西荻カレー天国

僕が今住んでいる西荻窪は、カレー屋さんが、めちゃめちゃ多い。さっき、自分が入ったことのある西荻のカレー屋さんを数えてみたら、優に10軒はあった。それでもたぶん、総数の半分かそこらくらいだと思う。

それらの内訳も、インド、ネパール、パキスタン、バングラデシュなどのインド亜大陸各国のカレーのほか、フレンチ仕込みや和風テイストなど、オリジナルのアレンジのカレーを出す店もとても多い。タイ料理店やベトナム料理店で出すそれぞれの国のカレーも含めると、まじでとんでもない種類のカレー屋さんが、この小さな駅の界隈にひしめいている。あと、自前の店舗ではなく、他店に間借りする形でカレーを出している人気店もたくさんあるそうで、全部をフォローするのは、よほどのカレーマニアでないと難しい。

三鷹駅の北口側に住んでいた頃は、自宅の近くにあったのはココイチくらいで、南口側のリトスタまで行ってようやくランチのカレーにありつけるくらいだったから、本当に隔世の感がある。あの頃と比べると、今は僕も自宅で週一ペースでスパイスカレーを自炊するようになって、お店でカレーを食べていても、スパイスの香りや味わいが以前よりわかるようになってきた気がするので、最近はカレーを食べること自体がますます楽しくなった。

そんな今日この頃ではあるのだが、今週自炊する予定のカレーは、ハウスジャワカレーの粉末ルーを使った、ごく普通のビーフカレー(笑)。まあ、これはこれで、うまいんだよなあ。

飛び去っていく日々

ここ十日間ほど、かなり忙しかった。大学案件の取材と執筆が立て続けに入って、それが終わってすぐ、六月に出る予定の新刊の著者校正。まるまる一週間ほどかけて、ようやくチェックし終え、とりあえず明日、郵便局からレターパックで出版社に送る予定。

著者校正をしてる間は、文字通り、一字一句をなぞるように、ひたすらちまちまと追い続けていた。ある程度の経験と、根気と持久力と集中力のいる作業だ。原稿を納品する時に入念にチェックしておいたはずだったのに、あらためて一字一字拾っていくと、やっぱりあるのだ、誤字、脱字、誤変換、不用意な重複、日本語的に意味が通りにくい部分、その他いろいろ……。でも、ここでしっかりチェックしきれるかどうかで、本の品質はかなり決まってくる。だから、絶対に手は抜けない。手を抜いて作られた本は、読者(特に同業者)に、あっという間に見抜かれてしまう。

はあ、あともう少しだ。がんばろ。

ついこの間、マンションの裏手で満開だった桜の木は、もうすっかり新緑の葉桜になってしまっていた。毎日が、矢のように速く飛び去っていく。まあ、今みたいなご時世なら、とっとと早く過ぎ去ってくれた方がいいのかもしれない。

桜の季節


先週は、何度か散歩をして、桜の花を見に行った。善福寺公園、小金井公園、井の頭公園。桜はちょうど見頃のタイミングで、枝先にぷくぷくと咲いた薄紅色の花々が、とても綺麗だった。

去年の今頃は、「来年は普通にお花見ができるようになってるといいね」と相方と言い合ってたのだが、一年経った今も、残念ながら、普通に花見ができるようにはなっていない。花見スポットではゴザを敷いての宴会は禁止されていて、マスクをつけた人々の列が、満開の桜の下を巡回していた。桜の樹々からしてみたら「去年も今年も、人間たちの様子は変だな」と思うことだろう。

さて、来年こそは、普通にお花見ができるように、なって、いるのだろうか? 個人的には、五分五分といったところかな、と思う。

いつもと違う繁忙期

午後、大学案件の取材を2件。明後日と週明けにも、合わせて3件の取材がある。来月も入ってくるかもしれない。今週末から来週末にかけては、新刊の初校チェックの作業もあるので、何気に結構大変である。

毎年、春先は大学案件など国内での書き仕事の繁忙期なのだが、今年はいつもと様相が違う。今週と来週の取材5件はすべて、Zoomによるリモート取材。来月以降入ってくる取材も、たぶん全部そうなるだろう。言うまでもなく、コロナ禍の影響だ。去年の春頃は、世の中が緊急事態宣言でわたわたしすぎてて、取材自体がほとんど流れてしまっていたのだが、今年は変わらずわたわたした世の中ながらも、依頼元がそれなりにアジャストして、リモート取材を主体にしていくことになったらしい。

Zoomを使ったリモート取材は、地味に結構疲れる。分割画面に神経を集中させながらノートを取るのは疲れるし、画面の向こう側との距離感というか間の遠さが、対面取材の時の感触とはかなり違う。もう少し上手くインタビューできるようになりたいが、こちらの意図や気持ちを画面越しに過不足なく伝えるのはなかなか難しい。

まあそれでも、僕は僕なりに、自分をアジャストさせていくしかないのだと思う。前時代的なライターではあるが、がんばろ。

書き手として、撮り手として

昨年来のコロナ禍の影響で、かれこれもう一年以上、海外取材に行けないままでいる。

書き手としての仕事には、実はそれほど問題はない。日本の自宅でも、仕事机でパソコンのキーボードを叩けば、文章は書ける。まあそれも、自分の脳内に書くべき事柄のストックがある間は、ではあるけれど。

一方、撮り手としては、この一年余り、ほぼ何もできないままでいる。写真を撮りたい場所に赴くことすらままならないので、当然と言えば当然なのだが。個人的に今、写真を撮りに行きたい場所は、アラスカとその周辺の地域で、去年の秋に行く予定だったのだが、キャンセルせざるを得なかった。

いずれにしても、撮る方はもちろん、書く方も、取材で何かしら新しい素材をインプットしていかないと早晩枯渇するので、何とかしなければなあ、と思う。たぶん、来年以降の話になるだろうけど。いざという時に、すぐさま動けるような準備はしておきたいところだ。

そんなことを考えていて、一つ思うのは、これから撮り手として何を撮りに行くにせよ、「そこで何が撮れるか」という基準の前に、「そこで何を見聞きし、書き、伝えられるか」という基準で考えて選んだ方が、自分には合っているのでは、ということ。写真の被写体を基準にするのではなく、書き手として何を書けるか、何を伝えられるかを基準に考える方が、最終的に目指すゴールとしての「本」の姿が明確になるような気がしている。

とりあえず、そんなことをつらつら考えながら、このめんどくさい日々が過ぎ去るのを待つことにする。