Category: Diary

次への足慣らし


昨日はひさしぶりに山歩きへ。おなじみの陣馬山から高尾山までの縦走コース。空は雲ひとつない快晴で、朝のうちは富士山もよく見えた。風も穏やかで、トレイルにもぬかるみはなく、快適に歩けた。高尾山の周辺では紅葉がピークを迎えていて、見物客もめちゃくちゃ多かったが(苦笑)、総じて良い山行だったと思う。

僕自身の目的は紅葉見物とかではなく、次の取材旅行に備えての足慣らしだ。次の取材はそれほど遠くなく、実はもう2カ月もない。かなり歩き回ることになりそうなので、コンディションはできるだけ整えておきたい。昨日は思っていたよりも身体が動けていて、調子がよかった。家での自重筋トレも欠かさないようにしなければ。

また一冊、作り終えて

ここ一カ月ほど……十月中旬から今週初めくらいまでは、本当に忙しかった。

大半の仕事は『ラダック旅遊大全』の編集作業だったのだが、これまでぬかりなく進めていたはずが、僕の担当する作業範囲から外れたところで、想定外のスケジュールの遅延や大きなミスが発生し、一時は、予定通りに発売できるか危ぶまれるほどの状況に陥った。それらの帳尻を合わせるために、僕も担当編集さんも土日祝日返上で朝から晩まで作業して、遅れたスケジュールをどうにか巻き戻した……という次第。

それでもまあ、どうにかこうにか、また一冊、作り終えることができた。自分にできることはすべてやり尽くしたので、あとはもう、読者の方々の手に委ねて、良い本になったかどうかを判断してもらうしかない。

ラダック旅遊大全』は、仮に将来、改訂版を作るにしても、少なくとも十年は間を空けても持ちこたえられるように作った。だから、この本の改訂版を僕自身が手がけられる機会は、あるとしても、あと一回か、せいぜい二回くらい。そんなものか、とあらためて思う。僕に残されている時間は。

あと何冊、僕は本を作れるのだろう。

次に作りたいと考えている本は……来年初めから取り組む取材で、本を書くに足る確信を持てたら作れるかもしれないが、何とも言えない。もう一冊の企画もあるにはあるが、これは依頼元がどう判断するかにも左右されるので、やはり何とも言えない。少なくとも、2024年のうちには、新しい本を出すことはないと思う。

その次の年は? さらにその先は? 僕自身にも、どうなるか、まったくわからない。

一つ、思っているのは……これからは、一冊々々、良い本を作りたい、ということ。もちろん今までも、その時々の全力を投入して本を作ってきたつもりだけど、これから作る本は、さらに精度と密度を上げて、自分自身で完璧に納得できる本を作り、世に残していきたい。そういう本づくりに取り組める機会が、この先もまだ得られるのなら、自分の持つすべてを賭して、挑んでいきたいと思う。

何というか、今はもう、それだけだ。

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レベッカ・ソルニット『ウォークス 歩くことの精神史』読了。人間にとってもっとも根源的なものの一つでありながら、不確かで捉えどころのない「歩く」という行為。ソルニットは膨大な文献を渉猟し、自らもアクションを起こしながら、「歩く」ことと人間の関係性を、さまざまな視点から紐解いていく。確かな経験と実証、そしてソルニット自身の明晰な知性に裏付けられたこの本の充実ぶりには、脱帽するほかない。ロバート・ムーアの『トレイルズ 「道」と歩くことの哲学』と併せて読むと、さらに面白いと思う。

横浜への旅


一昨日と昨日、一泊二日で、横浜まで旅行に行ってきた。

都心から片道一時間かそこらで行ける距離の横浜に、あえて一泊の旅行をしてきたのは、二つの目的があった。一つは、関内にあるスコティッシュパブ、ワイバーンに行くこと。都心から日帰りでも飲みに行けなくはないけれど、現地で宿を取っておいた方が、心おきなく飲めるので(笑)。ワイバーンさんは噂に違わぬ素晴らしさで、お酒のラインナップはもちろん、フードも丁寧に調理されていて本当においしかった。ブリュードッグのビール、ブルイックラディのハイボール、ヘーゼルバーンなど、たらふくいただいてしまった。

もう一つの目的は、憧れの老舗ホテル、ホテルニューグランドに泊まること。数カ月前にたまたま良心的な料金で予約が取れたので、めちゃめちゃ楽しみにしていたのだ。チェックインしてみると、用意されていた部屋は、山下公園や横浜港をぐるりと一望できる眺望の角部屋。設備もサービスも、品が良くて、でも気取りすぎてなくて、何から何まで行き届いているという、素晴らしいものだった。夜はぐっすり眠れたし、朝は軽めの朝食をルームサービスでお願いして、ベイビューを楽しみながらいただいた。最高だった。

