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与えられた時間の中で

昼、用事があって、恵比寿へ。モックネックのTシャツにコーデュロイのジャケットを羽織って外に出たら、思いの外、肌寒い。冬の気配が忍び寄ってきている。

用事をすませ、ヴェルデでコーヒーを飲みつつ少し本を読んでから、銀座へ。ソニーイメージングギャラリーで15日まで開催されている幡野広志さんの写真展「優しい写真」を見に行く。平日なのに、大勢の人が立ち寄っていた。

展示されていた写真には、何気ない、でも次第に残り少なくなる日常の時間の中で、大切な存在をいとおしむ思いが詰まっていた。「伝えたいことを伝えたい人に伝えられるのが良い写真の一つ」という意味のことを幡野さんは書かれていたが、その通りの写真だと思った。

自分の人生を他の誰かと比べることには何の意味もないけれど、僕の人生は、奇天烈ながらも運に恵まれている方だと思うし、今の自分は、これまでの人生の中でもかなり幸せな日々を過ごさせてもらっているとも思う。とはいえ、そういう日々が未来永劫続くとは思っていない。変化や終焉は、誰の人生にも、いつ訪れるかわからないし、いつか必ず訪れるものでもある。

良い文章を書きたい。良い写真を撮りたい。そして、良い本を作りたい。そのためには、与えられた時間の中で、自分と大切な人たちのために、せいいっぱい、できるだけ良い生き方をしなければ、と思う。そうして、僕よりも少しだけ長生きしてくれるかもしれない本を、この世界に残したい。

二人で生きる

長年住み慣れた三鷹から西荻窪に引っ越してきて、二カ月半ほど経った。引っ越して十日も経たないうちにラダックとアラスカに出かけてしまったので(苦笑)、実際にここで暮らしている日数はまだ一カ月程度。それでも、この西荻窪というこぢんまりとした街での暮らしが、少しずつ身体に馴染んできたように感じている。

引っ越しで変わったのは住所だけではなく、一人暮らしから二人暮らしへの変化もあった。相方である彼女との付き合いは、もうずいぶん昔からのことになる。二人暮らしをするかどうかという話し合いもだいぶ前からしていたのだが、いくつか事情もあって、このタイミングになった。

僕は大学への入学時に実家を出て、四年間は学生寮にいたものの、それから現在に至るまでずっと一人暮らしだったので、ひさしぶりに誰かと生活を共にすることに対して、ちょっと戦々恐々としていた。いくら気心の知れた間柄とはいえ、四六時中一緒に暮らしていれば、お互い何かしら異なる部分や合わない部分も出てくるだろうし。

ただ、実際に一緒に暮らしはじめてみると、思いのほか大丈夫だな、というのが現時点まででの感想だ。

相方は僕と違ってまっとうな勤め人なので、朝早く起きて仕事に出かけ、夜になると帰ってくる。僕は一緒に起きてトーストの朝ごはんを食べ、相方が出かけると自分用のコーヒーをいれ、その日の仕事に取りかかる。昼頃に外に出て、今野書店で新刊の本や雑誌をチェックしてから、駅前のスーパーで食材の買い出し。おひるは外で軽くすませるか家で適当に作るかして、午後は仕事の続き。夕方、相方の帰宅予定時間から逆算して台所で食事の準備を始め、相方が戻ると一緒に晩ごはん。で、夜半前にはすぱっと寝てしまう。

以前の僕は、午前中の遅い時間に起きて、夜は二時か三時まで夜更かしという、典型的な夜型だったのだが、今のような朝型に変えてみると、意外なくらいすんなりと順応できた。むしろ、メールなどの着弾の少ない午前中から早々と仕事に取りかかれるので、前よりも効率がいい。一日のうち、一人きりで過ごしている時間も意外と長いから、気分的にもバランスよく過ごせている感じだ。

二人暮らしを始めてみて、あらためて思うのは……一方が出かける時は「いってきます」と「いってらっしゃい」、戻ってきたら「ただいま」と「おかえり」という、一人暮らしには存在しなかったやりとりがほぼ毎日ある、ということだろうか。一緒にごはんを食べる時には「いただきます」と「ごちそうさま」、寝る時は「おやすみ」で、起きた時は「おはよう」。当たり前と言われればその通りだけど、そういう日々の何気ないやりとりがあるのが二人暮らしで、それらはきっと、自分たちの心を隅々まで満たしてくれる、かけがえのないものなのだとも思う。

