選べたかもしれないもの

昨日は夕方から、阿佐ヶ谷にある小さなライブハウスへ。リトスタのokayanとミヤザキ店長、そして常連の方々のバンド「ナカマチテラス」の演奏を堪能させてもらった。ほとんどのお客さんはリトスタつながりで、とても和やかで、心の温まる時間だったように思う。

人間は、生まれた直後には、とてもたくさんの道の中から人生を選ぶことのできる可能性を与えられている。でも、時が過ぎ、年齢を重ねるにつれ、周囲の環境とか、人との関係とか、自分自身の意志とか、いろんな理由によって、そうした選択肢はだんだん少なくなっていく。

たとえば僕は、もうサッカー選手やボクサーには絶対になれない。絵描きにも、医者にも、それどころかたぶん普通の会社員ですら無理だ(苦笑)。昨日の夜の彼らのように、人前で歌を歌いながら演奏したりすることも、僕にはまったくできないし、それはずっと変わらないだろう。かつては選べたかもしれないけれど、今はもう選べないというものは、誰にとっても、きっとたくさんあるはずだ。

だから、今も選ぼうと思えば選べるものがある人には、それを大切にしてほしいと思う。歌を歌ったり、絵を描いたり、どんなことでも。やろうと思えばできることも、やらなければ、できないのと同じ。自分自身、あらためてそう思った。

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