リアルとオンライン

昨日は夕方から、下北沢へ。本屋B&Bからオンラインで中継されるトークイベントを、裏方としてお手伝いに。

少し前から、本屋B&Bで開催されるトークイベントの企画とコーディネートの仕事を、業務委託の形で請け負うようになった。昨夜のは自分が企画を手伝った最初の配信イベントだったのだが、店舗のスタッフの方々が店内でどんなセッティングをして、どんな段取りで中継をしているのか、間近で見ていて良い経験になった。イベント自体も、登壇者の方々のおかげでなごやかに楽しく盛り上がって、よかったなあと思う。

トークイベントというと、コロナ以前は客入れしてのリアルイベントがほとんどで、オンラインで配信するような事例は多くなかった。昨年来のコロナ禍で、今はその割合が逆転してしまっているわけだが、最新のツールを使った配信には、それはそれで配信ならではの良さもある。もちろん、配信イベントとして基本的な部分の段取りをきっちりやらないとグダグダになってしまうし、登壇者も配信であることをある程度意識しないと、チグハグな雰囲気になってしまう。

登壇者がそれぞれの自宅などからフルリモートで出演する形のイベントもツール的には可能だが、その場合はさらにグダグダ&チグハグになりやすいので、今のところ、登壇者同士は同じ現場でトークをして、それを配信スタッフが常時サポートしながら中継する形が、一番自然で無理がないのかもしれない。

将来、コロナ禍が去った後は、客入れとオンライン中継の両方を併用する形のトークイベントが増えるのではないかと思う。来場して参加する人は、登壇者を生で見られるし、ドリンクやフードやグッズ販売など、リアルイベントならではの楽しみもある。配信で参加する人は、会場から遠い場所に住んでいても視聴できるし、自宅で見られる気楽もある。開催側にとっても、収入源の種類は多い方がいい。

というわけで、来月は、そういうイベントをやります。続報を待たれよ。

夢の切れはし

夜、眠っている間に、夢を見る。

ものすごく鮮明でリアルな夢だなあ、と、夢を見ている間は感じているのだが、目が覚めた後、どんな夢だったのかは、全然思い出せない。ただ、夢を見ながら、「あ、これは、前に見た夢の続きじゃないか。同じ世界の地平から続いている夢だ」と、感じることはある。夢を見ている間だけ続いている、もう一つの世界が、どうやら自分の中にはあるらしい。

たぶんその世界では、僕はもう少し若くて、実際に若かった頃のいろんな逡巡や失敗をもう一度なぞるように、右往左往している。夢の中ではうまくいくこともある。夢の中でもやっぱり失敗することもある。そして目を覚まし、ああ、夢だったのかと我に返ると同時に、夢で見ていた世界はシューッと脳裏から消えていく。でも、別の夜に見る夢で、その世界はまた現れる。

そんな夢の切れはしを、パッチワークのように継ぎ合わせたら、どんな世界になるのだろう。もしかしたらありえたかもしれない、もう一つの僕の人生になるのだろうか。

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吉田亮人『しゃにむに写真家』読了。吉田さんを写真家たらしめているのは「誠実さ」なのだと、あらためて思った。被写体である相手に対してだけでなく、自分自身に対しても。その誠実さが、嘘偽りのないまごころを、吉田さんの写真に宿らせる。僕自身も、文章を書く時、写真を撮る時、できるだけそうありたいなあと思う。

自分の仕事

行きたい場所へ行く。見たいものを見る。会いたい人に会う。撮りたいものを撮る。書きたいことを書く。そして、作りたい本を作る。

ここ十数年ほどの間、自分がしてきた仕事をふりかえると、ただただ、単純に、こういうことをくりかえしてきたのだな、と実感する。これだけ自分本位にやりたいことをやってきて、それで報酬をもらって生活できていたというのも、ある意味、恵まれていたというか、幸運だったのだと思う。