今日の午後、半休を取った相方と二人で杉並区役所に行き、婚姻届を出してきた。なぜ今日にしたかというと、今年の中で今日が一番縁起のいい日だそうで、この日にすれば周囲の人たちにもわかりやすいだろうという、割とシンプルな理由から。区役所の受付は案の定激混みで、おまけに最後にもらう予定の各種証明書を交付窓口の担当者がすっかり忘れていたらしく(苦笑)、合計四時間以上も待たされる羽目になってしまった。

僕自身は縁起を担ぐたちではまったくないし、戸籍というものに特に思い入れもない(むしろ、日本の窮屈な戸籍制度に対して腑に落ちないと感じている部分はたくさんある)。ただ、これから僕と相方が二人で生きていくために必要な手続きの一つとして、届を出しておこうと思った。それだけ。

大事なのは、これからどんな風に二人で生きるか、ということだ。なので、まあ、頑張ります。

それは当たり前ではなく

先週末、母が上京してきた。新宿のホテルに宿を取ったというので、実家のある岡山にはなかなかないというタイ料理店で、一緒に晩飯を食べた。

タイ料理店から喫茶店に場所を移そうということになり、街を歩いていると、「紀伊國屋書店を見てみたい」と言われた。地下一階の旅行書コーナーでは、三月末に出たばかりの僕の本が10冊ほど面陳して置かれていた。

「こんな風に置かれてるの、見たことなかったわ」と母が言った。まあ東京だから……と言いかけて、それは当たり前のことではない、と思い直した。本がこの世に生み出されて、書店の店頭に並べられ、お客さんが手に取って、レジに持っていく。それが、どれだけ大変なことか。どれだけ多くの人の力を借りなければならないか。

本を作り、読者に届ける。この仕事の重さを、あらためて感じた。

葉物野菜の不作

終日、部屋で仕事。新しい本の編集作業も、佳境にさしかかってきた。細かいところまで一つずつ、丹念にチェックして、つぶしていく。地味で単調で疲れる作業。でも楽しい。

夕方、実家から野菜が届く。同封されていた母からの手紙に、今年は天候不順で、特に葉物野菜の出来が良くないと書かれていた。確かに、その後近所のスーパーまで食材の買い出しに行ってみると、白菜もレタスも小松菜も、ええっとのけぞるほど高いし、品揃えも少ない。野菜も生き物だから、いつでもどこでもすぐ簡単に手に入るなんてことはないんだな、とあらためて実感。

晩ごはんは、実家から届いた小ぶりな白菜を刻んで、豚バラ肉と酒蒸しに。ゆずポン酢に浸しながら、ありがたくいただいた。

生き方を自分で選ぶということ

年末年始に実家方面の人間たちと会った時、何かと話題に上っていたのは、春から高3になる姪っ子の進路についての話だった。

岡山で中高一貫の進学校に在学している姪っ子は、周囲の優秀な子たちと相対的に比べられることもあって、学内での成績はあまり良くはないそうだ。本人の勉強に対するモチベーションも、あまり高そうには見えない。将来、具体的に何かやりたいことがあるというわけでもなさそうだ。

母親(=僕の妹)をはじめ、周囲の大人たちは、半ば腫れ物に触るようなおっかなびっくりさで、それでも姪っ子の進路を案じている。その気持もわからないではないけれど、僕個人は正直、彼女がどこの大学に行こうが、何の職業に就こうが、ある意味、どこでも何でもいいと思っている。そんなことは、後からいくらでも取り返しがきく。生きていて、状況が許すかぎり、勉強はいつでもどこでだってできるし、仕事も何度でも変えられる。

特に若い時、やり方としてよくないのは、難しいから、苦手だから、という消極的な理由だけで、消去法で選択肢を狭めていってしまうことだと思う。考え抜いて選ぶべきなのは、大学でも、職業でもない。自分はどういう生き方をしたいのか、ということだ。周りの大人が「あなたはこうすれば大丈夫だから」と選択肢をあてがってやるのでは、まるで意味がない。それだと、失敗した時に他人のせいにしてしまう。自分自身で選び取った生き方なら、失敗しても自分の責任だと思えるし、その失敗を何らかの糧にして再び立ち上がることもできる。

生き方を選べる境遇にいるのなら、選ぶべきだ、自分自身で。生き方を消去法の他人任せにしたら、きっと一生後悔する。