「当たり前」について

行こうと思えば、いつでも行ける。やろうと思えば、いつでもできる。二年前までは、そんな風に思えることばかりだった気がする。

ここ十年来、ラダックに行かない年は一、二度くらいしかなかったし、タイに至っては七年連続で、まったく同じルートで取材していた。飽きたというほどではなかったけれど、あー、またここかあ、という感覚で旅していた部分は、確かにあった。

そうした感覚が、去年と今年のコロナ禍で、強制リセットされたみたいな状態になってしまった。飽きるほど見慣れていたはずの景色が、今となっては本当に懐かしい。いつの日かまたラダックに降り立って、レーのメイン・バザールをぶらぶら歩くことができたなら、それだけですっかり感動するだろう。タイの道端の露店でカオマンガイを食べれたなら、興奮でおかわりしてしまうかもしれない。

国内でも、今はまだ気軽な行き来もままならないし、友達と集まってのお茶会や飲み会も憚られる。イベントごともまだまだお預けの状態。ついこの間まで、何の気兼ねもなく享受できていた「当たり前」のものごとなのに。

自分に今できるのは、うっかり罹患しないように引き続き用心しつつ、この面倒な事態が過ぎ去った後に備えて、こつこつと準備しておくことくらいかな、と思う。

なぜか二冊も

昨年来のコロナ禍で、ずいぶん長いこと、海外に行けていない。去年の年明けに五日間ほど台湾に行って以来、ずっとだ。ラダックにも、アラスカにも。これから先、いつからまた行けるようになるのか、その見通しもまだつかない。

これだけ長い間、日本に釘付けにされていると、本やら何やらを作るためのアイデアも、さすがに枯渇してきそうだ。実際、今年六月に『インドの奥のヒマラヤへ ラダックを旅した十年間』を上梓した時は、「はいっ、もうこれですっからかん。ネタのストック、もう何にもなし!」という気分で、すぐには次の手を考えることさえできなかった。

ところが今は、なぜか二冊分もの企画を、同時進行で検討しているのだから、わからないものだ。

一冊は、以前から考えていた企画を具体的なロードマップに載せて、形にする方向で調整しているところ。もう一冊は、ほんの数日前にふと思い浮かんだアイデアが、みるみるうちに具体的な形となって固まりはじめているところ。一方はラダックについての本だが、もう一方は、大半がラダック以外の話についての本だ。で、どちらの企画も、出版社との相談を始めている。

実現できるといいなあ。できれば、どちらの本も。そうなると、これからまたしばらく、せわしない日々が続きそうだけど。

フローズン・ショルダー・モデルナ・アーム Part 2

モデルナ製ワクチン1回目の接種から、1日経過。

世間でモデルナ・アームと言われている症状は、ほんのわずか。右腕全体にほんのりとしただるさを感じるが、ほとんど気にならない。注射をした箇所の周囲数センチ四方を指で触ると少し痛みを感じるくらいで、見た目にも腫れなどはない。

不思議なのは、四十肩の慢性期の症状である肩周りの筋肉のこわばりや鈍い疼痛が、ずいぶん楽になっていることだ。狭まっている関節の可動範囲が元に戻ったわけではないが、動かせる範囲内では違和感も痛みもなく動かせる。肩が軽くなった、といってもいいくらい。

モデルナ製ワクチンの接種によって、右肩の周囲の筋肉の血流が一時的に活発になったために、四十肩特有の筋肉のこわばりや疼痛が軽減されているのだろうか……?(適当)

1回目の接種でこの状態なら、2回目の接種の後には、四十肩の症状はどうなるのだろうか……?(適当)

「楽しんでるでしょ?」というツッコミを受けたのだが、まあ、その通りである。

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カーソン・マッカラーズ『心は孤独な狩人』読了。1930年代後半のアメリカ南部の町を舞台にした群像劇。誰も彼もが悩みを抱え、それらを本当には分かち合えないまま、孤独に苛まれている。行手には、光すら見えない。そんな人々の姿が、優しいまなざしで淡々と描かれている。この世界に満ち満ちている心の孤独は、2021年の今も、何も変わっていない。

しかし、この傑作長編が、著者が23歳の時のデビュー作だとは……凄すぎる。

フローズン・ショルダー・モデルナ・アーム Part 1

今日、新型コロナワクチンの1回目の接種に行ってきた。

僕の住んでいる杉並区では、自分の年代が一番後回しにされていた上、ワクチンの供給不足で予約もままならなくなっていたのだが、フリーランスを対象にした職域接種にタイミングよく申し込むことができ、どうにか今日、接種を受けられることになったのだった。ワクチンはモデルナ製である。

会場で簡単な問診を受け、いざ接種という時、案内のスタッフさんに「利き腕はどちらですか?」と訊かれたので、

「利き腕は右ですが、右は今、四十肩なので、右にお願いします!」

と答えると、スタッフさんは笑いを噛み殺しながら「右ですが、右にとのことです、四十肩だそうで!」と担当医に伝えてくれた。

接種自体はあっという間に終わった。夕方に家に戻ってきて、今、これを書いているが、いわゆるモデルナ・アームの兆候は、まだこれといって出てきていない、気がする。個人的には、四十肩の慢性期真っ只中で筋肉が凝り固まっている右腕に、ぷすっと針を刺して未知のワクチンを注入したら、いったいどうなるのか、かなり興味がある。痛みやだるさが倍加するのか、相殺されるのか、いつのまにかどっちもすっきり治ってしまったりするのか。

というわけで、四十肩とモデルナワクチンの相関関係について、しばらくレポートをしていこうと思う。誰にニーズがあるんだろ、こんなの(笑)。

次の次、そのまた次

少し前から、次に書こうとしている本の企画書作りに取り組んでいる。

この本に関しては、アイデア自体は以前からあって、「まったく新しいもの」というよりは、「すでにあるものをよりよい形に置き換えるもの」だ。アイデアさえ固まれば、原稿はすぐにでも書き始められるのだが、最終的に本として仕上げるには現地取材が必要なので、完成はまだだいぶ先になりそうだ。でも、頭の中で、ああしようかな、こうしようかな、とアイデアを練るのは、やっぱり楽しい。

この本の次に作ろうかなと考えている本も、実はうっすらとイメージはある。これは、最初からかなりがっつりと現地取材をして、その上で方向性を見定めていくことになりそうで、本として書けるかどうか、今はあまり自信がない。まあ、『冬の旅』の時も、旅の途中までは本にできる自信はまったくなかったから、この企画も実際にやってみないとわからないけれど。

で、そのまた次に作りたいと考えている本も、あるにはあるのだが、これはさらにイメージが茫洋としていて、どこから手をつけていいのかもまだはっきりわからない。ただ、いつまでも足踏みを続けているわけにもいかないので、動けるようになったら積極的に動いていきたい、とは思っている。

そんなこんなで、アイデアは、たくさんある。あとは、いつ海外に普通に行けるようになるか、だな。