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縦位置と横位置

ブータン取材で撮影してきた写真を現像しながら整理していて、これはまあまあいけるかな、と思えるものをピックアップしていたら、なぜか縦位置の写真ばかりになってしまって、自分でもちょっとびっくりした。

一般的なデジタル一眼レフカメラで撮る写真は、だいたい3:2の比率になり、普通に構えて撮れば横位置、縦に構えて撮れば縦位置になる。僕は基本的に昔から横位置の写真が好きで、縦位置で撮ろうと考えることもあまりなかった。だから縦位置の写真は苦手というか、ぶっちゃけ下手だった(苦笑)。

ところが、必要に迫られて仕事で旅の写真を撮るようになると、下手ですませるわけにはいかない。本や雑誌の仕事では、縦位置の写真のニーズは一般の人が想像する以上に多いのだ。だから、ちょっとでも余裕のある撮影場面では、横と縦の両方を押さえる癖がついたし、苦手を克服しようと縦位置での構図の作り方をいろいろ試行錯誤するようになった。そうした試行錯誤の成果が、ようやく最近になってちょっとずつ現れてきたということなのだろうか。まだ得意とまでは、とても言えないけれど。

そういえば、以前「撮り・旅!」で鮫島亜希子さんにインタビューさせてもらった時、「いい被写体に出会った時、横位置で同じような写真をがしがし撮ってしまいがちだけど、そういう時に意図的に縦位置でも撮ってみて一呼吸おくと、自分が何を撮りたいのかがわかってくる」という意味のことを話していただいたのだが、それは本当に正しいと思う。冷静さを取り戻すのに、横から縦へのスイッチというのはかなり効果的だ。

去年見たドキュメンタリー映画で知った写真家ソール・ライターは、映画の中でも頑ななまでに縦位置の写真にこだわって撮り続けていたのが印象的だった。ミラーレス一眼カメラを、最初から縦位置にして持ち歩くほどに。彼の見事な縦位置の作品群にちょっとでも近づけるように、日々精進していかねば。

幸福の国から

yamamoto写真は、ティンプー郊外の丘の上にて。気づかないうちに、中田浩資さんに撮影していただいていた。

昨日の夜、約1週間のブータンでの取材から日本に戻ってきた。乾燥と土埃でうっかり喉と鼻をやられてしまい、帰国便のディレイなどもあって疲れてはいるが、まあどうにか。

ブータンという国は……自分自身でどう受け止めればいいのか、予想以上に戸惑いを感じた国だった。インドと中国の間にある、幸福を旗印に掲げた小さな国。それゆえのひずみや矛盾もそこかしこに見え隠れする。それをわかっていながら、「穏やかな国、優しい人々」という安直なアプローチであっさり片付けてしまいたくはないな、と思った。

写真についても迷ったし、悩んだ。ブータンを訪れた旅行者の誰もが「写真が撮りやすい国」だと言う。確かにみんな人当たりがよくて、いきなり無造作にカメラを向ける人にも愛想よく笑ってくれるから、撮ろうと思えば誰でもそれなりの写真が撮れてしまう。でも、「だから何?」となってしまう。少なくとも僕自身の場合は、そこからさらに考え、被写体(人も、風景も)と向き合い、撮るまでの過程を丁寧に、大切にしなければ、違いと深みを作れないと感じた。短い滞在期間と限られた単独行動時間の中ではそれは非常に難しくて、自分で納得のできる写真はごくわずかしか撮れなかった。

いろいろ考えさせられることの多い旅だったけど、自分自身の立ち位置と考え方を再確認できた旅でもあった気がする。ブータン……また戻ることはあるのかな。辺境の土着の聖地巡りか、あるいはスノーマン・トレックか……そうなるべき時が来たら、そうなるのかもしれない。

幸福の国へ

昨日と今日の二日間、大学案件で計6件の取材。いいかげん脳みそがへちまの中身みたいになりそうだが、その原稿をろくに書く時間もないまま、明日から約1週間、ブータンに行く。

今回の取材は、数名の写真家さんたちと行く撮影中心のツアーのような形。現地では短期間ながらも割と自由に行動できるのだが、ここしばらく、ずっと書き仕事ばかりだったから、カメラを扱う勘が鈍ってやしないかと心配だ(苦笑)。あまりにも直前まで仕事がぎっちりで、帰ってからもぎっちり待ち構えてるので、気持もなかなか切り替わらない。それでもまあ、何とかするしかないし、何とかなるだろうけど。

日本では、「幸せの国」というわかりやすすぎるラベリングで語られてしまうことの多いブータン。実際に訪ねたら、どんな国なんだろう。自分の目と耳と鼻と、それから舌で(辛いんだろうな、エマダツィ)確かめてみるのが、一番間違いない気がする。

