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旅に出るのは、今じゃない

今年の夏は、ずっと東京の自宅で過ごすことになりそうだ。来週の4連休も、お盆休みも、帰省や旅行をする予定はない。東京にコロナ禍の第二波が襲来している今、迂闊に旅行で動き回ると、行く先々で接する人々に思わぬ迷惑をかけかねない。普通に考えれば、ごく当たり前のことだ。

政府が春先から1.7兆円もの巨費を計上してゴリ押ししてきたGo To Travelキャンペーンは、大勢の人々の移動による感染拡大のリスクを伴う明らかな悪手で、愚策以外の何物でもない。僕は一応、添乗員の資格も持っているので、派遣会社とかに登録すれば、日本国内のグループツアーの添乗員の仕事もできるのだが、今は頼まれたとしてもやりたくない。たとえば、ツアーのお客さんに発熱などの体調不良を訴える方が出たら、どう対処すればいいのだろう? その人だけ病院に預ければ済む話ではない。万全の感染防止対策を取りながらツアーを催行するというのは、少なくとも今の段階では、恐ろしく難しいと思う。地方の観光地にしたところで、苦し紛れに観光客を受け入れて、その中に混じっていた無症状の感染者から感染が拡大したら、それによって被るダメージの方がはるかに大きい。連れて行く側も受け入れる側も、今はリスクが高すぎる。

苦境に陥っている旅行業界を支えるのであれば、人の移動という感染拡大のリスクをできるだけ伴わない方策を、最初から検討すべきだった。直接的な給付金であったり、感染収束後に使える宿泊クーポンなどを先払い購入する際の支援など、方法はたくさんあったはずだ。だが、一部の大手企業が甘い汁を吸えるようにという与党の目論見が、すべての判断を誤らせることになってしまった。

旅は、旅をする者が現地で誰にも迷惑をかけずにすむような状況がちゃんと整っていてこそ、楽しめるものだし、価値のあるものだと思う。旅に出るのは、今じゃない。それによって困る業界の人々がいるのなら、感染拡大のリスクを伴わない形で支える方法を、全員で真剣に考えるべきだと思う。

オンラインイベントについて思うこと

昨今のコロナ禍の影響で、Zoomなどを利用してオンラインで開催されるイベントが増えてきた。僕自身、『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』の発売に合わせて予定してた刊行記念トークイベントを延期して、開催時期を模索している立場なので、オンラインイベントにはかなり関心を持っていた。

ただ、実際に自分が出演するトークイベントをオンラインで開催するかどうかとなると、少なくとも現時点では、やらないだろうと思う。これまで何度か自分で開催してきた、リアルな場でのトークイベントの面白さや価値を超えられる自信が、正直言って、持てないのだ。

出演者がそれぞれ別の場所にいて、リモートでやりとりして、それをさらにリモートな場所から不特定多数の観客が見ているという状況は、リアルな場でのトークイベントとはかなり別物の体験になると思う。間延びするテンポ、場の空気のつかみづらさ、そういったものをうまく咀嚼して乗り越えていくトーク力が必要になるはずだ。僕はしゃべりのプロではないし、ルックスも人並み以下のただのおっさんだし(苦笑)、いろいろ難しい要素が揃うオンラインで拙いトークを披露して、お代を頂戴できるような価値のある体験を提供できるとは、思えないのだ。

もし、オンラインでやるからには、リアルな場でのトークと同じかそれ以上に面白く、オンラインでやるからこそ意味のある内容のイベントでなければ、少なくとも自分のような人間は手を出すべきではないのでは……と思っている。ある意味、YouTuber的なトークのスキルがなければ、厳しいのではないかな、と。

もちろん、世の中には、お代を払う価値のある、オンラインでこそ実現できる内容のイベントもたくさんあると思う。それぞれとんでもない遠隔地に住んでいる出演者同士が顔を揃えるイベントとか、遠隔地から何かを実況中継しながら展開するイベントとか。でも今のところ、自分の中にはそういう風にフィットしそうなアイデアはない。別の誰かから、よっぽど良いアイデアのご提案をいただいたなら、話は別かもしれないが……うーん、どうなんだろうなあ……。

まあ、僕には、長年使い慣れているもっともシンプルな武器、文章という手段もあるので、何か言いたいことが出てきたら、テキトーにさらさらっと書いて、こんな風にとりとめもなくブログにアップすることにしようと思う。

