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プロの書き手であり続けるための二つの基準

僕は30歳を過ぎた頃にフリーランスとして本格的に独り立ちして、編集者兼ライターとして、いくつかの雑誌で仕事をするようになった。未熟ながらもどうにかこうにか生活できていたのは、すこぶる優秀とまでいかなくても、各編集部からの要求を満たす結果をそれなりに出し続けていたからだと思う。クライアントが求めるものに可能な限り近い成果を上げるためのスキル。それを持っていることは、プロの書き手として最低限の基準だった。

でも、そうしてクライアントからの要求に応えるための仕事を何年か続けていくうちに、このままでいいのか、という気持が胸の奥で芽生えた。自分が本当に心の底から作りたいと思える一冊は、まだ作れていないのではないか。そこから僕は、なぜか日本の仕事を全部ほっぽり出してラダックくんだりまで行って本を書く、という素っ頓狂な道を選んでしまったのだが(苦笑)、今考えるとそれは、当時の自分にはまだ欠けていた、プロの書き手に求められるもう一つの基準を満たすための模索だったのかもしれない。

クライアントが求めるものに応えられるスキルを持っているのは、プロとしての最低基準。その上でクリアすべきもう一つの基準は……自分が書きたいと思えることを自分らしい形で書き、なおかつそれを周囲からも認められる仕事として成立させられるだけのスキルを持っているかどうか。そのスキルには文章力のほかに、企画力や交渉力、苦境にもへこたれない意志の強さなども含まれる。これは書き手だけでなく、写真家やイラストレーターなど他の分野でのフリーランサーにも通じる話だと思うし、それらの分野におけるアマチュアの方々との決定的な違いにもなると思う。

僕自身、自分のやりたいことだけ好きに書いたり撮ったりして生活しているわけではなく、生活費の大半はクライアントから依頼された仕事でまかなっているのだが、自分の仕事の芯となる部分に自前の企画で個性を発揮できる仕事を持ち続けることは、他のクライアントとの仕事にも好影響をもたらすし、いい形で新しい仕事につながっていくきっかけにもなる。

クライアントの要求に応えるためのスキルと、自分のやりたいことを仕事としても成立させるためのスキル。僕自身まだまだ未熟だけれど、これからもプロの書き手、そして写真家であり続けるために、二つのスキルを磨き続けていこうと思う。

積み残し、なし

ラダックの風息[新装版]」が発売されてから、1カ月半ほど過ぎた。出版記念関連のイベントや展示は、今月も来月もその先も、まだまだいろいろ続くのだが、この本に対する自分の気持は、ある意味とてもすっきりと整理できたように思う。

ああ、これでやっと、積み残しがなくなったな、と。

ラダックで一人、無我夢中の体当たりであちこち旅をしながら過ごしていたあの頃から、今に至るまでの日々。撮り続けてきた写真、書ききれないでいた言葉。それらをようやく、一番納得のいく形で、一冊の本に凝縮させることができた。だからもう、今までの自分が取り組んできたことをふりかえって気にかける必要はない。これからの自分が何をすべきなのか、何を新たに積み上げていくべきなのか、そのことに集中していける。今、はっきりと、そういう気持になった。

ラダックで、あるいは別のどこかで、何かを追い求めて。その姿は少しずつ、うっすらと見え始めている。

アクセルをゆるめて

世間で言うところのゴールデンウイークも、今日で終わりらしい。今年は隙間の平日にうまく休みが取れれば大型連休にできたので、海外に行った知り合いも多かった。

僕はというと、途中で里山歩きを少ししたり、ジャイルスのフェスに行ったりはしていたものの、結局、ほぼずっと仕事の続きだった。6日に取材が入っていたし、連休前までの取材分の原稿、Web連載の原稿、十日後のトークイベントの準備など、いろいろあったのだ。まあそれは仕方ない。むしろ、連休の影響で外から余計な電話やメールが来なくて静かだったので、作業がはかどって助かったくらいだった。

これからしばらくは、僕自身が進行をコントロールできる仕事の割合が増えるので、かなりほっとしてもいる。それで今になってあらためて感じているのは、俺、疲れてたんだな、ということ(苦笑)。文字を目で追うのが気持ち悪くなるくらい短期間で大量の原稿を書いていたし、取材であちこち長時間出歩いて身体も気力も消耗していたし、正直どうでもいいアホらしいことに振り回されたりもしてたから、当然の結果とも言える。

ちょっとアクセルをゆるめて、しっかり休もう。ちゃんと寝て、自分でメシ作って食って、好きな音楽を聴いて、好きな本を読む。たとえほんのかりそめでも、そういう時間が必要だ。でないと、心がぱさぱさになる。

目が回るほど忙しかった理由

ここしばらく、ブログを更新する時間的余裕もろくに持てないくらい、忙しい日々がずっと続いていた。2016年になるかならないかのうちから、ずっとこんな調子だったような気がする。そんな目が回りそうなほどせわしない状態にも、今日でほんのちょっとひと息つけそうだ。世間的に連休に突入するから、外部から余計な連絡が来ないというのが主な理由だけど。

文字通りリアルに目が回るほど忙しかったのには、今思うと、理由がある。あっちこっちからぶんぶん振り回されまくっていたから、心の準備ができずに、余計にしんどいと感じていたのだ。企画段階から自分で仕切ることのできる仕事であれば、責任を全部一人で背負う代わりに、自分で隅々まで気を配って進行管理できる。僕にはやっぱり、そういうアプローチの仕事の方が性に合ってるのだと思う。

何でもかんでもお人好しにホイホイ引き受ける前に、ちょっと立ち止まって冷静に考えてみるべきなのかな。まあいいや、今夜は何もかもとりあえず忘れて、目覚ましもかけず、前後不覚にどっぷり寝よう。

最高の勲章

ラダックの風息[新装版]」の発売以来、トークイベントに出演したり、写真展を開いて在廊したり、先週末はアースデイ東京にも顔を出したりしていて、たくさんの読者の方々に直接お会いする機会が増えた。会う人ごとにいろんな感想をいただいて、それぞれとてもありがたいし、参考にもなるのだが、以前から今に至るまでずっと、言ってもらえると一番うれしい感想がある。

「ヤマモトさんの本を本屋さんでたまたま手に取って、読んで、それでラダックに行っちゃいました!」

こういう方が、一人や二人ではないのだ。本当にびっくりである。だって、ハワイや台湾とはわけが違う。インドの中でもとりわけ奥地のラダックなのだ。飛行機代だって安くはないし、時間もかかるし、気力も体力も使う。そんな場所にわざわざ行ってもらうような背中の後押しを、自分の書いた本がさせてもらっているなんて。

世間で権威のある人たちがくれる賞よりも、本の売り上げがただ単に伸びるよりも、僕にとっては、自分の本を読んでラダックに行ったと言ってもらえるのが、何物にも代えがたい、最高の勲章だと思っている。誰かの背中を、ほんのちょっと後押しするための本。そういう本を、力が尽き果てるまで、ずっと作り続けたいと思う。

本当に、ありがとうございます。これからもがんばります。