他にも、中華街で人気の謝甜記貮号店で、一時間半ほど粘って旨い中華粥をいただいたり、山下公園や赤レンガ倉庫の界隈をぶらぶら散歩したりして、独特の異国情緒の漂う街を、のんびり満喫することができた。旅って、思っていた以上に気軽に楽しめるものなのだな、と再認識した二日間だった。

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チベットのむかしばなし しかばねの物語』読了。星泉先生が編訳を手がけ、蔵西先生が挿画を担当された本で、しかばねが主人公にさまざまな物語を語り聞かせるという、枠物語形式の一冊になっている。それぞれのエピソードがチベットらしい素朴さとのどかさ、そして意外性にあふれていて、それらを彩る蔵西先生のイラストの数々も本当に美しい……。読んでいて、幸せな気分になれる本だった。

時計の乾電池

少し前から、家の中で使っている時計が、立て続けに止まった。壁に架けている大きめの時計と、台所で冷蔵庫にマグネットで貼っている、小さめの時計。どちらも故障ではなく、入れてあった乾電池の寿命によるもので、交換すると、それぞれ、すぐに動きはじめた。

どちらの時計も、使いはじめたのは、僕が西荻窪のこのマンションに引っ越してきてからだ。二人暮らしに移行して、かれこれ五年と数カ月になる。それだけの歳月が過ぎていれば、乾電池が寿命を迎えるのも、納得ではある。

西荻窪で、これまで過ごしてきた五年間。続けて何カ月も海外取材に行っていた時期もあった一方で、コロナ禍によってまったくどこにも行けなくなり、ひたすら机に向かって原稿を書いていた時期もあった。五年の間に、仕事の面では、取引先が変わったり、紀行文学賞をいただいたりと、いろいろ変化はあったが、生活の面では、何だかんだで穏やかに過ごせているような気がする。

次の五年間も、仕事ではせいいっぱい頑張りつつ、生活では引き続き穏やかに暮らしていければ、と思う。

アイスからホットへ

残暑があまりにも長引きすぎて、まだまだ夏なのかなと思っていたが、気がつけば、もう十月。昨日あたりから暑さもようやく一段落したようで、日もずいぶん短くなってきた。

昨日から、朝のコーヒーを、アイスからホットに切り替えた。夏の間は、ぐっしょり寝汗をかいて目覚めた朝に、前の晩にいれて冷蔵庫で冷やしておいたアイスコーヒーを飲むと、ひからびた身体に沁みわたるようで、それはそれで旨かった。でも、朝、仕事机に座ってMacを立ち上げ、メールやら何やらに目を通しはじめる時間帯、傍らに置いて飲むのは、やっぱりホットコーヒーの方がいい。いれたての香りとともにカフェインが、ぐいん、と頭の隅々に行きわたる感じがするし、気分も落ち着くし。

自炊のメニューも、煮物とか八宝菜とか、季節の旬に応じて、だんだん切り替えていこうかなと思う。夏はもう、しばらくはいいや(笑)。

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日野剛広『本屋なんか好きじゃなかった』読了。ときわ書房志津ステーションビル店の店長として、出版業界でも有名な日野さんの初の著書なのだが、優しく飾らない人柄が行間にじんわりと滲み出ていて、とてもよかった。

実をいうと書くことは苦手である。いやお前、今こうして書いてるだろ、と突っ込まれようが、苦手なものは苦手なのである。<中略>ならば書くのをやめたらどうか? しかし、書きたいのだ。書くことが苦手なのに、好きだということに気づいてしまったのだ。

この一文が、とりわけ印象に残った。プロとして文筆を生業とする人の中には、「書くことは得意だけど、好きではない」という人も少なくないように感じるが、本来は日野さんのように「好きだから書く」というスタンスであるべきなのでは、と思う。自分自身も含めて。

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煎本孝・山田孝子『ラダックを知るための60章』読了。明石書店の有名なエリア・スタディーズのシリーズ200冊目が、なんとラダック。今となっては入手困難な膨大な史料を基に書かれているようで、ラダックの歴史や社会構造、伝統文化などの資料として、持っておいて損はない一冊だと思う。ただ、ざっと通読したところ、疑問に感じる記述もいくつか見受けられた。たとえば食文化の項では、モモについて「蒸し餃子はラダックの一般家庭では見られず、レーにある食堂で出される料理である」という明らかに間違った記述があった。これは著者のお二人だけでなく、編集や校正担当の方々による事実確認に漏れがあったからだろう。なので、この本を参照してラダックについて何か書く時は、ほかの資料とも照合して確認する必要はあると思う。