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気持で撮る、気持で書く

ラダックの風息」の読者の方などから、時々、こんな質問をされることがある。

「どうやったら、こういう写真が撮れるんですか?」

僕自身には、「こういう写真」というのがどういう写真なのか、正直よくわからない。ただ、他の人から見ると、僕が撮ったラダックの写真から、何かしら特殊な印象を受けるのだという。同じような質問は、僕がラダックについて書いた文章でもよく訊かれる。こちらについても、具体的に何が違うのか、自分ではよくわからない。

写真も、文章も、とりあえず、それらを商品として売り物にできる最低限のスキルは、僕も一応、持ち合わせていると思っている(でなければ、プロを標榜する資格がない)。でも、ほかのプロのフォトグラファーやライターよりも飛び抜けて秀でた才能を持っている、とはまったく思っていない。世の中には、僕よりも才能に恵まれたフォトグラファーやライターが、星の数ほどいる。たとえば、そういった人たちがラダックを取材すれば、きっと素晴らしい写真や文章をものにするに違いない(実際、僕はもっと多くの人にラダックを取材してほしいと思っている)。

でも、そういった人たちの写真や文章は、たぶん、僕が手がけたラダックの写真や文章のようにはならない。どちらがいい悪いという問題ではなく、何かがそこはかとなく、しかしはっきりと違ったものになると思う。その違いが生じる原因は、何となくわかる気がする。

それは、気持。

たとえ才能はなくても、ラダックの自然や人々に対する気持の強さは、僕は、ほかの誰にも負けない。それだけは、自信を持って言い切れる。そのありったけの気持を込めて、写真を撮り、文章を書いてきた結果が、ほかの人の写真や文章との違いになっているのだと思う。

気持で撮る、気持で書く。そんな仕事に取り組めている今の自分は、幸せなのかもしれない。

たとえ付け焼き刃でも

昨日のエントリーの続きというか、ライターの仕事について少し。

ライターをやっていると、いろんなジャンルのクライアントから取材を依頼される。時には、まったくの畑違いの仕事を手がけなければならない。僕自身、Webにもほとんど情報がない医療機器のメーカーからの依頼を受けて、途方に暮れた経験がある(苦笑)。

でも、そういう時に「自分の専門外なので‥‥」と言い訳するのは、プロとしては許されない。無理なら最初から引き受けない方がいい。引き受けるなら、わからないことはできるだけ事前に下調べをして、自分なりの準備をして取材に臨む。もちろん、そういった準備は付け焼き刃でしかなく、その分野のエキスパートからしてみれば物足りない知識かもしれない。それは仕方がないことだ。

大事なのは、その付け焼き刃の知識を足がかりにして、きっちり取材をして、自分の中であやふやな部分を全部潰し、予備知識のない読者にも理解できるような記事にまとめあげること。わからない部分は、訊く。調べる。確認する。そういう地道な作業の積み重ねが、ライターの仕事だ。

たとえ付け焼き刃でも、工夫と努力を怠らなければ、ちゃんと斬れる。自分自身、それを改めて肝に命じておきたい。

自分へのインタビュー

夕方、メールが届いた。先月、自分がインタビューされた時の原稿が、内容確認のために送られてきたのだ。

添付ファイルを開いてみると‥‥うーん、これは‥‥(苦笑)。文章がいい悪い以前に、基本的な部分の情報が、ことごとく間違っている。ちょっと本やネットで調べれば、すぐわかることなのに‥‥。コメントの抜き出し方もチグハグで、この文章で僕に何を言わせようとしているのか、僕でさえ理解できない(苦笑)。

「こことここを直してください」といった修正指示ではとてもフォローできないレベルなので、先方と相談した結果、「じゃ、僕が自分でリライトします」という結論になった。その後、夜半過ぎまで、このリライト作業にかかりきり。

自分がインタビューされた原稿を、自分でリライトする。シュールだ(苦笑)。あの日、わざわざ出かけて、二時間近くも一生懸命しゃべったのは、何だったんだろう‥‥。まあ、間違った情報を載せられるよりは、ずっとましだけど。

単独者の「血」

この間、押し入れの中にあった本や雑誌を処分するために整理していたら、懐かしいものが出てきた。雑誌「Switch」1994年7月号、特集・星野道夫

当時、僕は「Switch」の編集部でアルバイトをしていて、この特集のために収録された、湯川豊さんによる星野道夫さんへのインタビューのテープ起こしを担当した。まだ大学にも在籍していた僕は、編集のイロハもろくに知らず、テープ起こしもほとんど初めてといっていいほどのペーペーだった。かなり長大なインタビューを分担して作業していたので、テープ起こしの内容は断片的にしか憶えていない。

それでも、湯川さんが星野さんと植村直己さんを比較して話をしていた時のくだりは、今でもはっきりと憶えている。植村さんは、生き物の影さえない大氷原の中で、テントを張ってたった一人でいる時、嬉しくて嬉しくて仕方がなかったのだという。誰もいないはるか遠くへ、一人で行く。そのことが「嬉しくて嬉しくて仕方がない」のは、植村さんや星野さんに共通する単独者の「血」のようなものなのではないか、と湯川さんは話していた。

当時の僕には、星野さんや植村さんのそういう「血」の話は、あまりにも自分とかけ離れているように思えて、ちゃんとは理解できなかった。でも、ここ数年、ラダックで積み重ねてきた経験で、その「嬉しくて嬉しくて仕方がない」気持が、少しわかったような気がする。一応、二、三度は山の中で死にかけたし(苦笑)。

遠くへ、一人で。そうでなければ感じられない、自分の弱さ、ちっぽけさ。僕にも、ちょびっとはそういう「血」が流れているのだろうか。

さくさく進める

終日、部屋で仕事。今取り組んでいるのは、某Webサイトに掲載する情報のライティング。昨日の打ち合わせで判明した修正点を反映させて、とりあえず明日納品する分のデータを整理する。この案件の作業分はまだ半分以上残っているのだが、何とか再来週までには終わらせなければならない。

来月からは、去年も関わった媒体の仕事で、何カ所か地方取材をすることになった。もしかすると、北は北海道から、南は九州まで‥‥と、文字通り日本縦断モードになるかも(汗)。同じくらいの時期に、ある書籍に収録する記事のための取材も何件かすることになりそう。そしてもちろんその後は、夏にラダックで取材してきた分の仕事も待ち構えている。何というか、多忙といえば多忙だ。

こういう忙しくて目が回りそうな時、僕なりに編み出した脱出法は‥‥とにかく、さくさく進めてしまうこと。「あーやだなーめんどくせー」と思っても、先送りにしたらさらに憂鬱が続くわけで、だったら少しでもその憂鬱を減らす方向で動いた方が、結局、気が楽になる。それであんまりはかどらなくても、とりあえず進めた、という自分への言い訳にはなるし。

まあそれでも、依然として「あーやだなーめんどくせー」とは思ってるわけだが(笑)。