本をつくる意味

本の原稿を書く時は、なるべく心穏やかに、集中して、できれば楽しい気分で取り組みたいと思っているのだが、なかなかうまくいかない時もある。

今までで一番きつかったのは、2011年に、ラダックのガイドブックの最初のバージョンの取材と執筆に取り組んでいた時期。その年は東日本大震災で日本中がしっちゃかめっちゃかだった上に、夏には父が急逝してしまったので、仕事に気持ちを向かわせるのが本当に難しかった。一昨年来のコロナ禍も大変というか、先行きが不透明すぎて、仕事のペースをコントロールするのが難しかった。それは今もだけど。

で、昨日勃発した、ロシアのウクライナ侵攻。自然災害や疫病なら、人間では完全には防ぎ切れない現象ではあるが、戦争は、100パーセント、人間の所業によるものだ。愚かな独裁者の凶行によって、死ななくてもいい人々が大勢死につつある。そのやりきれない現実に、気持ちがぺしゃんこに押し潰されそうになる。

自分みたいな人間が、文章を書いたり、写真を撮ったり、本を作ったりすることには、何の意味も価値もないのではないか。あっという間に虚しく消えていく文字列を、独りよがりにキーボードで叩いてるだけなのではないか。

正直、わからないし、自信も持てない。それでも今、自分にできる精一杯のことは、本をつくるという仕事だ。意味や価値があるのかどうかわからないけれど、ほんのわずかでも自分の中で信じるに足る何かがあるなら、それを言葉にして、本に記録して、残していこうと思う。

今書いている本には、偶然だが、ロシアでの体験の話も出てくる。あの時自分が見た、ありのままのあの国の姿を、伝える努力をしようと思う。

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