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「ヴィクラム」


リモート取材の仕事の予定が先方の都合でリスケになり、ぽっかり時間が空いてしまった。水曜だし、映画でも観に行こうと思い立ち、「ヴィクラム」を上映中の新宿ピカデリーに行った。製作と主演のカマル・ハーサンのほか、ヴィジャイ・セードゥパティ、ファハド・ファーシルが、それぞれ強烈なキャラで登場する。監督のローケーシュ・カナガラージは、「囚人ディリ」やこの作品、さらに今月下旬に日本で公開される「レオ・ブラッディ・スウィート」、そしてその後に続く作品群に関連性を持たせ、「ローケーシュ・シネマティック・ユニバース」(LCU)として展開していくのだという。

舞台はチェンナイ。謎の覆面集団による連続殺人事件が発生。捜査に加わった特殊工作員のアマルは、ドラッグの製造と売買で街を牛耳るギャングのボス、サンダナムに目をつける。サンダナムたちは、行方不明になっている大量のコカインの原料の所在を血眼で探していた。だが、捜査を進めるうち、アマルは殺害された被害者の一人、カルナンのことが気になりはじめる。無職の初老の男で、酒好き、女好き、いいかげんでもあり、善人でもある。彼はいったい何者だったのか……。

物語の前半は、アマルの目線で追っていく捜査の行方が、なかなか先の読めない展開で面白かった(さすがに、あの人がいきなり死んで終わるはずはなかろう、とは思っていたが)。ただ、インターミッションを過ぎたあたりで、各陣営の正体と立ち位置がはっきりしてからは、割と一直線にバーッと荒っぽく進んでしまった感がある。「マスター 先生が来る!」でも後半はそういう印象だったが、カナガラージ監督の作品は、クライマックスはひねった展開よりもイキオイ重視、みたいな傾向があるのだろうか。まだそれほど作品を観ていないので、わからないけど。

「復讐ではない」と言うヴィクラムの台詞とはうらはらに、まぎれもなくこれは、復讐の激情にかられた男たちの物語だったと思う。復讐がさらなる復讐を呼ぶであろうこのシリーズの果てには、どんな結末が待っているのだろう。

「バーラ先生の特別授業」

通常の仕事に加えて新刊発売関連のあれやこれやで疲労困憊のさなか、無理やり時間を捻出して、新ピカにタミル映画「バーラ先生の特別授業」を観に行った。主演はダヌシュ。個人的にも特に好きなタミル人俳優の一人だ。監督はヴェンキー・アトゥルーリ。

1990年代のインドでは、私立の学校や予備校が大勢の生徒を集める一方で、公立の学校は衰退の一途を辿り、高い授業料を払えない貧しい出自の若者たちは、学ぶに学べない状況に追いやられていた。そんな中、とある事情でチョーラワラム村の公立学校に赴任してきた数学教師、バーラ。貧困や差別、悪徳私立学校の経営者らと戦いながら、バーラは45人、いや46人の生徒たちに、学び続けることの素晴らしさを説いていく……。

観に行ってよかった。良い作品だった。シンプルでわかりやすいストーリーながら、中盤での絶体絶命の窮地に立ち向かう際の巧みな伏線回収が、「おお!」と膝を叩きたくなるほど見事。要所要所でダヌシュが発する台詞の数々も熱が籠っていて、胸にぐっとくる。ダヌシュは先生役が似合うと思う。もちろんアクションシーンでは完全無双(笑)。

何だか、観ているうちにぐんぐんアドレナリンが分泌されてくるような映画だった。僕もがんばろ。

『雪豹の大地 スピティ、冬に生きる』

『雪豹の大地 スピティ、冬に生きる』
文・写真:山本高樹
価格:本体2200円+税
発行:雷鳥社
A5変形判 256ページ(カラー84ページ)
ISBN 978-4-8441-3813-6
配本:2025年4月23日

書き下ろしの長編紀行としては、『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』以来、5年ぶりとなる作品を、まもなく上梓します。タイトルは『雪豹の大地 スピティ、冬に生きる』。インド北部の辺境の地、スピティで、野生の雪豹の撮影に取り組んだ日々の記録です。

