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「サラール」

今週もまた、インド映画を観に行ってしまった。今日観ておかないと、来月帰国した頃には上映終了している可能性が高かったので。観たのは「サラール」。主演はプラバース、脚本と監督は「K.G.F」シリーズのプラシャーント・ニール。

この二人の組み合わせということから想像できるように、主な舞台となる要塞都市カンサールはK.G.Fの設定とよく似ているし、主人公デーヴァの剛腕無双ぶりやその出自はバーフバリを思い起こさせる。意図的にそうしているのだろう。物語自体は今作がパート1ということで、続編から完結するまで(何部作になるんだろう?)見通して、伏線の回収まで見てみないと、何ともレビューしようのない部分も多い。

ただ、一つ思ったのは……「バーフバリ」や「K.G.F」でそれぞれの主人公が悪党をやっつける時に感じたある種の爽快感が、この「サラール」ではどこか違っていたこと。デーヴァはめちゃくちゃ強いのだが、少なくとも今作ではあまりにも強すぎてほぼ誰も相手にならなくて、ただただ一方的に殴りまくり、殺しまくり、返り血で血みどろになっている。アマレンドラ・バーフバリのように皆に慕われる人格者というわけでも(少なくとも現時点では)なく、親友ヴァラダへの仁義には篤いが、何をどう考えているのかはっきりわからない。「K.G.F」シリーズの主人公ロッキーのように自覚的にバイオレンスに振り切れているピカレスク・ヒーローというわけでもない。そういったもろもろが、個人的にアクションシーンで素直な爽快感を感じきれなかった要因かもしれない。

続編が公開されたら観に行くつもりではいるけれど、どうなるのかな、この物語は……。

「チャーリー」


最近、毎週のように映画を観に行っている。しかも大半がインド映画。昨日観たのは、「チャーリー」。原題は「777 Charlie」、2022年公開のカンナダ語映画だ。

幼い頃に交通事故で家族を亡くし、心を固く閉ざしたまま生きる男、ダルマ。そんな彼のもとに、悪徳ブリーダーのアジトから逃げ出してきた子犬が棲みつきはじめた。むちゃくちゃな暴れっぷりの子犬に手を焼くダルマだったが、次第に心を通わせ合うようになる。チャーリーと名付けられたその犬によって、少しずつ、人間らしい心と生活を取り戻しはじめたダルマ。しかしそんな日々のつかのま、チャーリーが血管肉腫を患っていて、余命わずかであることが発覚。テレビに映る雪に強い興味を示していたチャーリーに本物の雪を見せようと、ダルマは手製のサイドカーにチャーリーを乗せ、マイソールからヒマーチャル・プラデーシュを目指す旅に出る……。

飼い犬に雪を見せるだけなら、マイソールから飛行機(ペット持ち込み可のはず)で北に飛ぶか、長距離列車を利用するなりした方が、圧倒的に早いだろうし、所要日数も少ないので結果的に安上がりになる……というツッコミは、この種のロードムービーには野暮なのだろう。でないと映画にならないだろうし。その他にも、いろいろツッコミどころはあったのだが、まあ……チャーリーが全部持って行ったよね……。信じられないほど表情が豊かで、彼女の一挙手一投足にすっかり心を奪われてしまった。あと個人的には、終盤のシムラーから雪山にかけての場面は、つい数カ月前に似たような場所で似たような経験をしていたので、いろいろフラッシュバックした(苦笑)。

避けようのない悲しい結末と、その先に灯る確かな希望。良い映画だった。

『ジガルタンダ・ダブルX』

カールティク・スッバラージ監督の『ジガルタンダ』を前に観た時は、まさかまさかの展開が連続する巧みなプロットと、タミルのギャング映画ならではのケレン味とユーモアが満載の映像に、文字通り、度肝を抜かれた。その前作から九年の時を経て公開された『ジガルタンダ・ダブルX』。直接の続編ではない(ということにしておこう、でも実は……)のだが、前作とはまた違った意味で、度肝を抜かれた。これは、ものすごい映画だ……。

警察官としての内定をもらったばかりのキルバイは、謎の集団殺人事件に巻き込まれ、その犯人として収監される。出所と復職の条件は、マドゥライを根城にするギャング団「ジカルタンダ極悪同盟」のボス、シーザーを暗殺すること。キルバイは映像作家と名乗ってシーザーに接近し、彼を主役にした映画を撮ると見せかけて、暗殺のチャンスを伺うが……。

今回も、まさか、まさかの展開。前作のようにコミカルでシニカルな着地になるのかなと予想していたが、思いの外、ずしりとヘヴィな結末になだれ込んでいく。人も、えっそんなに?!と驚くほど、大勢死ぬ。こういう仕立てにしたのは、過去、そして今のインド社会に対する、監督自身からの痛烈なメッセージなのだろう。

その一方で、前作と同様、物語と映像の全編に溢れているのは、映画を撮るという行為に対する、絶対的な信頼と愛だ。斧や鉈よりも、拳銃やライフルよりも、8ミリフィルムカメラの方が、強力な武器になる。そのド直球な映画愛は、観ていて本当に清々しかった。

そして……そのうち来るのか、トリプルXが?