昨年来のコロナ禍で、もうしばらくは、手元にストックしている素材を仕事に変えたり、国外へ行かなくても実現できる仕事をつないだり、という時期が続くだろう。ただ、それも未来永劫に続くわけはないので、需要の揺り戻しは必ず来る。その時、自分に何ができるか。何をすべきか。きちんと考えて準備しておかなければ、と思う。

入念に策を練って、準備を整えて、その時が来たら、出すべき力を出して、成果を確実に掴み取る。幸運をアテにするのではなく、自分の力で。

書き手から編み手へ

今年の初夏に出す予定の新しい本。草稿を書き上げてから1カ月ほどかけて、推敲とリライトに取り組んできたものが、とりあえず完成。各種素材と一緒にまとめて、担当編集さんに送信。

去年の夏の終わりから、かれこれ半年ほど費やして書き続けてきた原稿が、ようやく手を離れたので、ものすごくほっとした。書き終えてしまった、という一抹の寂しさはあるけれど、読んでいただくに足る本を書かなければ、というプレッシャーもそれなりにあったので。

この後は、担当編集さんとデザイナーさん、校正者さんとともに、本格的な編集作業が始まる。僕自身も、書き手から編み手の一人に立場を切り替えて、本を仕上げていく工程に関わっていく。一行々々、一字々々に神経を使う工程になるけれど、本が形作られていくのを目の当たりにできる、楽しみな工程でもある。がんばろう。

……と、その前に、確定申告を済ませておかなければ……(汗)。

長粒米を炊く

自宅でルーを使わずにスパイス主体でカレーを作るようになって、一年半くらい経つ。だいたい週に一度、金曜日にはカレーを作るようにしていて、カレーも副菜も、それなりにレパートリーが増えて、味もだんだん安定してきた。最初は何が何やら全然わからずに使っていた各種スパイスの特徴も、少しずつわかるようになった。

で、最近はついに、自分でビリヤニを炊くようにまでなってしまった。

ビリヤニというのは、ざっくり言うと、長粒米のバスマティライスを、スパイスや肉や野菜のグレービーと一緒に炊き込んだ料理だ。インドでも、地域によっては短粒米を使うところもあるし、調理法もさまざまなのだが、ちょっと贅沢なごちそうとして作られることが多い料理なのは、だいたい同じ。つまり、作るのに結構手間がかかる。かいつまんで言うと、まずカレーを作る要領でグレービーを用意し、バスマティライスを半炊きし、グレービーとバスマティライスを重ね合わせて、炊いて蒸らす。うちの場合、肉をマリネしたりする下ごしらえを含めると、2時間半から3時間はかかる。なので、ビリヤニを作ると決めた日は、かなり気合が要る(笑)。

でも、いい感じで炊き上がったばかりのビリヤニを、さっくり混ぜて盛り付けて、はふっと頬張った時の香りとうまみには、たまらないものがある。ほんと、なんでこんなにうまいんだろう。日本にも炊き込みごはんの類はいろいろあるが、それとはまた全然違う種類のうまさだ。

違いを生み出している一番の要因は、やはり、米だと思う。バスマティライスやタイのジャスミンライスのような長粒米は、日本の米よりも粘りが少なく、炊いてもさらっとしている。それをグレービーと合わせて炊き込むと、うまみがほどよく沁み込んで、しかも(うまく炊けば)べしゃべしゃにならない。そして、長粒米自体の独特の香りとスパイスの香りが相乗効果を醸し出す、というわけだ。

タイなどでよく食べられているカオマンガイ(海南鶏飯)も、長粒米のジャスミンライスを鶏のスープで炊くからこそ、あの味が出せていると思う。実際、家で日本米とジャスミンライスでカオマンガイを作り比べると、作り方にもよるのだろうが、後者の方が断然うまい。

バスマティライスは現地でも高級品なので、取材でインドにいる時も、たまにしか口にする機会はないのだが、自分でビリヤニを炊くようになってみて、あらためてその価値を実感できたような気がしている。

この間、バスマティライスを補充しておいたので、そのうちまた炊いてみようと思う。ビリヤニを。気合を入れて(笑)。