めるという形で広告キャラクターのような立場でフィーチャーされたのが、しばらく前からネット上で人気の女子大生。InstagramやGoogle+ですごい数のフォロワーを持つ女の子で、起用(?)されたのもさもありなんという感じだった。ところが、彼女が学費の支援を求める理由は、「成績が下がってしまって奨学金を打ち切られてしまった」という正直すぎるものだったのがよくなかった。有名人がこういう弱みを見せると、世間は容赦ない。案の定、この件はネット上で格好の餌食にされ、炎上どころか血祭りに近い状態になった。

この件は、その女子大生が悪いというより、サービス提供元のスタッフの見込みが甘かったことに尽きると思う。広告キャラクターと呼ぶと否定されるのだろうけど、あれだけ彼女をフィーチャーして最前線に押し出しているのだから、こんな惨事にならないための準備(嘘をつけとは言わないが、オブラートにくるむくらいの大人の配慮)はすべきだったろう。それでも、人々に「彼女を助けたい」と思わせるほどの真摯さが伝わったかどうかはわからないが。

件の彼女の場合、元々有名なだけあって、それなりの金額が集まっているそうだ。でも、その代わりに、彼女はどれだけのものを失っただろうか。

人にお願いごとをしてお金をもらうということは、とても大変で、デリケートなことだ。クラウド・ファンディングであれ何であれ、システム的にうまく立ち回りさえすればお金が集まるなんてことは、ありえない。人の心を動かすには何よりも、真摯な理由がいるのだと思う。

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