旅立つ前の憂鬱

気がつけば、二週間後には、またインドだ。ほんの四カ月前まで、二カ月もインドにいたのに、またしても。何だか茫然としてしまう。

今度の滞在は、約六週間。旅の後半は、勝手知ったるラダックでのツアーガイド業務なのでまだ気が楽なのだが、旅の前半は、灼熱と混沌のデリーから始まって、未踏の地への三週間弱の旅になる。どうなることやらわからないが、楽な道程ではないことだけはわかっている(苦笑)。

で、八月中旬にインドから日本に帰ってきて、そのまた十日後には、アラスカに行く。期間は十日間で、これまたどうなることやらわからない旅なのだが、楽ではないことだけはわかっている。まず、滞在する場所に、人間がいない……(苦笑)。

そんなわけで、足かけ二カ月くらいの間、ほぼずっと旅に出ることになっている。

目的地がそういう大変そうな場所だからというわけでもないのだが、長い旅に出る前は、どことなく、憂鬱な気分になる。東京の自宅での、せわしないけれどそれなりに快適な日々から、毎日何が起こるかわからない、何が起こってもおかしくない世界の中へ、文字通り、突っ込んでいく。しんどいなあとも思うのだけれど、そうやってぼやいてる自分を、どこかで面白がっている自分もいる。快適至極な旅に憧れもするけれど、酔狂な旅だからこそ自分らしくいられるのかもしれない、ということもうっすら自覚している。

仕方ない。そういう生き方を、選んでしまったんだから。

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ポール・オースター『写字室の旅/闇の中の男』読了。前に買ってはいたが未読だった本を、オースターの逝去を機に手に取った。もとは別々の作品として発表された二冊が、のちに一冊にまとめられたものだという。『写字室の旅』は、密室に閉じ込められて監視されている老人が、かつて彼が書いたと思われる物語の登場人物たち(そして彼らはオースターの作品の登場人物たちでもある)の訪問を受けて……という、非常に凝った構造の物語。『闇の中の男』では、かつて著名な書評家だった老人が、夜に自室で眠れないまま、内戦状態に陥ったアメリカを舞台にした物語(その中で彼は、物語の命運を握る者として暗殺の標的にされる)を思い描いたり、亡き妻や近しかった人々への追憶に思いを馳せたりする。どちらも、物語の登場人物が実在化して書き手自身に関わってくるという図式は共通している。それらの書き手や登場人物たちはすべて、オースターの作り出した存在でもある。

終盤に書かれていた次のくだりは、長きにわたって常に創作に身を投じ続けていた、オースター自身の独白でもあるのかな、と思う。
「三十五、三十八、四十、あのころはなんだか、自分の人生が本当に自分のものじゃないみたいな気がしていたんだ。自分が真に自分の中で生きてこなかったような、自分が一度も現実だったことがないような。現実ではないがゆえに、自分が他人に及ぼす影響もわかっていなかった。自分が引き起こしうる傷も、私を愛してくれる人たちに自分が与えうる痛みもわからなかった。」

「PS1 黄金の河」「PS2 大いなる船出」

『Ponniyin Selvan(ポンニ河の息子)』は、1950年にラーマスワーミ・クリシュナムールティが雑誌で連載を始めた歴史小説で、最終的に全5冊にまとめられ、インドで大ベストセラー&ロングセラーとなった。9世紀から13世紀頃にかけて南インド一帯を支配していたチョーラ朝の歴史の中でも、10世紀頃の全盛期の王、ラージャラージャ一世が即位する直前の時代を舞台にしている。その小説が長い時を経て、ついに映画化された。「PS1 黄金の河」が前編、「PS2 大いなる船出」が後編となる。

というわけで、気合を入れて、前後編を観てきた。……いやー、濃かった。壮麗な映像から溢れ出る情報量があまりにも濃密で、観終わった後、ちょっとぐったりしながら映画館を出るはめになった(笑)。もちろん面白かったのだけれど、タミル映画ビギナーの人には、出てくる男性俳優がほぼ全員長髪髭面なので識別しづらいとか、物語に入り込むまでに、それなりのハードルの高さはあるかもしれない。

明確な主人公を据えない群像劇ではあるのだけれど、やはりもっとも重要な軸となるのは、第一王子アーディタと、彼と深い因縁を持つナンディニの悲恋の末路になるのかなと思う。あまりにも残酷な運命に翻弄されたナンディニを演じたアイシュワリヤー・ラーイの演技は、本当に見事だった。

「バーフバリ」や「RRR」のような映画が世界規模でヒットするようになって、この「PS1」「PS2」のような歴史大作も映画化される時代になったのは、インド映画界にとっても、それを日本の劇場で観ることのできる僕たちにとっても、良い傾向だな、と思う。