梅雨入り

昼少し前、食材の買い出しに行くため、マンションから外に出て、傘をさして歩き出す。雨とも霧ともつかない、細かな水滴が宙を舞っている。近所の家の生垣で、しっとりと潤った緑の葉。紫陽花も、淡い色の花弁を生き生きと広げている。

ああ、梅雨に入ったんだなあ、と思った。

実際、関東地方は、今日から梅雨入りしたそうだ。ニュースなどで知らされる梅雨入りと、季節の境目として体感した梅雨入りが一致したのは、いつ以来だろうか。毎年のように、やたら暑かったり寒かったり、大雨だったり小雨だったりで、異常気象という言葉を聞かされ続けていたから、ごく普通の形で季節が移ろっていくと、かえって少し戸惑ってしまう。

いずれにせよ、これからしばらくは、洗濯物を干すタイミングに悩まされそうだ。

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F・スコット・フィッツジェラルド『ある作家の夕刻 フィッツジェラルド後期作品集』読了。若くして作家として華々しくデビューし、『グレート・ギャツビー』という不朽の名作を残したフィッツジェラルドは、1930年代に入ると、妻の病や世界恐慌、自身のアルコール中毒などで、不遇の時代を過ごすようになる。すべてを賭けた渾身の力作『夜はやさし』も、発表当初はほぼ見向きもされなかった。この短編集では、その頃の彼の心情を、いくばくか読み取ることができる。短編も秀逸だが、後半に収録された「私の失われた都市」や「壊れる」三部作などのエッセイが、寂しくも美しい。

「そして魂の漆黒の暗闇にあっては、来る日も来る日も時刻は常に午前三時なのだ。」

自身の絶望を、こんな言葉で綴ることができる人を、僕はほかに知らない。

まだらな街並

中央線沿線の街の中でも、西荻窪は、個性的で元気な街だ、という風な形容をよくされている気がする。

駅を中心とした比較的狭い範囲に、個性的な個人経営のお店が、老舗から新店まで集まっているのは確かだ。雑誌で紹介されたり、自ら本を出してたりする飲食店や雑貨店もある。駅の西側のガード下も再開発されて、新しいスーパーや飲食店がオープンしている。

でも、その一方で、シャッターを下ろしたままの古い空き店舗の数も、実はかなり多い。建物が古すぎて、取り壊すにもリノベするにも費用がかかるから放置されているような物件もかなり目につく。駅近にもあるし、少し離れるとさらに増える。駅の東側のガード下の古い商店街も、今や大半がシャッターを閉じた空き物件だ。

そうした空き物件がまだらに街に存在しているのは、単純に、景気が悪いからだろう。新しく商売を始められる状況にある人や会社が、それだけ減っているのだ。今ある個人経営のお店も、どこもけっして楽な経営ではないのではないかと思う。

この街に引っ越してきて、七年。あと三年で十年か。その頃には、どうなっているのかな。

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橋本倫史『観光地ぶらり』読了。道後温泉、竹富島、羅臼、しまなみ街道、五島列島、そして著者の故郷である広島など、日本各地の「観光地」について書かれた本。土地の歴史を調べる、現地に足を運ぶ、自分の目で確認する、現地の人々に話を聞く。紀行文でもあり、「観光」を糸口に日本の近現代史を地方の視点から辿ったルポルタージュでもある。変に斜に構えたようなところのまったくない、その土地の人々に敬意を持ってまっすぐに向き合う著者の姿勢に、とても共感できた。

「ヴィクラム」


リモート取材の仕事の予定が先方の都合でリスケになり、ぽっかり時間が空いてしまった。水曜だし、映画でも観に行こうと思い立ち、「ヴィクラム」を上映中の新宿ピカデリーに行った。製作と主演のカマル・ハーサンのほか、ヴィジャイ・セードゥパティ、ファハド・ファーシルが、それぞれ強烈なキャラで登場する。監督のローケーシュ・カナガラージは、「囚人ディリ」やこの作品、さらに今月下旬に日本で公開される「レオ・ブラッディ・スウィート」、そしてその後に続く作品群に関連性を持たせ、「ローケーシュ・シネマティック・ユニバース」(LCU)として展開していくのだという。

舞台はチェンナイ。謎の覆面集団による連続殺人事件が発生。捜査に加わった特殊工作員のアマルは、ドラッグの製造と売買で街を牛耳るギャングのボス、サンダナムに目をつける。サンダナムたちは、行方不明になっている大量のコカインの原料の所在を血眼で探していた。だが、捜査を進めるうち、アマルは殺害された被害者の一人、カルナンのことが気になりはじめる。無職の初老の男で、酒好き、女好き、いいかげんでもあり、善人でもある。彼はいったい何者だったのか……。

物語の前半は、アマルの目線で追っていく捜査の行方が、なかなか先の読めない展開で面白かった(さすがに、あの人がいきなり死んで終わるはずはなかろう、とは思っていたが)。ただ、インターミッションを過ぎたあたりで、各陣営の正体と立ち位置がはっきりしてからは、割と一直線にバーッと荒っぽく進んでしまった感がある。「マスター 先生が来る!」でも後半はそういう印象だったが、カナガラージ監督の作品は、クライマックスはひねった展開よりもイキオイ重視、みたいな傾向があるのだろうか。まだそれほど作品を観ていないので、わからないけど。

「復讐ではない」と言うヴィクラムの台詞とはうらはらに、まぎれもなくこれは、復讐の激情にかられた男たちの物語だったと思う。復讐がさらなる復讐を呼ぶであろうこのシリーズの果てには、どんな結末が待っているのだろう。

函館への旅


ひさしぶりに、相方との二人旅。二泊三日で、函館に行ってきた。相方はずいぶん遠い昔に訪れたことがあるもののあまり記憶にないそうで、僕は初訪問。完全なる観光客気分で、北の港町を満喫してきた。

東京から函館までの移動は、飛行機で。早朝に家を出発し、羽田から午前中の便に乗り、函館まで約一時間。函館空港からバスで函館駅まで出て、予約してあった駅近のホテルに到着したのは、昼を少し過ぎた頃だった。あっという間だ。

そして本が増えた

四月下旬の『雪豹の大地 スピティ、冬に生きる』の発売に合わせて、連休前から今日までの間、都内を中心にいくつかの書店にご挨拶回りをしていた。

書店員の方々と話をしていて感じたのは、『雪豹の大地』の現物を目にして、おお、これは、とただならぬ気配を察してくださっていた方が多かったということ。やっぱり、完成度をとことん突き詰めて作り上げた一冊の本が醸し出す存在感は、書店員や読者の方々にも伝わるものなのだな、と。チームで作り上げた本をそんな風に受け止めてもらえていて、個人的にも嬉しかった。

それにしても、行く先々、素敵な書店が多かった。自分の好みドンピシャな品揃えだったりすると、ついつい見惚れて、気がつくと一冊手に取っていたりする。そうして買った本が日を追うごとに増えていき……また本棚のスペースがなくなってきた……。

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J.D.サリンジャー『彼女の思い出/逆さまの森』読了。グラース家の物語でもコールフィールド家の物語でもない、サリンジャーの初期の短編集。明らかに軽めに書かれた作品もあるが、彼ならではの先見性と繊細な感性、そして語り口の巧みさを堪能できる一冊になっている。特に、彼自身の実体験が反映されているとも言われている表題作には、心を打たれた。