本気の文章と写真は、もちろん、本にすべて込める。そこがおろそかになっていては、イベントもへったくれもない。

軋む世界

気がつけば、今日から7月。2020年の半分が終わってしまった。すっかり失われてしまった、という感触に近い。

米国やブラジル、インドなど、いまだに多くの国々が、コロナ禍に喘いでいる。日本というか、東京もそうだ。都知事選の投票日を過ぎたとたん、東京の1日の感染者数が3桁に増えてもまったく驚かない。旅行者が普通に海外と行き来できるようになるのは、来年以降になるだろう。東京五輪? そんなの、無理に決まっている。

米国では、Black Lives Matterの怒りの炎が燃え盛っている。ラダックでは、中国軍とインド軍が針金を巻いた鉄パイプで殴り合っていて、どちらがトリガーを引いてもおかしくはない。香港は、国家安全法によって完全に押し潰されようとしている。

自分の身の回りでも、遠く離れた国々でも、世界が、ぎしぎしと軋みを上げ、ひび割れ、砕けそうになっているのを感じる。人間の冷静さと良心で、それらをつなぎ止めることはできるのだろうか。たとえできなくても、やれることを、やるしかないのだろうけど。

嵐が過ぎ去るまで、ただ耐えるだけでは、ダメなのかもしれない、と思う。

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ジョン・マクフィー『アラスカ原野行』読了。だいぶ前に買っていたものを、ようやく読み終えた。本文2段組、450ページの大著で、1970年代のアラスカとそこで生きる人々の横顔が、雄大な自然の描写とともに丁寧に書き綴られている。環境保護と開発、先住民と白人の移住者、原野での生活を希求する者たちの葛藤。きれいごとだけでは描ききれない、当時のアラスカのリアルが詰まった、貴重な記録。

お茶を飲んだり、ごはんを食べたり

この週末は、ひさしぶりに相方と二人で、外で飲み食いをする機会があった。土曜の夕方に三鷹の横森珈琲でお茶を飲んだのと、日曜の夕方に西荻のコノコネコノコでお酒を飲みつつごはんを食べたのと。

これまでずっと、日常の中で当たり前のようにしていたことだったのに、コロナ禍の影響で、かれこれ3カ月もご無沙汰していた。その間も、リトスタやコノコネコノコにはテイクアウトでお世話になっていたのだが、あらためて、二人で出かけて外でお茶を飲んだり、ごはんを食べたりすると、いつのまにか失われていたものの大きさ、そしてそれが少しずつ戻ってきたことのありがたさを、しみじみと感じた。

東京の感染状況は、まだまだまったく油断できない状況なので、しばらくは、外で飲み食いをするにしても、込み合わなさそうな場所と時間帯を選んでというやり方になると思うが、それでも、やっぱり、とても嬉しい。少しずつ、取り戻していければな、と思う。

スヰートポーヅ

二十代の終わり頃、ほんの二、三年だったが、九段下にあった雑誌の編集部に、契約社員として勤めていた。当時から僕はぼっちが好きだったので(苦笑)、社内の人と一緒におひるを食べに行くことはめったになく、たいてい一人で、神保町の方にぶらぶら歩いていって、どこかの店に入っていた。

すずらん通りの餃子専門店、スヰートポーヅには、通りがかった時に「あ、ここはおいしそう」と直感で入ったのが最初で、あのあたりでは誰もが知ってる老舗の人気店なのだという予備知識は、まったくなかった。完全に皮を閉じていない独特の小ぶりな餃子。赤だしの味噌汁と一緒にたいらげれば、その日の午後は、満ち足りた気分になれた。雑誌の編集部を離れてからも、昼頃に神保町界隈に来る用事がある時は、たいていスヰートポーヅでおひるを食べるようにしていた。

そのスヰートポーヅが、閉店することになったという。コロナ禍の影響か、それ以外に理由があるのかは、わからない。あの店は、あの佇まいで、ずっと変わらずにあそこにあるのだと、どこかで思い込んでいた。でも、変わらないものなど、どこにもないのだろうな。新型コロナウイルスは、日本中の至るところで、それを無慈悲に炙り出している。

嗚呼、残念だ。せめてもう一度、餃子中皿定食、食べたかった。