課せられた不自由の中で

東北関東大震災が起こってから、一週間が過ぎた。被災地の状況は依然として深刻だ。今は一人でも多くの人が救出されて、安全な場所に避難されることを祈るしかない。郵便局で募金くらいしかできない自分が、つくづく歯がゆい。

ラダックのブログでも書いたのだが、今、被災地でない安全な場所で暮らしている人たちができるのは、「課せられた不自由の中で、できるだけいつも通りに生活すること」なのではないかと思う。死者を悼む気持は大切だし、被災者の方々を常に思いやることも忘れてはならない。でも、必要以上に不安にかられて縮こまっていては、心がかちこちにこわばって、そのうちぽきりと折れてしまう。これから被災者の方々を支えていかなければならない側の人たちが、そんな状態では話にならない。

計画停電や交通網の乱れ、買い占め(苦笑)による物資やガソリンの不足などは、被災地に比べればちゃんちゃらおかしいレベルの不自由だ。そうして課せられた不自由の中で、家族や友達と話し合ったり、遊んだり、一緒にごはんを食べたりして、できるだけいつもと同じように暮らす。そうすればきっと、気持がふっと和らいで、他人を支える余裕も出てくる。

僕自身、そうした日常の大切さを、今、あらためて噛みしめている。

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