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福引の景品

ナマステ・インディア二日目。今日も朝からジュレーラダックのブースで売り子を担当。暑いくらいの快晴で、何を血迷ったか、代々木公園ではセミが鳴いている。飲食ブースを中心に、会場は押すな押すなの大混雑。みんな、そんなにカレーが好きなのか。

会場では、300円を払うと挑戦できる福引コーナーがあって、その当たり外れとは別に、抽選で一名にエア・インディアのインド往復航空券が当たる抽選券がもらえる仕組みになっていた。もっぱら航空券目当てで福引をやってみると、「おめでとうございます〜! ショールが当たりました!」と言われる。どこかの売れ残りっぽい微妙な柄のショールが山積みになっていたので、その中からカーキ色の地味なショールをもらうことにした。

午後三時半から行われたインド往復航空券の抽選会。結果は‥‥もちろんハズレ。「外れた方の中から、抽選で五名様に、エア・インディアのマスコットキャラクター、マハラジャの人形を差し上げます!」と言われるが‥‥猛烈に欲しくない‥‥。まあ、人形が当たったら当たったで、ネタにはなったかもしれないが。

おおむね好天に恵まれたおかげで、ジュレーラダックのブースでの売上は、二日間のイベントに参加した中では過去最高を記録。写真展のポストカードも好評だったようで、ほっとした。終了時間近くになって急に雨が降ってきて、折り畳み傘も持っていないし、さて、どうしたものか‥‥と思案していたら、300円の福引で当たったショールがあったことに気づく。福引の景品が、思わぬところで役に立った。そのショールを羽織った姿をコンビニの店内にあった鏡で見ると、まるでトチローみたいだったが(笑)。

代々木公園のインド

今日と明日の二日間、ナマステ・インディアというインドフェスティバルが代々木公園で開催される。僕はジュレーラダックのブースの手伝いのため、朝から現地入り。午前中は小雨混じりの冷たい風が吹いていて、お客さんもほとんどいなかったのだが、幸い、昼頃からは雲一つない快晴。売上もまずまずだった。

僕のもう一つのブログ「Days in Ladakh」やミクシィのラダックコミュニティを見て、僕なんぞの顔を見にわざわざ足を運んでくださった方も何人かいて(ほんとすみません)、ポストカードを手に「写真展、楽しみにしています!」と笑顔で言ってくださるのを聞くと、ありがたいことだなあ、と思う。みなさんに喜んでもらえるような写真展にしなければ‥‥と気を引き締める。

休憩時間に、タンドーリチキンとビールを堪能しつつ、会場内をぶらつく。当たり前だが、どこもかしこもインド一色(笑)。アンビカのレトルトインドカレーが、よりどりみどりで3パック500円! 即決で購入。あとで、もう3パック買えばよかったかなとも思ったが、明日もあるし、まあいいか。

というわけで、明日もナマステ・インディアで一日売り子。天気がよさそうだから、お客さんもさらに増えそうだ。

写真の迷い

今年の夏のラダックでは、写真の撮り方について、さんざん悩んだ。

ラダックの風息」を書くための取材をしていた頃は、がむしゃらというか、必死というか、無我夢中でシャッターを切り続けていた。小手先のテクニックなどいっさい使わず(というか、そんなもの何も知らない)、真正面からの体当たり。だからこそ撮れた写真もあったし、ラダックの自然や人々にも、素直な気持で向き合うことができたと思う。

だが、ラダックという場所に慣れ、言葉を覚え、自分なりの撮り方が固まっていくうちに、本当にこの撮り方だけでいいのだろうか、という疑問が頭をもたげてきた。子供のかわいい笑顔が撮れたら、それで満足なのか? 笑顔は確かに魅力的だけど、それ以外の写真を撮る選択肢もあったかもしれないのでは? と。

滞在中、そんなことを考えているうちに、写真を撮る時、なんとなく迷いを感じるようになった。たぶんそれは、テクニック面ではなく、気持の面での問題だったのだと思う。なまじ、ラダックでいろんなことに慣れてしまったから、その上で、どういう気持、どういう心構えで写真を撮っていけばいいのか、わからなくなってしまったのだ。

一枚々々にきちんと気持を込めて写真を撮り続けるには、その気持をどういう方向に向けて放っていくのかを確認しておかなければならない。自分が伝えたいことは何なのか? それは自分にとって何なのか? そこがはっきりしていれば、どんな場面に遭遇しても、脊髄反射でシャッターを切ることができるはず。だが、今回のラダック滞在では、そこがちゃんと固まりきっていなかった。納得のいくカットより、反省すべきカットの方がはるかに多かった。写真の難しさ、写真の怖さというものを、今さらながら痛感している。

迷いは、今も晴れてはいない。さて、いったいどうしたものか‥‥。次にラダックに戻る前に、短期間でいいからどこか別の場所を撮りに行って、自分の撮り方を再確認してみてもいいのかもしれない。

人に会う

雨が降るたびに、めっきり涼しくなっていく。夏ももう終わりだ。

昼、渋谷でラダック生まれのチベット人の友人と会い、チョグラムサルにある彼の実家から預かってきた荷物を渡す。彼は来週、槍ヶ岳を登りに行くのだという。僕も誘ってもらったが、その頃はいろいろバタバタしていそうだったので断念。たまには日本の山も歩いてみたいのだが。

午後、渋谷から原宿まで歩いて、とある編集の仕事の打ち合わせ。この案件、まだラダックにいる頃にメールで打診があったのだが、作業が本格化するのはもう少し先になりそう。先方の事務所は人手が足りなくてかなり忙しそうだったので、来月あたりに別の地方取材の案件をお手伝いすることになった。

夜は、鎌倉在住の文化人類学者の友人と、新宿の陶玄房で飲み会。さんまの天ぷらがうまい。この友人にも、ラダックから預かってきた荷物があったので、それを渡す。ラダックの人々とある程度関わると、こうして運び屋にさせられることが常態化するのだった(笑)。

それにしても、今日はたくさんの人に会った。何だか新鮮(笑)。

おおざっぱになる

ラダックから日本に戻ってきて、痩せたことと、日焼けしたこと以外で自分が変わったなと思う点。それは、普段の立ち居振る舞いが、びっくりするほどおおざっぱになっていたことだ。

たとえば、外出先から帰ってきた時、財布や鍵と一緒に、眼鏡やiPhoneまでぽいっと机の上に放り投げそうになったり。洗面所で、ばしゃばしゃとそこら中に派手に水を飛び散らせながら顔を洗ったり。台所でインスタントラーメンを作る時、説明書をまったく無視して行き当たりばったりに作ったり。うまく説明しづらいのだが、とにかく、やることなすこと、ものすごくテキトーでおおざっぱになってしまったのだ。これでも、自分は結構神経質な人間だと思っていたのだが‥‥。

たぶんこれは、僕がラダックに行っていたからというわけではなくて、長旅から帰ってきた人間に共通する症状なのかもしれない。長い間、ざっくりおおらかな日々を過ごしてきたから、日本のきちっとした暮らしぶりに自分をアジャストできていないのだろう。

まあ、何から何まで戻してしまう必要はないと思うけど、とりあえず、眼鏡やiPhoneをうっかり放り投げそうになるのは直さなくては(笑)。