マキネッタ世代交代

五年ほど前、相方の友人の方から結婚祝いにいただいた、ペゼッティのマキネッタ。手軽にエスプレッソをいれられるのですっかり気に入って、毎日のように愛用していた。ただ最近になって、おそらく耐熱シリコンのパッキンの劣化などによって、うまくコーヒーをいれられなくなってきていた。あまりメジャーな品番でもないようで、Webで検索して探しても、交換パーツを扱っている店が見当たらない。残念だが、棚の奥に引退してもらって、新しいマキネッタを手に入れることにした。

新たに選んだのは、ビアレッティのヴィーナスというマキネッタ。耐久性の高いステンレス製で、構造や仕組み、使い方は前のペゼッティのとまったく同じ。割とメジャーな品番のようで、スペアパーツの調達にも困らなさそうだ。今回はカッパーとシルバーのツートンカラーのものにしてみたのだが、届いた実物はなかなか良い佇まい。またしても、すっかり気に入ってしまった。

豆を挽いてペーパードリップで美味しくいれるコーヒーも好きだけど、マキネッタで気軽にさくっとエスプレッソをいれるのも楽しい。僕の仕事日は、コーヒーとエスプレッソに支えられている(笑)。

アラスカのマクドナルドで

この間のアラスカ取材で拠点にしていたのは、ケチカンという街だった。南東アラスカの入り組んだフィヨルドの只中にある人口8000人ほどの街で、ほかの街と陸路ではつながっておらず、漁港と水産加工、あとはクルーズ船の寄港地として知られている。

クルーズ船が接岸するあたりが街でもっともにぎやかな地域で、たくさんの土産物屋やレストラン、酒場などが集まっているのだが、その一帯以外は、どこもさびれていると言っていいほど閑散としている。寂しい街だな、というのが、ケチカンに対する僕の印象だった。

僕が泊まっていた安ホテル(といっても円安の影響でかなり高い)は、街の中心から2キロほど離れた場所にあった。すぐ近くにセーフウェイという大きなスーパーといくつかのテナントが入ったビルがあり、マクドナルドもそこに入っていた。そのあたりにはほかに手頃なレストランも見当たらなかったし、食費を節約する必要もあったので、僕はほぼ毎日、マクドナルドで晩飯を食べていた。それでも、普通のクォーターパウンダーのセットメニューが2000円もするので、青息吐息の心境だったが。

街外れのさびれた雰囲気を反映するかのように、そのマクドナルドの店内にはいつも、どことなく物悲しい空気が漂っていた。毎日通っていると、いろんな人を見かけた。

ある日は、隣の席で、二人の若い男がそれぞれノートPCを開いて、動画の編集作業に取り組んでいた。なぜわかったかというと、一方の男が、常にスピーカーオンの状態で、自分たちで撮ったらしい動画をけたたましく再生させていたからだ。その男は動画を何度も再生させたり止めたりしながら、「な、これウケるよな! めっちゃおもろいな! な! な!」と一人笑いながら、ひっきりなしにもう一方の男に話しかけていたのだが、もう一方の男はずっと、まったく口を開かずに、黙々と作業を続けていた。

別のある日には、レジの前で、恰幅のいい白髪の白人の男が、同じくらいの体格の黒人の男に対して、急にキレて、怒鳴り散らしはじめた。ものすごい大声で「お前は……レイシストだ! このレイシストめ! ○○○○! ××××!」と叫んでいる。黒人の男は、ただただ困惑していた。それはそうだろう。店内の誰もが、状況を理解できずにいた。

マクドナルドのレジには、白髪に眼鏡をかけた、痩身の老人が座っていることが多かった。最近はほとんどの人がタッチパネルの機械で注文するので、レジでの店員の役割はカードや現金の受け渡しくらいなのだが。たまに、外の駐車場にいる客に商品の入った紙袋を届けに行ったりする時、その老人はふらふらした足取りで店内を横切り、外に出かけていた。あの年齢で、この小さな街のマクドナルドで働くのには、何かわけがあるのだろうか。

何も特別なことは起こらなかったけれど、あのマクドナルドで目にした光景は、ある意味、アラスカで暮らしている人々のありのままの日常だったのかな、と思う。

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ツェリン・ヤンキー『花と夢』『チベット女性詩集 現代チベットを代表する7人、27選』、ともに読了。前者は、やむにやまれぬ理由で故郷を離れ、ラサのナイトクラブで身を削って働く四人の女性の悲しい物語。後者は、チベットの女性詩人たちがチベット語で書いた現代詩を厳選し、コラムとともに編んだ詩集。この二冊を併せて読むと、現代のチベットとチベット人、特に女性たちの置かれている状況がよく理解できる。もちろん、文学作品としてもどちらも素晴らしい本で、星泉先生が訳した『花と夢』は第61回日本翻訳文化賞受賞、海老原志穂先生が訳した『チベット女性詩集』は第60回日本翻訳文化賞翻訳特別賞を受賞している。チベットに興味のある人にはおすすめの二冊。

