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10連休への違和感

日頃からフリーランスの立場で仕事をしている自分にはいまいちピンとこないのだが、世間では明日からゴールデンウイークが始まる。今年は、政府が何だかんだと休日を付け足して、10連休になっているのだそうだ。

休日が増えたと喜んでいる人もいれば、職種の都合でまったく休めないという人もいる。行楽地は混雑するだろうし、普段の生活圏で休む店が多いと不便なこともあるかもしれない。そんな中で、僕が以前から個人的に違和感を感じているのは、「そもそも、休日以外に休みたい時でも、それなりにまとまった期間の休暇が異様に取りにくい日本の風潮って、何なの?」ということ。休日だから休んでいい、そうでない時は休んじゃダメ、という全員右へ倣え的な慣習に囚われているのが、アホらしくて。

定時に帰ると、なぜか「真面目にやれ」と怒られたり。逆に建前上は残業禁止なのに、膨大な量の仕事を押し付けられて、家に持ち帰ってやらざるを得なかったり。有給休暇の権利をもらっても、それを行使するのがはばかられる雰囲気が職場にあったり。

こういうことに関する日本での「当たり前」は、他の国々ではまったく「当たり前」ではない。ほんと、バカバカしいな、と思う。

正義の在処

今の日本という国からは、正義というものが、刻々と失われつつある。

政治家たちは息を吐くように嘘をつき、バレても何の責任も取ろうとしない。警察も検察も司法も、首を傾げたくなるような所業を繰り返している。それらにマスメディアは目をつぶり、くだらないニュースしか流さない。以前は「これは間違いなく正しい」と当たり前のように思えていた社会の中の基準が、ことごとく揺らいでいる。

今は、誰かや何かを盲目的に「間違いなく正しい」と信じることが、危険な時代になってしまったのだと思う。真実はどこに、どんな形であるのか。それは、いくつもの客観的な事実を突き合わせて、自分たちで確かめるしかない。正義の在処は、本当の意味での真実を確かめたその先にある。

面倒なことは、さっさと

昨日は午後から渋谷方面で、打ち合わせの予定が2件。どうせ出かけるなら朝イチで家を出て、午前中のうちに面倒なことをさっさと終わらせておくことにした。

面倒なことというのはもちろん、確定申告。1月にインドに出発する前に泣きながら準備しておいたかいがあって、帰国した後、留守の間に届いていた支払調書と帳簿を突き合わせても、数字はピタリと合っていた。なので、このまますぐに税務署に行ける、と思ったのだ。

荻窪税務署の申告会場がオープンする少し前に列に並び、第二陣くらいのタイミングで中へ。決算書類に粛々と数字を記入し、パソコン入力コーナーでも粛々とデータを入力。問題なく手続きを終え、印刷してもらった書類一式を支払調書などと一緒にまとめて投函。ふー、片付いた。

毎度のことながら、確定申告を終えた後の、何ともいえない解放感。おひるに旅人の木で食べた油そばのうまかったこと。これで、もう少しちゃんと儲かっていたらいいんだけど(苦笑)。

「Newton」

タイ取材のために羽田を飛び立って、台風24号の暴風の余波に揺れる機内で観たのは、インド映画「Newton」。「クイーン」などで独特のトボけた味の演技を見せている個性派俳優、ラージクマール・ラーオの主演作。海外の映画祭などでも話題になっていた作品だったので、観てみることにした。

舞台はインド中部チャッティースガル州のジャングル地帯。毛沢東派の武装勢力が支配するこの一帯には、わずかながら先住民が暮らす村々がある。公務員で生真面目な性格のニュートンは、このジャングル地帯で実施される選挙管理員に自ら志願する。何かにつけて非協力的なインド軍の護衛を受けつつ、現地に赴いたニュートンは、同僚や現地の協力者とともにどうにか投票を実施させようとするが……。

インドの、それも辺境中の辺境での選挙という、かなり特殊なテーマの作品。ミニマルな世界ゆえに、インドの政治や社会の実態(主にダメな部分)がよ〜く表れていたように思う。頑ななまでに杓子定規な主人公ニュートンのふるまいは、時に滑稽ですらあるのだが、それがかえって現実の異様さ、滑稽さ、そしてむなしさを際立たせている。

いつ、どこからゲリラが出没するかわからない、というチリチリした緊迫感をはらみつつ、物語は小さな笑いを交えながら淡々と進んでいく。このまますーっと終わるのかな……というところで、思いがけない展開が、どん、さらにどん、と。何とも言えない後味の残る、不思議な映画だった。

「同意」

キネカ大森でのインディアン・シネマ・ウィーク(ICW)、3本目に観たのは「同意 Raazi」。2018年夏に公開された、アーリヤー・バット主演のスパイ・サスペンス。

1971年、東ベンガル(後のバングラデシュ)の独立運動に伴って、インドとパキスタンとの間では急激に緊張が高まっていた。カシミール生まれの大学生サフマトは、余命わずかな父の願いを聞き入れ、彼の友人であるパキスタン軍人の末息子のもとへ嫁ぐ。だが、その真の目的は、諜報員だった父の跡を継いで、パキスタンの軍事作戦を探るという危険な任務だった……。

スリリングな映画だった。何しろ1970年代初頭なので、スパイが情報伝達に利用できるのは固定電話やモールス信号機のみ。そのアナログなまだるっこしさで、さらにハラハラさせられる。奇抜な仕掛けはないのだが、最後の最後まで読めない展開で、あっという間の140分だった。

この作品でとにかく痛ましいのは、主な登場人物がほぼ全員、善人であるという点だと思う。本当の意味での悪人は一人もいないのに、国と国との軋轢に巻き込まれ、ある者は命を落とし、残された者は悲しみに突き落とされ、サフマトはあまりにも理不尽な運命を背負わされてしまう。「私は他の何者よりも、祖国を愛する」という彼女の信念は、人として、本当に正しかったのか。つくづく考えさせられる。

ちなみに、この映画の原作の小説にはモデルとなった実在の女性諜報員がいて、劇中のいくつかの出来事は、実際に彼女の身に起こったことを基にしているのだそうだ。そういう話を聞くと、なおさら、やるせない。