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湯河原原稿執筆合宿、再び


来年の春頃に、新しい本を出すことになったのだが、肝心の原稿の進捗は、あまり捗々しくない。特に五月は、ほかの国内案件がわちゃわちゃと立て込んで、それらにすっかり時間を取られてしまった。

このままではまずいということで、伝家の宝刀(?)、原稿執筆ぼっち合宿を敢行することにした。今回の合宿地は、およそ四年ぶりの湯河原。前回もお世話になった、The Ryokan Tokyo YUGAWARAさんに滞在することにした。この宿には「原稿執筆パック」という宿泊プランがあって、一日三食の食事付き、コーヒーなど飲み放題、温泉にも朝晩入り放題という、僕にはおあつらえ向きの内容なのだ。料金は時期によって変わるが、安いタイミングを選べば、一日あたり一万円程度でも泊まれる。今回は、原稿執筆パック三泊四日のプランで滞在することにした。

部屋は八畳の和室。今の時期の湯河原は、思っていたほど暑くもなく、東京より涼しいくらい。日中は窓を網戸にしていると、涼しい風が入ってきて、遠くからの川のせせらぎと、うぐいすのさえずりが聴こえるだけの、とても静かな環境だった。

出航

五月に入ってから、ほぼずっと、一人で家に籠って、新しい本の制作に集中していた。

土曜までに各章のプロットをまとめられたので、昨日の日曜から、序章の執筆に着手。3000字ちょっとの短いパートだが、ゆっくり、慎重に書き進めていって、昨日のうちに書き上げることができた。今日はその部分の原稿を読み返しての推敲作業。

長篇の紀行文に取り組むのは『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』以来で、実際に書きはじめてみると、長い旅が始まった時の高揚感に似た気分を感じる。生まれて初めての海外一人旅の初日、神戸港から出航した船の舷側で、航跡の向こうに遠ざかっていく陸地を見ていた時のような気持ち。

あの時の船旅と違うのは、今の自分が乗っている船は、自力でオールで漕ぎ続けないと、どこにも辿り着けないということだ。あと一年、難破しないように、頑張ります。

ポール・オースターが教えてくれたこと

家にある自分の本棚を眺めてみると、同じ作家で本が一番多いのは、開高健。次が同数で、アーシュラ・K・ル・グィンとポール・オースターだった。

ポール・オースターのことを知ったのは、他の多くの日本人読者と同じく、映画「スモーク」を観たのがきっかけだった。ブルックリンを舞台にした洒脱な映像と思いがけない展開の物語、そして最後の『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』の見事さにすっかりやられてしまった僕は、「ニューヨーク三部作」と呼ばれるオースターの初期の作品群(『シティ・オブ・グラス(ガラスの街)』『幽霊たち』『鍵のかかった部屋』)を入口に、彼の作品をかたっぱしから読みまくった。『ムーン・パレス』の流麗な書き出しには、今もほれぼれとさせられる。その後も『偶然の音楽』『リヴァイアサン』『ミスター・ヴァーティゴ』など、柴田元幸さんの訳によるオースターの新刊が出るたびに、本屋でハードカバーを買い求めて読んでいた。

昨日の昼、ポール・オースターが亡くなったというニュースを知って、自分でも思いがけないほどショックを受けているのを感じた。それは、彼の書いた作品が、僕自身の二十代から三十代にかけてのうだつの上がらない日々の中で、他に置き換えることのできない存在であったからだと思う。特に初期の作品群で、「書く」という行為そのものをこれ以上ないほど深く深く掘り下げていった彼の文章は、自分自身が「書く」という行為とどう向き合うべきなのか、考えさせられるきっかけにもなった。その答えは、いまだに出せていないような気もするけれど。

オースターの作品と出会ってなかったら、僕の書く本は、今とは全然違うものになっていたかもしれないし、そもそも本を書くこと自体に取り組んでいなかったかもしれない。ふりかえってみると、そのくらい重要なきっかけであり、大きな存在だった。まだオースターの作品に触れたことのない人には、ぜひ読んでほしい、と思う。

新しい本へ

4月7日(日)のタシデレでのイベントと、12日(金)の三鷹ユニテでのトークイベント、それぞれ盛況のうちに、無事終えることができた。昨年末に発売した『ラダック旅遊大全』絡みのイベントは、とりあえず全部終わった……はず。先月中旬に帰国して以来、特に7日(日)のイベントの準備(写真のRAW現像をしたり、ムービーを作ったり、スライドを作ったり)がかなりプレッシャーだったので、ほっとしている。

これから始まるのは、次への助走だ。新しい本の準備は、僕自身の中ではすでに始まっている。今度もまた、少なくとも一年はかかる長距離走になるのは確実だし、うまく書き上げられる保証はどこにもない。でも今、むちゃくちゃ楽しみだし、燃えてもいる。素材は間違いなく、最高だ。あとは努力と工夫次第。自分史上最高傑作を、何としても作ってみせる。

とりあえずその前に、目の前に山積みになりつつある国内案件の数々を、何とかせねば……。

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ジム&ジェイミー・ダッチャー『オオカミの知恵と愛 ソートゥース・パックと暮らしたかけがえのない日々』読了。オオカミの群れの生態の研究とドキュメンタリーの撮影のため、ソートゥース山地の麓の広大な敷地で、子供の頃から世話をしたオオカミたちの群れ(パック)を観察し続けた六年間の記録。野生のオオカミの撮影記録と勝手に思い込んでいたのだが、これはこれで、人の手を介した方法でしか知り得なかったであろうオオカミたちの習性や行動が紹介されているので、読み応えがある。オオカミについてあらためて知りたいと思っていたところ、家でこの本が積ん読になっていたので、読めてよかった。本編の一番最後に掲載されている写真が、とてもいい。

そして物語は現れた

昨日の朝、デリーから東京に戻ってきた。

家では、蛇口をひねればお湯が出る。食べ物は、肉も魚も野菜もよりどりみどり。何から何まで快適で、正直ほっとする。この二カ月間は、そういう快適さとはまったくかけ離れた日々だったから。

でも、この二カ月間のかの地での日々は、忘れようにも忘れられない、夢のような毎日でもあった。訪れる前には想像もしていなかった出来事が、次々に起こった。そして気がつくと、一篇の物語が、僕の目の前に現れていた。これは、ちゃんと書かなければ、と思う。この物語を書き残せるのは、僕しかいないだろうから。

これもまた、ある種の運命なのだろうと思う。

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ディーリア・オーエンズ『ザリガニの鳴くところ』読了。ベストセラーになったのも納得の面白さで、グイグイ読ませる。舞台となる湿地の風景と動植物の緻密な描写は、著名な動物学者でもある著者の面目躍如といった筆致で、素晴らしかった。この本のもう一つの軸であるミステリーの謎解き部分は、やや説得力が弱く、「んん?」と感じる点もあったけれど。

ラドヤード・キプリング『キム』読了。終盤の見せ場の舞台としてスピティが登場するということで読んだ一冊。19世紀当時のインドの風景や人々の生活が鮮やかに描かれていて、楽しめる。ただ、時代的に仕方ないとはいえ、当時の英国によるインド支配を完全肯定してるのはどうなんだろう、と思う。文章も独特のくせがあって、正直ちょっと読みづらかった。