「CUT」

イランの映画監督アミール・ナデリが日本で撮った作品が公開されると聞いて、これはスクリーンで観なければ、と前々から思っていた。2012年、僕が最初に観た映画が、この「CUT」だ。

西島秀俊演じる主人公の秀二は、映画監督。兄から金を借りて三本の映画を撮ったが、どれも世に認められているとは言い難い。自分が暮らす古いビルの屋上で名作映画の自主上映をしたり、街でトラメガを手に映画業界の堕落を糾弾する演説をぶったりと、映画に取り憑かれたような日々を送っている。

ある日、秀二は兄が死んだという知らせを受ける。ヤクザに関わって借金の取り立てを生業としていた兄は、ヤクザの事務所から多額の借金をしたことが原因でトラブルに巻き込まれ、命を落としてしまったのだ。自らを責める秀二に突きつけられたのは、兄が遺した1254万円の借金の借用書。残り二週間で借金を返済するために、秀二は、ヤクザを相手にした「殴られ屋」になることで、金を稼ごうと試みる——。

秀二の端正な顔が、ボコボコに殴られて赤黒く腫れ上がっていくのが、気高く見えてくるのは何故だろう。一発、一発、殴られるたび、彼は呪文のように、敬愛する映画監督の作品名を呟く。彼は、借金を返すために殴られているのではない。映画を守るために殴られているのだ。狂気にも似た映画への愛と、それを理解せず金儲けしか考えない今の映画業界への怒り。ナデリ監督にとって、秀二はきっと「映画」そのものなのだと思う。どれほど打ちのめされても、映画は死なず、立ち上がる。クライマックスシーンに挿入されるテロップに、監督の思いが凝縮されている気がした。

主人公はひたすら殴られっぱなしだというのに、不思議なくらい爽快な作品だった。映画って、いいなあ。

原稿は愉し

一昨日の夜に仕事を再開して以来、毎日、せっせと原稿を書いている。ラフを描き、字数を計算し、写真を選び‥‥。傍から見ればどうしようもなく地味な作業だろうが、当の本人は、もう、愉しくって仕方がない。

だって、今書いているのは、ラダックについての本だから。自分が好きなことを思いのままに書けるというのは、本当に愉しい。テレビでやってるどんな新春特番よりも、原稿を書く方が面白い。もうすっかりビョーキだ(笑)。

もちろん、これからきつい局面もたくさんあるだろうけど、大丈夫、きっと乗り切れる。絶対にいい本にしてみせる。

リボルテック ダンボー・ミニ Amazon.co.jpボックスバージョン

二カ月ほど前に注文したものの、ずっと入荷待ち状態でほとんど忘れかけていたのだが、年明け早々、ようやくこいつが届いた。

ダンボーは、「よつばと!」に登場するロボット(?)。夏休みの自由研究にダンボールで作られた着ぐるみで、これまでの登場回数はたった二回だけなのだが、その圧倒的なインパクト(ダンボールにもかかわらず!)で人気を集め、「よつばと!」を象徴するキャラの一つになった。

僕が今回手に入れたのは、リボルテック ダンボー・ミニ Amazon.co.jpボックスバージョン。「ダンボーの材料になったのが、アマゾンのダンボールだったとしたら?」という設定で、ロゴや注意書きなどが実際の箱そっくりに再現されている。もともと、これの倍近い大きさのモデルが先行して販売されていたのだが、机の上にちょこんと飾っておくには、ミニサイズの方が都合がいい。

うちのダンボーは今、デスクスタンドの傍らで、僕の仕事ぶりをぼけ〜っと見守っている。僕がだらけてサボりはじめたら、カッ!と目を光らせて(実際、光る!)気合を入れ直してくれるに違いない。「ワタシハオカネデウゴク」とか言いはじめたら困るけど(笑)。

山に登る

今日は昼から仕事をする予定だったのだが、気が変わって、神保町のアウトドアショップのセールに出かけてきた。

前から目をつけていたゴアテックスのジャケットが、通常よりちょっとお買い得になっていて、サイズも残っていたので、思い切って購入。それに合わせるミドルレイヤーなども、店員さんと相談しながら買い揃えた。ふー。新年早々、大人買いをしてしまった‥‥。まあ、今まで使っていたゴアテックスのジャケットは、かれこれ十数年も前に買ったもので、ラダックでの酷使でもうボロボロだったから、必要な買い物だったのだけれど。

これで僕の山道具も多少充実してきたので、今年は、もう少し暖かくなってきたら、東京近郊の山を中心に、積極的に出かけようと思う。それが、今年の抱負といえば抱負かな。

光の射す道を

大晦日と元旦は、岡山から来た実家の人間たち——母と妹の一家と、安曇野の家で落ち合って過ごした。冬至蕎麦を食べ、村営の温泉にどっぷり浸かり、雑煮とおせちを食べ、初詣に行っておみくじを引き‥‥。ここ数年変わらない、いたって普通の過ごし方。

違うのは、去年までは家族の輪の中心に当たり前のようにいた、父がいないこと。何をしていても、ひとり足りない、とどうしても思ってしまう。

それでも時間は流れ、人生は続いていく。僕たちは歩いていくのだ、光の射す道を。