帰国は6月7日(火)の予定です。では、いってきます。

「ブータンとラダックにいったい何があるというんですか?」

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昨年に続いて今年の夏もラダックでツアーガイドの仕事を務めることになりました。そのツアーの説明会と「ラダックの風息[新装版]」の発売記念をちょこっと兼ねたスライドトークイベントを、ブータンで同じくツアーガイドを務めるブータン写真家の関健作さんと開催します。ブータンとラダックについて、楽しくてちょっとマニアックな話をできればと思っています。よかったらぜひお越しください。

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関健作×山本高樹 スライドトークイベント
「ブータンとラダックにいったい何があるというんですか?」

幸福の国ブータンで体育教師として3年間を過ごした後、写真家となってブータンの魅力を伝え続けている、『ブータンの笑顔』の著者、関健作。インド北部の秘境ラダックで長い歳月を過ごし、その日々を写真とともに綴った『ラダックの風息[新装版]』の著者、山本高樹。それぞれの土地をとことん知り尽くし、ツアーガイドとしても活動中の二人が、ヒマラヤにある二つのチベット文化圏の魅力と奥深さについて、豊富な写真とトリビアを交えながら楽しく語り尽くします。ブータンやラダックが好きな人はもちろん、まだよく知らないという人にもきっと好きになってもらえるトークイベントです。

日時:4月16日(土)14:30〜16:30(14:00開場)
会場:モンベル 御徒町店 4F サロン
東京都台東区上野3-22-6 コムテラス御徒町 TEL03-5817-7891 http://www.montbell.jp/
定員:80名(メールによる事前予約制)
参加方法:
メール(event@gnhtravel.jpまたはyamanagnh@gmail.com)にてご予約の上、イベント当日に会場入口でお一人につき以下のABCの方法のいずれかでご入場ください。予約のメールでは件名を「トークイベント予約」とし、参加される方のお名前(複数名の場合は全員のお名前)と、それぞれの方が下記のABCのどの方法での入場を希望されるのかをご明記ください。
A:『ブータンの笑顔 新米教師が、ブータンの子どもたちと過ごした3年間』の購入(税込1728円)
B:『ラダックの風息 空の果てで暮らした日々[新装版]』の購入(税込1944円、非売品の小冊子『未収録エピソード』+ポストカード2種付き)
C:本は購入せずに参加費1500円のお支払い(モンベルカードご提示の方は1300円)

※定員を超えてからのご予約は、お立見になる場合があることをあらかじめご了承ください。
※会場ではご入場時にお買い上げにならなかった方々でも、『ブータンの笑顔』『ラダックの風息[新装版]』などの書籍をお買い上げいただけます。
※会場で書籍をお買い上げいただいた方でご希望の方には、イベント終了後、著者によるサインも進呈致します。

■関健作(せき けんさく)
青年海外協力隊の体育教師として、ブータンの小中学校で3年間教鞭を執る。帰国後、ブータン写真家として活動を開始。ブータンと日本を拠点に、写真展や講演、イベントなどを通じて、ブータンの魅力を多くの人々に伝える活動を行っている。著書『ブータンの笑顔 新米教師が、ブータンの子どもたちと過ごした3年間』(径書房)。
http://www.kensakuseki-photoworks.com/

■山本高樹(やまもと たかき)
著述家・編集者・写真家。2007年から約1年半の間、ラダックに長期滞在して取材に取り組む。以来、書籍やブログなどを通じてラダックに関する情報を発信し続けている。著書『ラダックの風息 空の果てで暮らした日々[新装版]』(雷鳥社)他。
http://ymtk.jp/ladakh/

協賛:GNHトラベル&サービス
http://gnhtravel.com

旅と写真とビールの夜

昨日の夜は、下北沢の書店B&Bで、「撮り・旅!」でもお世話になったブータン写真家の関健作さんとのトークイベントに出演させてもらった。諸事情で募集期間が実質2週間ほどしかなかったにもかかわらず、とんとんと順調に予約が入り、当日は完全に大入満員。お店が特別に仕入れたネパールのムスタンビールも完売し、関さんと僕の本もたくさん売れたらしい。ありがたいことだ。

僕にとっては、今年2月に一度やったことのある会場だし、お相手はトークの達人の関さんだし、客席の雰囲気や反応も最初からよかったしで、大丈夫大丈夫と自分で自分に言い聞かせていたのだけれど‥‥やっぱり緊張した(苦笑)。日曜の夜にわざわざお金を払って足を運んでくれた人たちを、自分の話と写真で楽しませなければならないのだから、簡単なわけがない。でも、イベントの後、うっすら上気した頰で会場を出ていくお客さんたちを見送っていると、やってよかったな、としみじみ思った。

昨日来てくれた方の一人が、イベントの感想をツイートしてくださっているのをたまたま拝見したのだが、「二人の写真は、撮影のために訪れた写真家の視点というより、ものすごく写真のうまい現地の人が撮っているようだ」と書かれていたのが、僕には何だかとてもうれしかったし、自分でも腑に落ちた。たぶん、僕や関さんの写真は、彼の地での被写体との距離が、とても近いのだと思う。物理的な距離というより、気持ちの距離が。

こてんぱんに疲れたけど、ほっとしたし、またがんばろう、と思えた一夜だった。