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本を贈る

午後、用事でちょっと都心へ。帰りに吉祥寺で途中下車し、ジュンク堂書店に行って、本を何冊か物色。自分用ではなく、年末年始に会う予定の、実家方面の姪っ子や甥っ子たちにあげる用の本。

実家方面の人間たちとは年に一度会えればいいくらいの不義理を日頃働いているので、たまに会う時には、小さな人たちに何かプレゼントを持っていくようになった。とはいえ、僕は基本的にアマノジャクなので、世の中的には子供受けすると考えられている、おもちゃやゲームの類は持っていったことがない。たいてい、一人につき一冊、本を選ぶ。

正直、「もっと単純に喜びそうなものを持っていった方がいいかな……」と思わなくもないのだが、このご時世に、年に一度やってきて本を一冊渡していくヘンな叔父さんというのも、まあ世の中に一人くらいいてもいいんじゃないかと、自分を納得させている。

そういう自分も、もっと本を読まねばだな……。

パルメザンチーズ

昼の間に、寝具のシーツ類や綿毛布、タオルケットなどをまとめて洗濯し、コインランドリーの乾燥機で一気に乾かす。午後は散髪に行って、髪を短くカットしてもらう。どれも、旅の出発前の恒例行事。

家の食材はほとんど使い切っていて、今日は残りのパスタとミートソースで晩ごはん。パルメザンチーズを、ザッザッザザザッ、とたっぷりかける。

子供の頃、ミートソースにふりかけるパルメザンチーズは、ある意味、憧れの対象だった。赤いソースの上にふりかける白いチーズの粉が、なんだかものすごくおいしいもののように思えていたのだ。実際には、混ぜるとソースにすぐ溶けてしまって、味として「ちょっとコクが出たかな」くらいの違いしかないとは思うのだが。とにかく子供の頃は、あの赤いソースに白い粉チーズというビジュアルに憧れていた。でも、親の目の前でチーズを大量に浪費しまくる度胸は正直なかった。

大人になったら、ミートソースに、思うぞんぶん、パルメザンチーズをふりかけたい。

その夢はあっさり実現し、僕はミートソースパスタを作るたび、これでもか!というくらいパルメザンチーズをふりかける。そんなに味は変わらないのはわかってる。ただ、ふりかけたいのだ。思うぞんぶん。それだけだ。

妹の上京

昼、妹からメッセが届いた。修学旅行の引率(妹は地元岡山の高校で教師をしている)で昨日から東京に来ていて、今日は生徒たちは自由行動で自分は夕方までヒマなので、仕事の都合がつくなら、新宿でお茶でも飲まないか、と。

外を見る。すごい雨。ほとんど嵐。この雨の中を新宿まで出てきて、自分のヒマつぶしに付き合え、と。我が妹ながら、どうかと思う(苦笑)。

少々濡れてもいい服を着て、日本野鳥の会の長靴(去年の秋、南東アラスカに行くために買った)を履き、えっちらおっちら、新宿へ向かう。紀伊国屋書店で妹と落ち合うと、腹が減ってるというので、アカシアでおひる。その後は、伊勢丹の地下などでおみやげを買うのに付き合ったり、タカノフルーツパーラーでパフェを食べるのに付き合ったり、ブルーボトルコーヒーでコーヒーを飲むのに付き合ったり……結局、夕方まで付き合うことになった。

修学旅行の引率の仕事は、何気にいろいろ手間がかかるらしい。会っている最中にも自由行動中の女子生徒から「滑って転んで服が濡れたから、着替えに宿に戻りたい」と半ベソで電話がかかってきたり(笑)。昨日の夜は、ホテルのドアで顔面強打して流血した子もいたらしい。若いって大変である。

……まあ、今日に関しては、こっちもたいがい大変だったけど(苦笑)。疲れた。今日やるはずだったインド旅の荷造りは、明日にしよう……。

違う選択肢

昨日の深夜、ふと、そういえば、と思い当たったことなのだけれど。

6年前に他界した僕の父は、高校で国語の教師をしていた。現国、古文、漢文。でも、僕が子供の頃に父から与えられていたのは、海外文学を翻訳した本ばかりだった。岩波書店から刊行されていた本が多かったと思うが、それはもう、本当に徹底していて。日本の作家の本を与えられた記憶は、まったくと言っていいほどない。その影響が刷り込まれているからなのか、僕は今も本屋をぶらついていると、しぜんと海外文学の棚に足が向いてしまう。

父自身が海外文学を好んで読んでいたかというと、そうでもなく、書斎の本棚に収まっていたのは日本の作家の本や実用書ばかりだった。彼はなぜ、子供の頃の僕に海外文学の本ばかり与えたのだろう。当時の父の意図は、今はもう知るすべもない。ただ、もしかしたら彼は、自分自身とは違う選択肢を僕が選ぶこともできるように、可能性の幅を持たせてくれたのかもしれない、とは思う。

結果的に僕は、父とはまったく違う道を選び、イバラだらけの道に突っ込んでしまった。でも、違う選択肢を選べる幅を持たせてくれた彼には、感謝している。

「この世界の片隅に」

昨年暮れからずっと観に行きたいと思っていた映画「この世界の片隅に」を、ようやく観ることができた。公開されてからずいぶん日が経ったのに、映画館はぎっしり満席。聞くと、年明けから、各地で上映館が大幅に増えたそうだ。興収は10億円を突破し、「キネマ旬報ベスト・テン」では日本映画の第1位に選出。日本の社会にまだ、こうした作品が受け入れられてきちんと評価される土壌が残っていたことに、正直、ちょっとほっとしている。

舞台は昭和初期の広島。18歳の少女すずは、縁談が決まって、軍港の街、呉に嫁いでくる。ずっと穏やかに続いていくはずだった、当たり前の日常。しかし世界は少しずつ、ひたひたと、恐怖と狂気に浸されていく。やがてその狂気は、すずにとって大切な人やものを、喰いちぎるように奪い去ってしまう。そしてあの夏が来て……それでも、人生は続いていく。

観終わった後、子供の頃に父から聞かされた、終戦の頃の話を思い出した。岡山で大空襲があった後に降った雨。シベリアで抑留されるうちに身体を壊してしまった祖父。祖父が留守の間、一人で畑を耕しながら父を育てた祖母。故郷に戻ってきた祖父が父への土産に持ってきたキャラメルが、本当に甘くておいしかったということ。最近では、そんな話をしてくれる大人も、すっかり少なくなってしまった。

今の日本は、うすら寒い狂気と恐怖に、再びひたひたと浸されはじめているように僕は感じる。ふと気付いた時には、いろんなことが手遅れになってしまっているかもしれない。だから、この作品は、一人でも多くの人に、特に10代、20代の若い人たちに、観てもらいたい。ありふれた日々のかけがえのなさと、それを守るためには何が必要なのか、「普通」であり続けるために僕たち一人ひとりがどう生きるべきなのかを、考えてもらえたら、と思う。