Tag: Family

おんびんたれ

あけましておめでとうございます。2019年もよろしくお願いします。

年末年始は、僕の実家のある岡山と、相方の親御さんが住む神戸を渡り歩いて過ごした。僕自身、岡山に帰省するのは何年かぶりのことで、子供の頃に見ていたのとはすっかり変わってしまった風景に面食らいつつも、ほんの些細なきっかけで記憶の蓋がパカッと開くような瞬間もあった。冬枯れの田んぼ。冷たく乾いた風。川の上を低く飛ぶ白鷺。

岡山に戻って家族と会話する時は、僕の口調も岡山弁に切り替わるのだが、それでもものすごくひさしぶりに耳にする岡山弁がいくつかあった。「おんびんたれ」(臆病者という意味)とか、他の地域ではまずわかってもらえない。これまでの人生で過ごした歳月の長さで比べれば、岡山よりも東京の方が1.5倍くらい長いのだが、それでも僕という人間の根っこの部分には、岡山という土地の血脈が否応なく浸透しているのだろう。

あと、全然関係ないけど、今回の帰省で一番ビビる思いをしたのは、上の甥っ子が「このあいだなあ、グーグルで、ヤマモトタカキで調べてみたんよ」と言ってきた時(苦笑)。前にラジオに出させてもらったりした時の番組サイトの情報とかが出てきたらしい。怖い……インターネット怖い……。

雪が降る町

ラジオからUNICORNの「雪が降る町」が流れてくると、ああ、今年もすっかり終わるんだな、という気分になる。

今年の年末年始はひさしぶりに、実家のある岡山に帰省する。30日の夕方(1カ月前に新幹線の切符を買いに行ったのに、夕方しか席に空きがなかった)に移動して、大晦日は岡山で。元旦の昼に、相方の親御さんがいらっしゃる神戸に移動し、2日の夜に帰京。ついさっきまで、その荷造りをしていた。

今年は本当に、大きな変化のあった年だった。一連のミッションに取りかかる前は「これ、本当に終わるんだろうか……」と茫然としていたのだが、一つひとつに慎重に取り組んでいれば、そのうち何とかなるものだなあ、と。2019年は前半から結構でかい仕事のプロジェクトが続くのだが、これもまた、焦らず、じっくり、一つひとつやっていこうと思う。

……とりあえず、年始に絶対やっとかなければならないのは、確定申告の準備(泣)。取材を終えて帰国するのが3月11日だから、出発前にあらかた準備をすませておかなければ、15日の締切日に間に合わない。はあ〜……。

年末年始、ところによっては、雪が降るのかな。みなさん、よいお年を。

エクトプラズム

数日前からのちょっとありえないような気温の乱高下のせいか、のどの調子が悪くなった。風邪というほどではないが、のどの入口あたりのいがらっぽさが消えないのだ。

まあそのうち治るだろう、と呑気に構えていたのだが、金曜の昼にインタビューを受けた時、2時間近くしゃべってるうちにどんどん悪化して、その日の夜には、完全にがらがらのしゃがれ声になってしまった。取材の場でしゃべることを見越してケアをしておくべきだった。迂闊。

すると、同居してる相方が、次から次へと自分ののど治療アイテムを持ってきてくれた。相方は人前で割と声を張って話す機会の多い仕事をしていて、彼女自身も冬場はよくのどを傷めるので、そういうアイテムを豊富に持っているのだという。うがい薬。何種類もの漢方薬の粉末。いただきもののマヌカハニー。そして真打は、ポータブルの超音波吸入器。

この超音波吸入器は、水を入れてスイッチを入れると、白い水蒸気が噴出される。口をあけてそれをのどに向けると、のどの奥にうるおいを届けることができるというアイテムだ。実際に使わせてもらうと、なかなか気持よくて、のども楽になる気がする。使用中の姿を鏡とかで見ると、口から白い蒸気がぼわわわとこぼれていて、何とも言えないシュールな光景なのだが。

そんなわけで、僕はこの超音波吸入器を「エクトプラズム」と呼んでいる。

面白い人

今年の夏から同居を始めた相方について、「どんな人なんですか?」と周囲からよく訊かれる。

ひとことで言うと、「面白い人」である。

これまでもずいぶん長く付き合ってきたから、彼女の良い部分もそうでない部分もそれなりに知っていたつもりだったけど、一緒に暮らしはじめて、「こんなに面白い人だったのか……!」と、毎日のように新たな発見があって、驚かされている。

相方がいかに面白い人か、日々のエピソードをブログに書き綴っていったら、たぶんかなり話題になると思うのだが、そんなエピソードをWebに晒したらただではすまないので(笑)、自重している。

いや、しかし、ほんと、面白い人である。僕は出会いに恵まれているなあと思う。

与えられた時間の中で

昼、用事があって、恵比寿へ。モックネックのTシャツにコーデュロイのジャケットを羽織って外に出たら、思いの外、肌寒い。冬の気配が忍び寄ってきている。

用事をすませ、ヴェルデでコーヒーを飲みつつ少し本を読んでから、銀座へ。ソニーイメージングギャラリーで15日まで開催されている幡野広志さんの写真展「優しい写真」を見に行く。平日なのに、大勢の人が立ち寄っていた。

展示されていた写真には、何気ない、でも次第に残り少なくなる日常の時間の中で、大切な存在をいとおしむ思いが詰まっていた。「伝えたいことを伝えたい人に伝えられるのが良い写真の一つ」という意味のことを幡野さんは書かれていたが、その通りの写真だと思った。

自分の人生を他の誰かと比べることには何の意味もないけれど、僕の人生は、奇天烈ながらも運に恵まれている方だと思うし、今の自分は、これまでの人生の中でもかなり幸せな日々を過ごさせてもらっているとも思う。とはいえ、そういう日々が未来永劫続くとは思っていない。変化や終焉は、誰の人生にも、いつ訪れるかわからないし、いつか必ず訪れるものでもある。

良い文章を書きたい。良い写真を撮りたい。そして、良い本を作りたい。そのためには、与えられた時間の中で、自分と大切な人たちのために、せいいっぱい、できるだけ良い生き方をしなければ、と思う。そうして、僕よりも少しだけ長生きしてくれるかもしれない本を、この世界に残したい。