全世界でも8000頭に満たない数しかおらず、険しい山岳地帯に生息しているため目撃することすら困難なことから「幻の動物」とも呼ばれている、野生の大型肉食獣、雪豹。ふとしたきっかけと成り行きから、彼らの撮影に取り組むことになった僕は、厳寒期のスピティで生きる雪豹をはじめとする野生の動物たちや、彼らの傍で暮らすスピティの人々と、ひと冬をともに過ごしました。その日々の中で僕が目にしたのは、写真だけでは到底伝え切ることができないほど、稀有で生々しく、そしてかけがえのない光景でした。

標高4200メートルの極寒の高地で、巡り巡る命を、見つめ続けた日々の物語。一人でも多くの方のもとに届くことを願っています。

「カッティ 刃物と水道管」

タミル映画界のトップスターであるヴィジャイとA.R.ムルガダース監督による作品は、選挙をテーマにした「サルカール 1票の革命」を以前観て、楽しむと同時にいたく感銘を受けた。それ以前にこのコンビによって作られた映画「カッティ 刃物と水道管」が、日本語字幕付きで劇場公開された。

コルカタの刑務所から脱獄してチェンナイに逃げた詐欺師カヴィルは、偶然目撃した銃撃事件の被害者ジーヴァが自分と瓜二つなのを利用し、ジーヴァを自分に見せかけて警察に捕まえさせ、自分自身はジーヴァになりすまして逃げおおせようと画策する。しかし、ジーヴァの故郷の村で起きている事件のあらましを知るにつれ、カヴィルは巨悪と対峙することになる……。

面白かったし、いろいろ考えさせられた。A.R.ムルガダース監督は、娯楽映画であっても社会問題を巧みにテーマに織り込むことに長けている。「カッティ」は「サルカール」よりも少しスケールが小さいのだが(それでも、チェンナイ全域の水供給を止めてしまうあたり、十分すぎるくらいでかい話だが)、その分、大企業によるインドの農村での乱開発と、話題作りしか考えていないマスメディアの弱者に対する冷淡さというテーマに、物語をシンプルに絞り込めていた。カヴィル自身も、誰と戦っても無傷のスーパーヒーローではなく、あるトリックを利用することで無類の強さを発揮するという仕掛けも(それ自体が伏線でもある)、うまいなあと感心させられた。

最近は、ヴィジャイの出演作品を日本語字幕付きで観られる機会が増えてきていて、個人的にもとても嬉しい。彼自身は、今後政界に進出する計画があるそうで、俳優業から引退するという話も聞いているが……どうなるのかな。

まっしろな砂漠の果てに

今年の春頃から書き続けていた、新しい本の草稿を、昨日、最後まで書き終えることができた。

一冊の本を書くことは、誰も歩いたことのない、まっしろな砂漠の只中を、一人で歩き続けていくのに似ている気がする。そこには道も、足跡もなく、どこをどう進んでいくのかは、すべて自分で決めなければならない。書きはじめる前に、計画(プロット)はあらかじめ入念に考えてはいるけれど、いざ始めてみると、計画通りに進まないこともよくある。あまりにも長い時間、その本のことをずっと考え続けているので、しまいには、それが本当に面白いのかどうか、自分ではわからなくなってしまう。

前に書いてきた本では、一番最後の数行にどんな文章を書くか、あらかじめ決めていたことがほとんどだった。でも今回の本では、最後の章までの大まかな構成を考えておいただけで、どんな文章で締めるのかは、あえて決めないまま、書き続けていた。まっしろな砂漠を歩きながら、どこで歩き終えるのかを、自分の感覚で見定めたかったのだと思う。

その最後の文章は、思いがけないほど、すんなりと現れた。自分の中から捻り出して書いたというより、しぜんと目の前に舞い降りてきたような文章になった。それでもまだ、この本がほかの誰かにとって面白いものになっているかどうか、自信はまったく持てないのだけれど。

この後は、いったん冷却期間を置いて、じっくり読み返してから、推敲とリライトに着手。年明けからは、本格的な編集作業が始まる。頑張らねば。やらねば。