ルンバ

夕方、吉祥寺へ。井の頭公園の近くに引っ越したばかりの友人宅に集まって新年会。といっても今回は(珍しく)アルコール抜きで、友人が用意してくれた中国茶を楽しみながらの飲茶パーティーと相成った。甘い香りの凍頂烏龍茶も、二十年ものの普洱茶もおいしかったし、同年代の男四人でのうだ話も愉しかった。

友人宅は引越前にかなりのリフォームを施したそうで、床暖房も入っていてすこぶる快適。だが、ある意味一番びっくりしたのは、ルンバ。最近話題の自動お掃除ロボットだ。

友人がスイッチを入れると、ういーん、と音を立てて、ルンバは床の上をまめまめしく行ったり来たりしはじめた。友人は、ルンバが段差にはまったり、電源コードに絡まったりしないような環境作りにいそしんでいるという。リフォームを計画する時に一番念頭に置いたのが「ルンバがパーフェクトに動けるようにする」ことだったとか(笑)。

うちは‥‥まあ、3200円の掃除機でいいかな(笑)。

ブログとTwitter

午後、市ヶ谷で打ち合わせ。これから書きはじめる本の企画について、みっちり三時間半、話し合う。仕事ができる人との打ち合わせは楽しい。おかげで、茫洋としていたゴールの姿が、次第にはっきり見えてきたような気がする。

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この間、僕のもう一つのブログ、Days in LadakhをTwitterに対応させてみた。長年の懸案だった公式アカウントをようやく設置し、ブログ内の各ページからも、アクセスした人がワンクリックでツイートできるボタンを追加した。こっちのブログではまだそういう機能を設定していないが(あっちに比べるとアクセスも多くないし)、プラグインを使えば割とすぐに用意できるので、気が向いたらこっちでもやるかもしれない。

Web上での情報のやりとりにおいて、TwitterやFacebookといったソーシャルメディアは今や必要不可欠な要素だ。それらに比べると、同じソーシャルメディアでも、ブログというスタイルはもはや古臭い存在だと吹聴する人もいる。だが、僕はそうは思わない。Twitterは伝播力に優れているが、反面、読み飛ばされても仕方のない「軽さ」も併せ持つ。主役を張るには、ちと弱い。腰を据えて練った情報を確実に発信するのなら、やはりブログの方がいい。

まずはブログを最初のプラットフォームにして、Twitterなどと積極的に連携させながら、多面的な展開を図る。これからはそういう形の情報発信をしていくべきなのかな、と思っている。

‥‥このエントリーを読んで「ブログ、自分もやってみようかな」と思った方、もしよかったら拙著「人が集まるブログの始め方」をどうぞ(笑)。

Aside

オリンパスの新型コンパクトカメラXZ-1が国内でも発表された。28-112mm相当のレンズで開放F値がF1.8-2.5というのは、相当に魅力的。ズームが使える分、サブカメラとしてはGR DIGITAL IIIより現実的な選択肢かもしれない。リコーびいきとしてはGXRも捨てがたいけど、正直、あのシステムはコストパフォーマンスが悪すぎる‥‥。

今、海外取材の時に持っていくサブカメラの刷新を考えているので、もうちょっと悩んでみる(笑)。

流れに乗る

昼、リトスタで打ち合わせ。相手はとあるNPO法人に関わっている、またしても初対面の方。

そのNPO法人は以前、ラダックに関するかなり有名な本を訳出したことがあるのだが、今回、数年前から絶版になっているその本を新たな形で復刊させることになったらしい。で、それに載せるラダックの写真が必要ということで、僕のところに打診が来た‥‥といういきさつ。

先週といい今週といい、年明け早々、僕の周囲ではラダック絡みの話が立て続けに持ち上がっている。もちろん、全部が全部ちゃんとした仕事に結びつくかどうかはまだわからないが、少なくとも、それほど悪い流れでもなさそうだ。流れに乗れるなら、抜け目なく乗ってしまうにかぎる。

ここのところ、企画の仕込み中心でしばらくのんびりしていたけれど、また忙しくなりそうな気配。

「海炭市叙景」

観終わった後に残るのは、暗く、苦く、やりきれない思い。でも、たとえようもなく美しい映画だった。

小説家、佐藤泰志は、村上春樹や中上健次と並び評される才能の持ち主だったが、不遇の果て、1990年に自らの命を絶った。彼が生まれ故郷の函館をモデルにした「海炭市」を舞台に描いた未完の連作短編集をもとに生まれたのが、この「海炭市叙景」。映画の制作は函館市民の有志によって企画され、地元の人々の全面的な協力を受けて撮影が行われたという。

スクリーンに映し出される「海炭市」の空は、濡れ雑巾のような雲がたれ込め、雪混じりの風が吹き荒んでいる。造船所の仕事を失って途方に暮れる兄妹。豚小屋とそしられる古い家から立ち退きを迫られている老婆。水商売の仕事をしている妻の浮気を疑う夫。新しい事業も再婚相手ともうまくいかず苛立つガス屋の若社長。路面電車の運転手と、ひさびさに帰郷したのに会おうとしないその息子‥‥。幸せな人は、たぶん、一人もいない。誰もが何かに行き詰まり、涙や後悔や苦い思いを噛みしめている。カメラは淡々と、しかしどこか優しいまなざしで、彼らの姿を追う。

時代に取り残され、ひっそりと朽ちていく「海炭市」は、もしかすると、誰の心の中にもある故郷の姿なのかもしれない。そこにいても、いいことなんて、何一つない。できることなら、何もかも投げ出したい。だけど、それでも‥‥。

「わたしたちは、あの場所に戻るのだ」。その一言が、今も胸の裡に響いている。