「ソング・オブ・アース」


ノルウェーの女性映画監督、マルグレート・オリンが手がけたドキュメンタリー映画「ソング・オブ・アース」を観た。ノルウェーの著名な女優リヴ・ウルマンと、ヴィム・ヴェンダースが製作総指揮を担当している。

映画の舞台は、ノルウェー西部のオルデダーレン渓谷。巨大な氷河の突端から始まる渓谷は長さ20キロにわたり、オルデン村のノールフィヨルドで海に達する。この辺境の地は、マルグレート・オリン監督の故郷であり、年老いた両親が今も暮らしている。カメラは一年を通じて、オルデダーレン渓谷の春夏秋冬の移ろいと生きとし生けるもの、そして父と母の姿を追いかけていく。説明的なナレーションはなく、両親の独白がぽつぽつと差し込まれるだけ。オルデダーレンの自然が織りなす壮大な風景そのものが、何よりも雄弁に観客に語りかけてくる。

土地は違えど、自分がラダックやアラスカで目にしてきた光景と、時に驚くほどよく似た映像が織り込まれていて、自然への憧憬と畏怖の思いがあらためて甦ってきた。寡黙だが、いつのまにか、心がすーっと惹き込まれてしまう映画だった。

「Jawan」


アラスカからの帰路、シアトルから羽田までの飛行機の機内で、シャールク・カーン主演の映画「Jawan」を観た。監督は、タミル映画界でヴィジャイ主演のヒット作を多数手がけてきた、アトリー。宿敵役のヴィジャイ・セードゥパティやヒロインのナヤンターラなど、タミル映画でお馴染みの俳優たちが名を連ねるほか、ディーピカー・パードゥコーンやサンジャイ・ダットまで重要な役柄で特別出演。2023年のインド映画興収第一位を獲得したのも頷ける、豪華な布陣だ。

ムンバイのメトロが、白昼堂々、ハイジャックされた。犯人は六人の女性たちと、ヴィクラム・ラートールと名乗る謎の禿頭の男。彼らはメトロに乗り合わせていた、名うての実業家カーリーの娘と乗客たちを人質に、途方もない額の身代金をカーリーに要求する。支払われた身代金は、借金苦に喘ぐ貧しい農民たちに即座に分配された。その後もまんまと逃げおおせたヴィクラムと六人の女性の正体は……。

物語冒頭のさわりだけ書いてみたが、ここから先の展開は、おそらく誰にも予想できない。ある意味、とてもアトリー監督らしいトリックが仕掛けてあるし、スリラーっぽい話かと思いきや意外と正統派だったり、荒唐無稽なアクションとお約束的なカタルシスを堪能できる展開もあったりで、最後までまったく飽きさせない。物語のそこかしこに織り込まれたインド特有のさまざまな社会問題(とその解決方法)は、わかりはするけどさすがに大風呂敷を広げすぎでは……と思ったし、細かいところでアラもちょいちょい目につくのだが、まあ、いいか。面白かったし。シャールクだし。

今年の年末には、日本国内でも劇場公開される。もう一度、観ておこうかな。

「Rocky Aur Rani Kii Prem Kahaani」


先日アラスカに行った時、羽田からシアトルまでの飛行機の機内で、「Rocky Aur Rani Kii Prem Kahaani」を観た。監督はカラン・ジョーハル、音楽はプリータム、主演はランヴィール・シンとアーリヤー・バット。これ以上ない組み合わせでの、ボリウッド王道ラブコメ映画。チャンスがあれば観ておきたかった作品だったので、ラッキーだった。

祖母が興した人気菓子メーカーの御曹司、ロッキーは、事故で記憶喪失になって久しい祖父がある女性の名前を思い出したのを機に、その女性が誰なのか、探しはじめる。見つかった女性は、テレビで活躍する女性ニュースキャスター、ラーニーの祖母。二人を何度か引き合わせるうちに、ロッキーとラーニーもまた、恋に落ちていく。しかし、厳格な家父長制が敷かれているロッキーの家族と、インテリでリベラルなラーニーの家族との間には、あまりにも大きな違いがあった。そこでロッキーとラーニーは、お互いの家に三カ月間住み込んで、両家を隔てるギャップを埋めようとするのだが……。

期待通り、いや期待以上に、面白かった。こういう映画が観たかった。ド派手で胸元開きすぎなランヴィールのファッションはどれも似合いすぎてて楽しいし。ラーニーの清々しいほど気風のいい役柄はアーリヤーにぴったりだし。懐メロを含めたダンスシーンも、盛りだくさんで華やかだった。

その一方で、家父長制の弊害や、ジェンダー、ルッキズムなどの社会的課題を、この映画は真正面から取り上げていて、それらの課題が物語の中で一つずつクリアされていく様にも、インド映画の新しい潮流を感じさせた。タイトルこそ「ロッキーとラーニーの恋物語」なのだが、この映画は、二つの家族が織りなす物語でもあり、だからこそ備わっている物語の厚みがある。

良い映画だった。日本語字幕で劇場公開される日が来るのを願う。